侯爵令嬢アリアレインの武略(1)
「いろいろと片付けないといけない問題はあるのだけれども、旦那様」
「はい」
己の執務室で、アリアレインはアーヴェイルに話しかけた。扉の向こうに詰めている祐筆の数は、常よりも随分と増えている。スタインも、常時詰めるようになったひとりだった。
「交易条約の件については、オルディア書記官に任せることにしましょう」
「彼を中心に、必要な条件を整理してもらうのが良いでしょうね」
「専門家ではない、と言っていたけれど、実務は彼に任せていいと思うの」
「ええ。よい人選かと」
アリアレインとアーヴェイルがランドルフから任されたのは、タリム・マガンとの条約交渉と、そしてそれを妨げる要因となっている海賊への対処だ。いかに有利な形で条件を整えたくとも、マレスの近海に海賊が出続けるようでは、その条件で交易を続けることができない。
他国の軍船を港に入れて諸々の援助を与えるということを避けたければ、自力で海賊をどうにかする他はないのだった。
「わたしは、海賊をどうにかする方法を考えないと」
「はい」
ここしばらくの間、アリアレインも座して待つだけではなかった。幾隻かの船――出港できなくなっている商船を借り上げ、傭兵を雇い、船団を組んで海賊が根城にしそうな島へと向かわせている。成果は、なかったともあったとも言えた。
ある島では、船団を認めた海賊がそこを引き払ったらしい痕跡を見つけた。帆を上げてどこかへ去る船を発見してもいる。つまり、海賊を撃退している。
だが、撃退した状態を維持することができない。マレスの沖合にはいくつもの島があり、それら全てを常時監視下に収めることは不可能だ。島の周囲には暗礁も多い。あらかじめ詳細な海図を手に入れているか、あるいはよほど慎重に近づくかしなければ、常に座礁の危険が付きまとう。それも、干満の差や月齢までを考慮に入れなければならない。生半な準備でできることではなかった。
慎重に接近すれば逃げられる。逃げた跡の島に従士隊を置き、海賊が戻ってくることを防ぐのも不可能ではないが、ふたつの理由から見送られている。まず、補給がおぼつかない。日々大量の物資を消費する従士隊を島に置いておこうとすれば、必要な物資は船で運びこまなければならない。万が一その補給のための船が襲われれば、島の従士はただちに飢えることになる。第二に、そもそも従士隊にそのような余裕がなかった。そこで戦闘が発生したとして、それに勝てるようでなければ置く意味がない従士隊だが、そのような人材は、東西の国境を守るためにこそ必要とされている。
「結局」
マレス近海の海図の上にいくつか置かれたチェスの駒を手に取って弄びながら、アリアレインが言った。常よりもいくらか投げやりな口調になっている。
「ここの全域に利かせられるだけの駒がない、ということなのよね」
「仰るとおりかと」
くるりと手を回してマレスの沖を示したアリアレインに、アーヴェイルが頷く。
「ひとつずつ潰していく、というのが、非効率に見えて一番ましかもしれません、アリア様」
「そうね。わかるけれど――」
その先を口にせずとも、ふたりとも理解してはいる。自ら切らなければならなかった期限には、それでは間に合わない。それに、そのようにして数を減らしたとして、それがまた増えない保証はない。
首を振ったアリアレインに、アーヴェイルが水差しから水を注いで差し出す。
「ありがとう、旦那様」
小さく笑顔を浮かべてそう言い、アリアレインは深く息をついた。心の中から何かを追い出そうとするかのように。
「最初から、すこし整理したいの。旦那様、付き合っていただける?」
「もちろんです、アリア様」
※ ※ ※ ※ ※
「まず本当に最初からね。彼らは、なぜマレスの近くを狩場にしだしたのかしら」
「おそらくメルザードがけしかけている、というのがひとつ」
アーヴェイルの返答に、アリアレインが頷く。
東の隣国メルザードは、幾度もマレスに侵攻を試みている。マレスとサンサールの間にあったいきさつを知られていれば、メルザードはそれを好機と見なすだろう。直接の侵攻ではなくとも、たとえば、私掠の特許を出すという形で、マレスに揺さぶりをかけることは十分にあり得る話だった。
「他には?」
「中小の船による交易が制約されているので、救援を呼ばれる可能性は低くなっているかと」
「それもそうね」
「長距離を航海できる大型船が中心になりますから、彼らにとっては『実入り』がよい、ということも。まあ、総じて、割が良くなった、というところにまとまるかとは」
容赦なくまとめてみせた夫の言葉に、アリアレインが苦笑する。
「もう少し、手心っていうか」
「アリア様がお望みであれば」
笑顔で戻ってきた答えに、アリアレインはもう一度苦笑した。
「あなたがわたしのことをよくわかってくれている、というのはよくわかったわ。つまり、今この海は彼らにとって、『稼げる割に危険が少ない』ということなのね」
「はい。メルザードもおそらく、そのあたりを把握したうえでそそのかしているのでしょう」
「メルザードのことは一旦措きましょう。腹立たしいけれど、今のわたしたちにはどうしようもないことだから。わたしたちができるのは、理屈で言えばふたつよね、さっきのお話だと」
『稼げる割に危険が少ない』から狙われる。そうであるとすれば、対応の方向性はふたつしかない。
「『稼げない』か『危険が大きい』か」
「前者は無理よね。わたしたち、今まさにそれで悩んでいるわけだから」
「はい」
マレスの近海を通る船を減らすか、あるいは一隻あたりの交易額を減らすか。海賊にとっての利益を減らすならば、そのどちらかしかない。そしてそのどちらも、今のマレスにとっては容認しがたい話だった。




