06 おまえだったのか
<状況>
ヴァフェルムの企みを止めるために、選挙に潜り込まないといけない
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選挙に潜り込む現実的な方法は、投票人の代理人になることだけ
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投票人の代理人になれるのは、親族に限られる。
そういえばヴィレイアのお父さんは投票人の資格がある……。
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まずは首都ヘルヴィリーでヴィレイアの姉を捜して、
ヴィレイア父が現在どこにいるのか確認しないといけない
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でもヘルヴィリーに行くと衛卒に捕まる恐れあり
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衛卒の目を盗むのに慣れてそうな、
5章で〈氷王牢〉を売り捌いた人に協力願う。
「特等になりました!」
誇らしげに徽章を掲げるヴィレイアに、リベルは微笑んだ。
「おめでとう」
ヴィレイアは期待の表情。
「ということは、私が筆頭勇者です」
リベルはにっこり笑った。
「心強いよ。……財布の紐は渡さないよ?」
「ちっ」
あからさまに舌打ちし、足許を蹴りつけるヴィレイア。
リベルは苦笑。
ロイが笑いながら言った。
「この子、本当に金遣いは荒いから気をつけてね」
「もうそんなことないもん!」
抗議したヴィレイアが、たっと駆け出してエルカの腕に手を置いた。
気が塞いでいる様子の彼の気を逸らそうと懸命に、ヴィレイアが殊更に明るく言う。
「エルカ、私が特等になったから、私たちだけで甲種の鉱路にも入れるよ!」
エルカは上の空で天井を見上げていたが、声を掛けられて瞬きし、視線を下ろした。
ヴィレイアを見て、首を傾げる。
「……『私たち』?」
不思議そうに呟いた彼が、ややあってヴィレイアからリベルに目を移して、「ああ」と呟く。
「ああ……そうか。そうだったな」
エルカをヘルヴィリーに伴うかということについては、当然ながら議論になった。
だが決め手になったのは、リエラは現在ヘルヴィリーにはいないだろうということ――つまりエルカがヘルヴィリーから距離を置いた、最も大きな理由がなくなっているということ。
そして何より、リエラが危険に晒されれば影兵霊を通じてそれがわかるヴィレイアとエルカを引き離しては、エルカが――天命契約によって――突発的な行動に出た際に、その背景の判断がつかずに場が混乱する可能性があることが指摘されたことだった。
しかしそれには、
「――誰に会うためにヘルヴィリーに行くのか、それを言わずについて来てもらうの?」
「万が一、已むに已まれずエルカが俺たちを裏切ってみろよ。俺たちが誰に会ったのかがヴァフェルムさんに知られれば、芋蔓式に全部ばれるぞ」
リベルの言いように、ヴィレイアはぎゅっと目を瞑ってから、「仕方ない」と呟く。
「理由は聞かないで一緒に来てってお願いして、お姉ちゃんを捜していることは黙っておこうか……」
エルカは全く頓着しなかった。
ただ、ヘルヴィリーで無事でいるために、かつて〈氷王牢〉を売り捌いたこともある人間を、衛卒を避ける「その道の玄人」として頼ることになると思う、と告げると、心底可笑しそうに笑った。
「じゃあ、俺を連れて行くのは賢明だ。あいつ、俺の顔は忘れてないと思う」
「そんなに痛めつけたのか」
リベルが尋ねると、エルカは肩を竦めた。
「そりゃあ脅すさ。おまえの行方が懸かってたんだ」
「――――」
リベルは言葉に詰まった。
エルカが彼を思ってくれたのが嬉しく、そして同時に言葉を呑み込むためでもあった――「今でも同じことをしてくれるか」という。
言葉を呑み込み、リベルは代わりのように呟く。
「取り敢えず、ヘルヴィリーに行くのは、俺たちと、アーディスたちと、ロイ義父さんたち――」
あと、と言葉を継いで、エルカの顔色を窺う。
「トートとジャスも来るって言ってるけど、そこはおまえの裁量で」
「裁量なんてねぇよ」
エルカは短く言って、息を吐いた。
「来てくれるって言うなら頼ろう。
――でも、大部分はここに残ってほしいな。リーゴたちとエリジアさんを手薄にするのは嫌だ」
リベルは頷いた。
「わかった、みんなに伝えておく」
エルカがまたもエーデルを離れるということで、難色を示したのはリーゴたち――子供たちだった。
彼らはホテルに滞在しているが、「またちょっと留守にするよ」と告げにいったエルカを捕まえ、口々に不平を言い立てる。
「僕たち、お兄さんが会いたいって言うから来たのに」
「ねーえー、俺たち何をしてればいいの?」
エルカは苦笑しきりだったが、バンクレット家の使用人でもあるエリジアが、「こら!」と子供たちを叱りつけると、なぜかリーゴたちと同時に首を竦めた。
「坊ちゃんを困らせたら駄目でしょう。――やることはたくさんありますよ、お勉強も」
なお不満そうに頬を膨らませる子供たちに、エルカが屈んで視線を合わせ、「実はさ」と言い出す。
「ここ、俺の家がある町なんだけど」
「うん!」
「ちょっと悪い奴に見張られてるかもしれなくて」
「――――!」
「きみたちに留守を守っててほしいんだよね。――荷が重いかな?」
首を傾げるエルカに、まだ十にも満たない年齢の子供たちが、「出来る!」「まかせて!」と口を揃える。
エルカは軽く頭を下げて、立ち上がった。
「ありがとう。本当に助かる」
エルカがエリジアと目を合わせ、意気を新たにする子供たちから少し距離を置き、声をひそめた。
「またあいつらを見ててもらうことになるけど……」
「そんな他人行儀なこと言わないで。みんないい子よ、喜んで」
「メジムは身体が弱いから、余計に目を配ってやって。リーゴは大丈夫――あいつが一番しっかりしてる」
エリジアが顔を綻ばせた。
「リーゴくんはねぇ、ちょっと教えたら簡単な算数の覚えが早いのよ。ちょっとずつ読み書きを覚えてるのよ、みんな。メジムくんはお裁縫の才能があるわね。そのうち織物組合に入ってもいいかもしれないわ」
エルカは微笑んだ。
「うかうかしてると、俺の立つ瀬がなくなりそうかな」
「まあ、何を言ってるの」
エリジアが苦笑し、「旦那さまによろしくね」とエルカに言伝る。
エルカは手を伸ばして、エリジアの手を握った。
「巻き込んでごめん――すみません」
「なにを言ってるの」
エリジアが一笑に付した。
「あなたがたを可愛いと思っているのは私の勝手よ。お構いなく。そんな顔しないで、エルカ」
*◇*◇*
初冬の月六日、バーリ・ブロムウェルは鬱屈した気分でヘルヴィリーを歩いていた。
ヘルヴィリーの、中心部からは程遠い郊外、治安も悪い街区で、どちらかといえば貧民街に近い。
狭い道は、最初から狭くあれと造られたのではなく、ここに住むことになった不幸な事情を抱えた人々が、それぞれ勝手に道沿いに家や店を建て、それゆえに圧迫されて狭くなったのだ。
ゆえに鳥瞰してみれば、ここの町並みは迷路も同然。
それなりの幅が確保されている主要道から、それぞれの家や店に至るための、蜘蛛の巣のように入り組んだ細い道――中には、身体を横にして蟹のように歩かねば通り抜けられないものもある――が伸びている。
家々は、木造のものもあれば不格好な石造りのものもあり、暖炉――あるいはそれに類する暖房器具――を備えた運のいい家からは細い煙突が伸びているが、もちろん寒い冬を身一つで戦わねばならない人々も、ここには大勢いる。
そしてそんな場所であっても、衛卒は辺りを歩いていた。
常に視界の中に五人はいると揶揄される、共和国の治安を暴力を以て守る軍人たちである。
とはいえブロムウェルは、彼らの視界に入らない、入ったとして覚えられずに歩くなんとはないコツを弁えていた。
ブロムウェルは、主要道の一つをぐずぐずと歩いていた。
彼もここの住人ではあったが、家はきちんと大工に建てさせた石造りで暖炉もあり、それなりに広く満足している。
妻子はおらず、ゆえに家は狭くとも不自由しない。
適法とはいえない商売でも上手く稼ぎ、実入りは良い彼のこと、住み心地を探求するならば、ヘルヴィリーのもう少し中心地に近い場所にも引っ越せるはずだ。
しかし、なぜそうしないのかと尋ねられる度に、ブロムウェルはこう答えていた。
「慣れちまえば、別にここの暮らしも悪かないぜ。住んでる連中は、そりゃあ多少気性は荒いが、ちょこっと何かをくれてやれば懐いてくるし、可愛いもんだぜ。それにおまえ、変な連中に俺の稼ぎがどこからくるのか、知られない方がいいだろ? まともな商人組合の人間も、検察の軍人も、こんなとこを歩いてるもんかよ。それを思やあ、ここに住んでるってだけで俺は守られてるってわけよ」
ブロムウェルは溜息を吐いた。曇天に、彼の吐いた息が白く昇っていく。
鬱屈した気分に特段の訳はなかったが、思えば例の一件――売ってはならない禁忌の剣を売り捌いた結果、酷い目にあったあの一件――以降、彼はやや商売に対して臆病になってしまった。
ゆえに最近の懐は寒い。
収支を弁えない呑み方が祟って、つけは溜まる一方である。
はあ、と、何度目かわからない溜息を吐いた、そのときだった。
――突然、まるで青天の霹靂の如く、ブロムウェルの肩を誰かが掴んだ。
「――――!」
人生最悪の記憶が甦り、ブロムウェルは呼吸を、身体の外に吸い取られた気分になった。
つんのめって足を止めそうになる。
が、彼の肩を掴んだ誰か、今や馴れ馴れしく彼の肩を抱く誰かが、それを許さない。
耳許で低く囁かれた。
「――おっと、そのまま歩いてくれ。衛卒の目を引かない場所まで、頼むよ」
ブロムウェルは、唐突に雲を踏むような気持ちになりつつ、強張った動きで横を見た。
そしてそこに、忘れもしない春のあの日、彼を問答無用で殴った上に、商売仲間を拷問にかけた砂色の髪の青年の顔を見て、無言のまま白目を剥いた。
青年はやんわりと、窘めるようにブロムウェルの肩を抱いた手に力を籠める。
「おーい、おい。そんな顔すんなって。大丈夫大丈夫、もう殴ったりしないよ。――実は、今さ、」
青年が囁きながら微笑む。
いつぞや見たときよりやつれた気もするが定かではない。
そんなことより問題は、この青年の拳が壁を粉砕するところを、ブロムウェルがゼロ距離で見たことがあるという事実だ。
ぎくしゃくと歩き続けるブロムウェルに、青年は笑い掛けた。
「今ちょーっと困っててさ。あんた、衛卒に捕まらない方法にも詳しそうだよね。助けてくんない?」
その瞬間にブロムウェルは、己の人生から選択肢というものが蒸発していく音を聞いた。
*◇*◇*
エルカは、手にした青い指輪に向かって話し掛けた。
――アーディス隊の、かつてはリベルが使っていた指輪である。
一時的にとはいえ、ブロムウェルに接近するためにエルカが別行動をするとあって貸し出されたものだ。
その指輪に向かって、現在地を伝える。
「あー、うん。別れたところよりちょっと西。その路地裏にいるから、来て。言うまでもないけどこそこそ来いよ。ヴィリーに頼めば、ちょっとの間だったら目くらましくらいしてくれるだろ。
協力者は確保、今はいい子にしてくれてるよ」
いい子にしているブロムウェルとしては、恨む気持ちでいっぱいである。
俺の人生からはご退場願ったはずだが、という目でエルカを見つめてみても、エルカはもう彼に目もくれない。
薄暗い路地裏で壁に凭れ、人生に疲れたように溜息を吐いているのみだ。
前日の夜か今日の朝か、誰かが吐いた吐瀉物の臭いがまだ微かに残るその路地裏に、どやどやと他の面々がやって来たのはそれから数分後だった。
リベルが真っ先に走り出して、エルカに駆け寄る。
彼はブロムウェルと初対面である。
げっそりやつれた彼を一瞥しつつも、すぐさまエルカに向かって、「ありがと、さすが」と声を掛けるリベル。
一方のブロムウェルも、リベルの顔を見るのは初めてである。
――が。
見覚えがある。
リベルの腰の〈氷王牢〉に、夢に見たほど嫌な見覚えがある。
というわけで。
「おっ、おまえだったのか……!」
思わずリベルを指差し、声を殺して絶叫するブロムウェル。
リベルは訝しげに眉を寄せる。
「は?」
エルカが気づいて、微かに笑った。
「〈氷王牢〉だよ、リベル。こいつ、それを売り捌いたことがあるからな。持ち主はおまえだったのかって、そういう意味じゃねえの」
「ああ」
得心するリベルに向かって、ブロムウェルは怨み骨髄に至る声を上げる。
「おまえの……おまえのせいで、どんだけ酷い目にあったと……」
見てみれば、ヴィレイアをはじめ、彼にとっては見覚えのある人間も多い場である。
眩暈を起こした様子のブロムウェルをまじまじと見てから、リベルははにかんでエルカと目を合わせた。
「……あのときは、俺のこと捜してくれてありがとう」
エルカは虚を突かれたようだった。
瞬きした彼が、すっ、とリベルから薄青い目を逸らせ、呟く。
「……別に、礼を言うようなことじゃなかっただろ、――あのときは」
それからエルカは咳払いし、ブロムウェルに向かってわざとらしい笑みを向けた。
「――よし、あんた、俺の連れがさ、衛卒の目を盗んで動かなきゃならないらしいんだけど、ちょっとその辺の指南を頼むよ。
でもそれより先に、俺は休みたいな。あんた多分、衛卒にも変な目で見られない塒を持ってんだろうなぁ。いいな、案内してくんない? 俺たちをお客さんにしてよ」
ブロムウェルは棒を呑んだような顔で、その場の十一人を見渡した。
そして今度は、己の人生から平穏というものが飛び去ろうとしている羽音を聞いた気になり、両手で顔を覆う。
しかし選択肢は既に蒸発していた。
ブロムウェルは呻いた。
「……こちらです……」




