侯爵令嬢アリアレインの武略(3)
中型の快速商船「波の翼」号にはもうひとつの姿がある。海賊船「黒の斧」号。
同じ港を本拠とする2隻と船団を組む海賊たちは、ここしばらくの間、マレスの沖を猟場にしていた。狙うのは、マレスやレダンへと向かう船。主に南洋からの高価な荷を積んだ商船は、海賊たちにとって良い獲物となった。
もともと、マレスの沖に海賊がいなかったわけではない。だが、この春から、その数は明らかに増えている。海賊たちにとって重要な情報がもたらされたからだった。マレスの沖に散らばる島々とその周辺の精密な海図がそれだ。海賊たちは、それがどこからどのようにもたらされたかを気にかけていない。根城として使える場所があり、それが交易に使われる航路に近いのならば、さほどの問題はないからだった。
そのような条件が整っていても、交易船を捕まえられるかどうかは運の要素が大きい。マストから見渡せる範囲は限られたものでしかなく、そこに入ってくる船の数は限られている。加えて、船団を組んでいる商船は、簡単には襲撃できない。最初から独航している商船、あるいは何か理由があって船団からはぐれた商船。そういった船が追いつける範囲に入ってくるかどうかは、結局のところ運でしかない。
もっとも、運にさえ恵まれれば、文字通り一攫千金、というのが海賊稼業の良いところだ。
交易船に手練れの兵が乗り組んでいることはまずない。命の保証さえしてやれば、商人たちは案外簡単に荷を手放す。荷主が乗り組んでいる場合はともかくとして、大多数を占める雇われの船長であれば、命あっての物種とばかりに面倒のない態度を示してくれる。気骨のある者もいないわけではないが、そういう連中は海で泳いでもらうか帆桁にぶら下がってもらえば問題はない。
だからその日も、「黒の斧」号は獲物を見つけて接近し、ほどなく鉤縄を使って船を横付けにした。合図とともに30人ほどの海賊たちが、手に手に舶刀――湾曲した片刃の剣を取って、相手の船へと乗り移ってゆく。慌てふためいた水夫たちが、船尾楼へ逃げてゆくのを確かめて、船長はにやりと笑う。その先に逃げ道などないのだから、どこへ逃げ込もうと時間の問題でしかない。
手下たちは船内を制圧すべく、船尾楼へとなだれ込んだ。直後、いくつもの悲鳴と怒号が連鎖する。誰かが抵抗しようとしたのだろう。そして、忠実な手下どもが、手向かう者の運命を知らしめるために誰かを血祭りに上げたのだろう。船長はそう考えていた。
異変が起きたのはその直後。悲鳴を上げながら、崩れるように船尾楼から出てきたのは手下の海賊たちだった。逃げ遅れたらしい一人が通路から転がり出る。よく見るとその手下の片脚がない。それを追いかけて現れた大柄な戦士は、転がった者には目もくれず、向き直ろうとした別の一人の腕を斬り飛ばした。得物は小剣と盾。片手で振るう小剣は、それだけ見れば人の腕や脚を斬り飛ばせるような代物ではない。だが現に、舶刀とそれを握っていた手が、甲板に転がっている。
戦士が血まみれの小剣を捨て、片手半剣を無造作に引き抜く。
「弓手、何をしてる! 早く射て!」
目の前の光景の意味を理解した船長が叫び、間を置かずに弓の弦音が響く。マストの上から放たれた矢は、戦士が掲げた盾に受け止められた。同時に、船尾楼からばらばらと武装した男たちが吐き出されてくる。商船の護衛に乗っていてよい数ではなかった。
盾を掲げたままの姿勢の大柄な戦士が、船長の方を見やる。視線が合った。獲物を狙う肉食獣の視線だった。
「離れろ!」
船長の命令と、戦士が向き直り、駆け出すのが同時だった。盾を捨て、船縁を足場に跳躍し、剣を両手に構え直し――。
「こいつは罠――」
船長は、その言葉を最後まで言い終えることができなかった。着地と同時に上段から振り抜かれた片手半剣は、右肩から入って左の脇腹へ抜けた。左腕のついた上半身がまず甲板に落ち、数呼吸の間だけ所在なげに立っていた下半身がばたりと倒れる。
恐慌が始まった。
抵抗した者と降伏の意思表示をできなかった者は、全て斬り捨てられた。戦闘は小半刻も経たずに終結した。全てが済んだとき、「黒の斧」号に乗り組んで生き延びた者は、両手の指で数えられるほどの数になっていた。




