サンサール国王エイリークの政略(1)
コルジアの港に、教会の旗を掲げた船が入ったのは、それから数日後。司祭に随行する使者の身元と用件を聞いた役人たちは慌てた。急ぎ早馬が仕立てられ、司祭たちも馬車で王都へと向かう。その日のうちに、使者の書状は王城に届けられた。
※ ※ ※ ※ ※
「マレスからの書状、でございますか?」
「ああ。つい先刻、大司教から届けられた」
王宮の内部、王とその家族の住まう私的な区画。その一隅にある談話室のひとつに、内大臣ルドヴィーコ・フォスカールは呼び出されていた。呼んだのは、低い机を挟んで向き合う形に座る国王、エイリーク・ナダール。ルドヴィーコにとっては主君であり、娘婿でもある。
「どのような……?」
エイリークは黙って封筒を裏返した。封蝋と、そこに捺された封印はそのままだ。国王の視線は、お前が開けろ、と言っている。ごくり、とルドヴィーコの喉が鳴った。まったく自慢のできる話ではないが、ルドヴィーコは自他ともに認める小心者である。では、とルドヴィーコは小声で応じた。
作法に則って封を開け、現れた書状を捧げ持つようにして己の主君へと差し出す。
一読したエイリークが、ふん、と鼻を鳴らした。
「あの商人ども、あのあとマレスへも出向いたらしい」
「……は」
しばらく前に、遠く南の海を越えて訪れたタリム・マガンの使節のことを言っている、と理解するまでに、半瞬の時間が必要だった。
「書状は、その件でございましたか」
「あの商人ども、マレスにも吹っ掛けたのだろう」
「――は」
ルドヴィーコは何と答えるべきかがわからない。
商人としては、高く売れる相手に高く売れるものを高く売る、というのは、基本ではある。
王太子の岳父としては、その王太子の名声を傷つけた一族、王太子自らが追放の処断を下した一族だ。つまりは敵。そして、サンサールの政務の一端を担う身としては、どうにかして交易を再開したい相手でもある。
ただの敵が強欲な商人の出した条件に苦しんでいるのならば放っておけばよいし、強欲な商人を向こうに回している商売仲間であれば手助けすべき理由がある。どちらの立場で何を口にすべきか、ルドヴィーコは選びかねているのだった。
「本来ならば、外務卿あたりに諮るべきなのかも知れんがな」
机の上に書状を置き、くるりと回して手で示しながら、国王が言う。ルドヴィーコも同感だった。自分は決して、外交の専門家ではない。細かな儀礼も知らなければ、抜き差しならぬ交渉を取りまとめたこともない。だというのに若い王は目の前で封を開けよと言い、外交の専門家よりも先に自分に読めと言っている。
ルドヴィーコは恐ろしかった。若い国王は自分を頼ろうとしている。つまり、自分がなにかを誤れば、それは王が道を誤ることに繋がる。その王の婚約者は己の娘で、娘は徹底して王を支えると決めている。
「わたくしめが最初で、よろしいのでしょうか?」
ルドヴィーコの言葉に、国王の眉根が寄る。
「そなただから読ませておるのだ。内大臣であろう」
執政府の諸卿と同格の、ただし名誉職。職掌は宮中の文書と国璽の管理。内大臣とはそのような役職だ。だが、宮中の文書の管理が役目であり、近年の行政の全てが文書を通じて行われている以上、理屈で言えばどのような件であれ、関わることはできる。
任命した側もされた側も名誉職としか思っていなかった内大臣という地位は、明確な実権を伴った地位になりつつあるのだった。では、と呟くように言い、置かれた書状を手に取って読む。
「提示された条件自体に、そこまでの問題があるようには思われませんが……」
「余も同感だ。問題はそこではない。むしろ、交渉と妥結それ自体が」
交易のための約定を結ぶのならば、双方が対等であることが前提になる。お互いに相手への義務を負い、それを守ることを宣言するのだから当然だ。だが、サンサール王国の公的な見解では、マレスはあくまでも離反した侯爵領であり、その領主は追放者を匿った罪人でもある。対等な相手とするにはあまりにも大きな溝があるのだった。
とはいえ、論外と一蹴するわけにもいかない。マレスは羊毛や毛織物を産し、サンサールの産業を支える原材料の一大供給地であったし、マレス産の穀物もまたサンサールにおいて大きな地位を占めていた。それらの供給が絶たれたことによる影響は、決して小さなものではない。
従来の方針を正しかったとするのならば交渉など論外だが、そうなれば国内の商人や職人たちの苦境はそのままに続くことになる。製品を作り出すこともできずに苦しむ職人たちや、売るべきものを失って困窮する商人たちを救おうとするのならば、どこかで以前の処断と折り合いを付けなければならない。
「教会の仲介を前面に立てる、というくらいしか……」
「定跡ではあるが、ままならぬものよな」
ルドヴィーコの進言も国王の返答も、歯切れの悪いものになっている。世俗のあれこれから離れて存在する教会をうまく使う、というのはこういった場合の常套手段ではあるが、それで国内の強硬派を納得させられるか、という点に、ルドヴィーコは自信を持てない。
ため息をついて短い書状を読み直したルドヴィーコの心に、何かが引っ掛かった。何だろう、と思いながらもう一度注意深く読む。そしてルドヴィーコは、それを見つけた。




