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侯爵令嬢アリアレインの追放  作者: しろうるり
第2章:侯爵令嬢アリアレインの帰還

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侯爵令嬢アリアレインの軋轢(3)

 翌日からも、執務室のふたりに大きな変化はなかった。執務室に出入りする祐筆や侍女は、ふたりの態度がどこかよそよそしいように思ったが、無論それを口や態度に出すことはない。仲睦まじいことで知られたふたりではあっても、ちょっとした諍いのようなものはあって不思議ではなかったし、諍いがあったにせよ、それはたとえば、口も利かない、というような明瞭なものではなかったから。

 むしろよくある妻と夫のすれ違い、という程度に見られていたのかもしれない。


 よりはっきりとした変化は、夜のふたりにあった。

 その日からアリアレインは、アーヴェイルと同衾していない。正確には、自分の床にアーヴェイルを招くことをやめた。何をせずとも夫の腕の中で眠ることを好んだ妻は、ひとりで眠るようになっている。


 アーヴェイルは無論、アリアレインに隔意があるわけではない。従士であった頃から、アリアレインの甘えや我侭を、アーヴェイルは好ましいものと見ていた。アーヴェイルにとって、アリアレインの言葉と態度は、少々強硬ではあっても、自分が幾度も見た我侭のひとつのように思えたのだ。

 アリアレインも、夫の愛情や信頼を疑っているわけではない。だが、ふと不安になることはある。自身への愛情や信頼は揺るぎないとして、それは本当に自分自身へ向けられたものなのかどうか、という。アリアレインは侯爵家の令嬢であったがために、王太子の婚約者になった。王太子との折り合いは悪く、それでも家と国のために、と思ってその座に座り続け、将来の王妃として為すべきと考えたことを為し続けていた。結果、もたらされたのは婚約の解消と追放だ。追放刑に処されたアリアレインのために、最も危険で困難な役目を果たし、文字通り身を挺してアリアレインの命を救ってくれたのがアーヴェイルだった。

 その行動のどこまでがマレス侯爵家のためで、どこからがアリアレインという個人のためであったのか、アリアレインは尋ねたことがない。今までは尋ねる必要がなかった。タリム・マガンに出向く危険を、アリアレイン自身も理解してはいる。アーヴェイルがそれを案じていることもわかっている。そのような場所に誰かが行かねばならないのならば、アーヴェイルこそが相応しい、と考えていることも。


 理解していて、それでもアリアレインは離れたくなかった。離れる不安を知ってしまっているから。

 夫は、自分を『替えの利かない存在』と評した。夫自身にとって、というよりも、侯爵家と侯国にとって。自分はそれが不満だったのだ、と思っている。


 ベッドを分けたのは、隔意があったからではない。夫の不在に耐えるのならば、せめて一人寝には慣れておかなければならない、と思っていた。結局、耐えられないだろう、と理解しただけだったけれど。


 寝付きは悪くなり、眠りが浅くなり、朝は早くから目が覚めてしまう。


 しなやかで力強い腕が。優しく髪を撫でてくれる手が。ふと目を覚ましたときに感じられる体温が。穏やかな寝息が。自分のそれとは異なる、でもけっして不快ではない匂いが。

 そういう「夫という存在そのものがもたらすもの」が自分を支えていたのだ、とアリアレインは理解した。わずか数日の、それらの欠如によって。


 かつてアーヴェイルが、自分のために瀕死の重傷を負ったとき、アリアレインは自分にとってアーヴェイルがどういう存在であったかを知った。だからこそアリアレインはアーヴェイルを夫に迎えたのだ。アーヴェイルを離さないでいられるように。


 アーヴェイルが自分を『侯爵家にとって替えの利かない存在』と言ったように、アーヴェイルも替えの利かない存在だった。侯爵家ではなく、自分にとって。3日目の夜明け、浅い眠りから覚めたベッドの上で、アリアレインは決意した。

 自分と夫の考え方が違い、夫が夫の事情で折れることができないのならば。

 別の方法を、自分が考えて実行するしかない。


※ ※ ※ ※ ※


「旦那様」


 その翌日の執務室。アリアレインは、夫に、いつもと同じように声をかけた。


「はい。――どうなさいましたか?」


 アーヴェイルの返答は、普段と変わらない。少なくともそのように見えている。自分はどうなのかしら、とアリアレインはふと思い、同時に少々腹立たしくなった。


「随員の人選はもう済んだの?」


 そう口に出してから、声が硬かったかしら、と思い返す。


「はい。概ねは。決まっていない枠がいくつかと、余裕の枠と言いますか、幾人かであれば追加できる枠もあります。船員たちについては、船長に任せておりますが」

「あら、さすが周到」

「アリア様をお側で見ておりますので」


 アーヴェイルの返答には、アリアレインが意識した声の硬さに引っ掛かった様子がない。気付かれなかったことへの安堵と、気付いてもらえなかったことへの小さな苛立ちの両方が、アリアレインの心に浮かぶ。


「……ひとり、わたしから追加を頼んでもいい?」

「誰をでしょうか?」

「サレアを」

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