侯爵令嬢アリアレインの条件(1)
「サンサールとの交渉をするのなら、条件を整えなければ。幾度も使者をやり取りするわけにもいかないから」
「はい」
侯爵公邸に設けられた執務室で、アリアレインとアーヴェイルは会話を交わしている。話題は、サンサール王国とマレスの間の交易についてだった。
「それに、サンサールとの間だけを考えていればいい、というわけでもないものね」
「仰るとおりかと、お嬢様」
同席している書記官、スタイン・オルディアが頷く。
「タリム・マガンとの交易についても考えておかなければ。かの国には、我々が直接にはできない交易を担ってもらわねばなりません。そのためには、タリム・マガンにもある程度の利を用意する必要があります」
「サンサールでも、そういうことはあったわよね?」
スタインは、サンサール王国において、商船の管理を担当する商部省の書記官だった。叛乱を決めたアリアレインの誘いに応じ、その足場をマレスへと移してきた。そのようにして場所は変わっても、スタインは以前と同じことを仕事にしている。
「ありました。いくつかやり方はありますが、この場合適しているのは、一定量をタリム・マガンに任せる、ということかと。我々にとって都合がいいのは、あらかじめ量を決めておく、ということですが――たとえば、快速船で何隻分、というように」
「しかしオルディア書記官、それでは……交易が本格化すればするほど、タリム・マガンにとっての旨みがなくなる、ということになるのでは?」
アーヴェイルが差し挟んだ疑問に、仰るとおりです、とスタインが頷く。
「あちらの希望は、たとえば前年の何割分、というように、交易の全体量が増えれば増えた分だけ、自分たちに任される枠も増える、という仕組みでしょう」
「商人が入ってくれて、交易が活発化するのなら、その方がいいわ。お互いに」
お互いにとって利のある話であればこそ、商売はうまくゆく。アリアレインはそのように考えている。
「まさにまさに。結局のところ、サンサールとの交渉もそれです。まあ、あちらはあちらで体面がありましょうから、別の難しさがあるかとは思いますが」
「あちらの顔を立てながら、うまい落としどころを、というお話なのね?」
「そのとおりです、お嬢様」
笑顔で頷くスタインから視線を逸らし、アリアレインは小さく息をついた。
「困ったわね。彼も頭を下げるなんてできないでしょうし」
サンサール王国にとって、マレスは対等な国ではない。実質のところをどう見ているかは定かではないが、少なくとも公式には、マレスの独立を認めたわけではなかった。そもそもの発端が当時の王太子――当代の国王による処断である以上、そう簡単に認めることはできないだろう、ということはアリアレインも理解している。
「外向けにしても内向けにしても、難しいところかと」
「教会にも物申したそうじゃない」
「教管区の分離とマレス大司教の選任について、ですな。退任したばかりの前大司教猊下を王城に呼んだと伺いましたが」
呼んだところで実質的に何ができる、という話ではないが、呼ばれたのは先代の大司教ヴァレリアだった。アリアレインにとっては、王都邸と、そして王都邸に留まる使用人たちを託してきた相手でもある。
「そう。あくまでも教会内部の話だから、何ができるわけではないけれど。何も言わずにいれば、国王が認めたことになってしまうから、呼んで苦言のひとつもぶつけたのでしょうね」
ヴァレリアはおそらく、その苦言を受け流したのだろう。捕虜を送り返した戻りの船に託された書状には、簡潔に経緯だけが記されていた。
「ともかく、王国には交渉のテーブルについてもらわないといけないわね。実利を取れるのなら、体面は譲ってもいいと思っているの」
「捕虜の返還を早めるのは、そのあたりの?」
「そうね。交易の相手としてやり取りができるのなら、人質はいなくてもいいのよ」
「ハシェック書記官が残念がるかもしれませんが」
「新たに開拓をするには良い、って言っていたものね」
スタインが口に出したのは、元々同じサンサール王国の執政府に奉職していた書記官の名だった。執政府では農務省に。今も、農政に関するあれこれに関わっている。捕虜をどう使うべきか、という話が出た折に、その書記官――ラドミール・ハシェックは、新たに開拓すべき土地の樹木の伐採に使ってはどうか、と進言したのだった。以後、捕虜たちは、いくつかの集団に分けられてマレス地方の内陸部に送られ、木を伐り出したり切り株と根を掘り起こしたり、といった労務に就かされている。
「まあ、でも、農地の新規開拓も、諸領の領主たちに推奨していた話でもあるの。いずれ返す捕虜をずっとあてにし続けるわけにもいかないから」
「まさに仰るとおりかと、お嬢様」
スタインはあっさりと引き下がった。本気の懸念というよりは、混ぜ返したくなる性分からの言葉、ということなのかもしれなかった。
「あとは……そうね、お父様の親書が必要になるわね。わたしが差出人では、読まれずに捨てられてしまいそうだし」
「閣下にお願いしておきましょう」
アリアレインの言葉に、アーヴェイルが答える。妻の台詞の後ろ半分に触れないだけの慎重さが、次期侯爵の夫にはあった。アーヴェイル自身は、アリアレインからの手紙であれば、封をされたまま暖炉にくべられても仕方ない、と思っている。
「お願いするわ。お父様ならうまく書いてくださると思うけれど。……あなたが書いてくださってもよろしくてよ、旦那様?」
頷いたアリアレインが、ほんの少しだけ間を置いて付け加えた言葉に、アーヴェイルは思わず苦笑した。
「やめておきましょう。体面を立てなければいけないのなら、どこの馬の骨とも知れぬ輩が書くべきではありません」
「馬の骨だなんて、わたしの旦那様にひどい言い方をするのね」
「あちらにとって、という意味です、アリア様」
傍らでしばらくやり取りを眺めていたスタインが、わざとらしく大きな咳払いをして笑う。
「……仕事をしましょう、アリア様」
「そうね、今はお仕事の時間だものね」
言葉を切ったアリアレインが、スタインにちらりと視線を送る。
「オルディア書記官、あなたは交易に関する条件を詰めておいて。それ以外の部分はこちらで考えます」
「かしこまりました、お嬢様」




