侯爵令嬢アリアレインの密談(1)
翌日の午後。
侯爵公邸の庭園に設えられたお茶会の席。タリム・マガン王子の一行は、いくつかのテーブルに分けて案内された。年嵩の側近、サダール・ナウマンはかすかに不満そうな表情を見せたが、その不満を口に出すことはできない。
「ナウマン殿、殿下と娘は昨日の対局について語りたいこともありましょう。ここは貴国の次代でご活躍なさる殿下と、わが領の次代を担う娘が存分に語り合える場としたい」
「ああ、それは実に有難いお心遣い。時間が許すならば一手一手じっくりとお考えを伺いたいものです」
父としての顔で持ちかけたランドルフの言葉に、ルハームが笑顔で頷く。
「わたしも是非いろいろと伺いたく……実は、いただいた盤と駒、それに昨日の棋譜を持参してしまいました」
「なるほど。それではますます、腰を据えてお話しさせていただかねば」
アリアレインの傍に控える従者の手には、布を掛けたトレイに載せて、贈り物のチェス盤と駒、それに紙の束と筆記用具がある。
「そのようなわけですから、殿下、よろしければもう一度娘にお付き合いください。ナウマン殿はこちらへ。私としても、是非いろいろとお聞かせ願いたく」
そのような流れでさあどうぞ、と案内されてしまえば、サダールに断ることなどできはしない。相手は独立したてとはいえ、一国の主なのだ。自ら歓談に誘われてしまえば、それを受け入れる他はない。ルハームはアリアレインが東屋へ案内し、サダールはランドルフによって、別の東屋へ案内された。
※ ※ ※ ※ ※
テーブルについたのは6人。アリアレインとアーヴェイル、警護役のサレア。ルハームとファルハン、そしてナセルという名の側近。6人に紅茶と菓子が供され、お付きの従者たちが下がる。
「ようやく落ち着いてお話しができます、殿下」
「あなたと侯爵閣下に感謝を。まさに、私が望んでいたことです」
アリアレインは注がれた紅茶を一口飲んで、前置きなく切り出した。ルハームも落ち着いた口調で応じる。
「紙とペンまでご用意くださるとは望外です。こういったことに誤解や行き違いがあってはいけない」
「まさしく。お互いに必要かと思いましたので」
アリアレインの返答に、ルハームが頷く。
どちらからともなくチェス盤に駒を並べ、昨日の対局の棋譜に沿って駒を動かしてゆく。定跡どおりの序盤を経て、中盤の入り口まで。
「ここまで、でしょうか」
ルハームが定跡から外れていった手の前、自分の指し手までを動かして、アリアレインが尋ねる。
「そのようです。検討が必要なのはここからかと」
落ち着いた声で、ルハームが応じた。
「まずは骨子のみお伝えします、次期女侯爵閣下。私は、あなたたちと通商のための条約を結ぶ用意があります。サンサールとマレスの間の交易を仲介し、あなたたちが抱えておられる問題を解決できるような」
「――問題とは、殿下?」
平静な口調のままではあったが、アリアレインの声の調子はほんのわずかだけ硬くなっている。隣に座るアーヴェイルでなければ、その差に気付かないほどだけ。
「マレスの産業の出口が狭くなってしまっていること。そして、その狭い出口を、塞がれようとしていること」
「それを、どのように解決してくださると?」
「マレスの産品の最大の出口はサンサールでした。将来的には別の出口もありえましょうが、大きな出口が急に狭くなれば、それは大きな損失でしょう。国にとっても、商人たちにとっても」
アリアレインが頷いた。アーヴェイルは表情を変えない。だが、内心舌を巻いている。タリム・マガンは商人の国だ。ゆえに、遠いマレスやサンサールの事情であれ、ある程度は掴まれている、と想定していた。実際のところ、マレスの抱える問題を、第3王子であるルハームは正確に把握している。
「マレスは豊かな土地でした。今もそうでしょう。おそらく数年は時間があり、その間に状況を打破できる。侯爵閣下も、あなたも、そのように考えておられた。そこへ、もうひとつの問題が生じた。私の理解は間違っているでしょうか?」
「大枠では正しいかと、殿下。御慧眼に感服の至りです」
アリアレインと視線を交わし、アーヴェイルが答えて会釈する。
「つまり、私たちにはそれらを解決することができます。サンサールとマレスの間で、現状、直接に交易は難しい。しかし、両者と交易が可能な誰かが間に入ればどうでしょうか」
マレスとサンサールの間で交易が困難なのは、サンサールにとって、マレスが叛徒であるからだ。対等な国同士として交易のために必要な条件を定めることができない。それをしてしまえば、サンサールはマレスを叛徒ではなく対等の相手として認めたことになってしまう。だが、両者のそれぞれと友好的な関係を築いている別の国が間に立つのならば、直接の関係を持たずとも交易は可能だ。
「また、私たちは、マレスの近海において、商船の護衛や哨戒を行うことができます。無論それには、マレスの――侯爵閣下や次期女侯爵閣下のお力添えが必要となりますが」
「と、仰いますと?」
「寄港の許可、物資の補給、傭兵としての報酬の負担。タリム・マガンを離れて護衛なり哨戒なりを行うためには、相応の準備がなければ」
「――道理ですね」
アリアレインが頷く。マレスにも、そしてサンサールにも、常設の海軍は存在しない。必要に応じて商船が武装し、あるいは武装した商船を国や諸侯が雇い入れる。陸で活動する軍以上に使いどころの難しい海軍は、常時維持しておくには高価すぎるものなのだった。
交易そのものを国の主要な産業とするタリム・マガンでも事情が大きく変わるわけではないが、海の傭兵としての質は高い。それは航海と操船の能力の差であり、幾度も実戦を行っているという経験の差でもある。
そしてその差はそのまま、価格に反映される。ルハームが口にした『相応の準備』には、そういったことも含まれていると考えなければならなかった。




