内大臣ルドヴィーコの苦悩(3)
サンサール王国にとって、マレスは『離反した侯爵領』であって『対等な国』ではない。建前としてはそうなっている。
「そこは外務と整理しよう。他には?」
「はい。では、そこは一旦措きます。他、相手国としてはメルザードなども考えられます。現状で、我が国と交易が可能な距離や位置を考えると、そうなるかと。あまり遠すぎても、タリム・マガンの商人にとってうまみのある話でもなくなる、と考えますと」
書記官の説明を、ルドヴィーコはふんふんと頷きながら聞いた。
「条件からして、我が国とタリム・マガンの商船はいずれも交易に参入できます。ただ、おそらく、他国の商船は入れなくなる。タリム・マガンが商売敵を増やすとは思えないからです。マレスはおそらく、我が国の船を港には入れますまい。メルザードも同様です。そうなると」
タリム・マガンの商人たちは、当然ながら、交易を独占したがるだろう。独占が為されれば価格は高止まりし、サンサールの抱える赤字は小さくならない。自国の船を出せない国との交易で独占を防ぐならば、別の国の商人たちを参入させるほかはない。だが。
「……ああ、『両締約国の合意』が問題になる、と」
ルドヴィーコの呟きは、ため息とともに吐き出された。
「はい。タリム・マガンの側には、合意すべき理由がないのです」
「では、そこはそのままにはできんなあ」
王と王国の名で結ぶ条約には、相応の重みがある。不都合だからと言って簡単に覆すわけにはいかない。そのような行動は、王の信頼そのものを毀損する。だから不都合な部分があるのであれば、あらかじめ不都合のない内容に変えておかなければならない。
「どう変えるべきか、案はあるかね」
「案はいくつか出ております。具体的なものとなると少々調整が必要かと。ただ――」
「何かあるのかね?」
「はい。タリム・マガンの側も、このままの内容で通るとは思っていないでしょう。まずは高値での取引を持ち掛け、相手側の出方に応じて値を下げてゆく。あそこはそういうお国柄です」
「こちらが要求すれば、ある程度は譲ってくる?」
「おそらくは、閣下」
なるほど、と頷いて、ルドヴィーコは腕を組む。要求をするにも、手札がなければ取引の条件とするのは難しい。まずは己の、王国の手に何があり、それをどう使うかを考えなければならない。
※ ※ ※ ※ ※
「それでそなたが整理した現状がこれ、ということか」
更に翌日の昼下がり。国王の執務室で拝謁したルドヴィーコは、部下の書記官たちがまとめた資料をもとに、王に報告を行っている。
「仰せのとおりにございます、陛下」
「ままならぬものよな」
小さく笑みを浮かべて国王が言う。は、と頭を下げたルドヴィーコに、よいよい、と軽い調子で王は手を振った。
「事実であろう。まずはそれを確かめぬことには始まらぬ。よく調べてくれた」
つまるところ問題は、職人や商人が扱うべき品の不足なのだ。マレスという供給地を失った上は、どこかからそれを調達しなければ何もできない。無理に集めようとすれば金がかかり、中小の商会や工房はその負担に耐えられない。執政府がその負担をある程度肩代わりすることは可能だが、続ければ無限に予算を吸い取られることになる。そして、無限に金の湧く何かを、今のサンサール王国は持たない。
現状のまま事態が推移すれば長くて3年。だが、それはあくまでも「現状が大きく変化しなければ」という前提に基づいた予測に過ぎない。
「我々が求めていることが知れれば値が上がる、か」
「その可能性がございます。我々が買えるぎりぎりのところまで。そうさせぬためには、別の買い付け先を確保しておくほかありません」
国王もルドヴィーコも、お互いに気付いてはいる。口に出さないだけだ、と知っている。
「――陛下」
「ならんぞ、今は」
口火を切ろうとしたルドヴィーコに、国王は素っ気なく応じた。
「しかし陛下、マレスも羊毛や毛織物をだぶつかせておるはずなのです」
「わかっておる。だが今は無理だ。まだ半年、捕虜もほとんど戻ってきてはおらぬ。こちらから通商のために条約などということになれば、国内の貴族を抑えきれん」
ふたりとも、その名は出さない。出す必要がないからだった。名を言わずとも、話題の中心にあるものが何であるかは了解されている。
「教会に仲介を依頼する、というのは」
「まだその方がよいかもしれぬ。だが、教管区の分離からもまだ半年だ」
サンサール大司教が、己の教管区からマレス侯爵領と周辺の諸領を分離し「マレス教管区」を設立する、と布告したのは、停戦が成った直後だった。無論それ自体は、純然たる教会内部の出来事であるから、王国として公式に口をはさむことなどできない。だが、当時王太子であった国王は、大司教を王宮へ呼び、「拙速な教管区の分離は『誤解』を生む」として不快感を表明している。教会がマレスの独立を認めたと同義であるからだった。王室として必要な行動ではあったが、教会との関係は悪化した。修復には、相応の時間がかかる。これまで取ってきた行動と、そして王室の権威。そのふたつが、今の王の行動を縛っている。
「とにかく、あの商人どもの提示してきた案では実質、独占的な交易権の付与、ということになるのだろう。それだけは避けよ。多少の優遇はしてやらねばなるまい」
「教会か、あるいは捕虜の返還のための随員を使って、マレスの内情を探る、というのは」
「細部の調整はノール侯、そなたに任せる」
ひとまず情報を集めなければ何もできない。そう考えて出した案に、国王は頷いた。ひとまず最低限の動きはできる――本当に最低限のものに過ぎないが。ルドヴィーコはひとつ息をついて、ぬるくなり始めた茶のカップを手に取った。ここしばらく自己主張をやめることのない胃痛は、当分収まってくれそうになかった。




