侯爵令嬢アリアレインの妙手(4)
ややあって1曲を踊り終え、戻ってきたアリアレインとルハームを、アーヴェイルは立ち上がって出迎えた。
「見事な足さばきでいらっしゃった」
「ありがとうございます。不慣れなもので、奥方様にはご迷惑を」
「あら、あれだけお引き立てくださったのに」
アリアレインはルハームに向けて優雅に一礼し、アーヴェイルの手を取った。
「アリア様?」
そのまま席に着くもの、と思っていたアーヴェイルが、訝しげにアリアレインの名を呼ぶ。
「旦那様は、誘ってくださらないのかしら?」
「お望みのとおりに、アリア様」
改めて、アーヴェイルがアリアレインの手を握る。
「閣下、リディール殿をお誘いしても?」
ファルハンが丁寧な態度でアリアレインに尋ねた。
「サレア、どう?」
「わたくしでよろしければ、喜んで」
※ ※ ※ ※ ※
夜も更けて宴も終わり、遠来の客は離れへと去った。
だが、侯爵家の主だった者たちはまだ休めない。翌日のお茶会のために、情報をすり合わせておく必要がある。
「やはりあの年嵩の、ナウマン卿か。あれがおそらく、密談から外したい相手だろうな」
口火を切ったのはランドルフ。自分がついたテーブルでのやり取りを思い出している。食事そのものの話題と儀礼的なやり取りのみで、実のある話はほぼ交わされなかったと言ってよい。その後の踊りの時間を前に、サダール・ナウマンはルハームにもう一度異論をぶつけている。
『さて、この後は少々踊りを楽しむ時間とするつもりでおりますが……殿下、誰かお相手としてお望みの者は?』
『ありがたきお心遣い、痛み入ります。では、次期女侯爵閣下――お嬢様と』
ランドルフとルハームのやり取りに口を挟んだのは、年嵩の側近のサダールだった。
『夫君がおられたのでは?』
『いやいや、社交として殿下にお誘いいただけるのであれば、アリアも喜んでお受けするでしょう。アーヴェイルも嫌とは申しますまい』
あからさますぎる、と思いながら、ランドルフはサダールの懸念を受け流した。
『閣下もこう仰っておられる。それに、サダール、先ほどの一局のお礼もまだ申し上げておらぬのだ』
接触を禁じられているのか、あるいは別の利害関係があるということなのか。ルハームは口実を作ってまでマレスに立ち寄り、サダールはそれを良く思っていない、ということは確かなようだった。
「わたしが見る限り、側近方の中で殿下に最も近いのがファルハン様――ハザール卿」
「私にも、そのように見えました」
アリアレインが述べた観察の結果を、アーヴェイルもまた肯定する。
「では決まりだな。儂とあのナウマン卿。アリア、アーヴェイル、そなたたちが、ルハーム殿下とハザール卿」
「はい、お父様」
「かしこまりました、閣下」
「そなたにはわかっていることと思うが、アリア」
「言質を与えるようなことはいたしません、お父様」
「――まあ、込み入った話であれば、あちらも即答は求めぬだろうが」
「むしろそのためにこそ、わたしを密談の相手と定められたのでは、お父様?」
首を傾げたアリアレインに、ランドルフは苦笑する。
「わかっておるならば、それでよい」
わざわざアリアレインを話相手として指名したのは、決定権を持たぬがゆえ。チェスの相手を譲ったのは、次期女侯爵が油断ならない相手であると認めさせるため。ランドルフは先を見越して手を打ち、アリアレインはその期待に応えた。
ランドルフの言葉に頷きながら、アリアレインは、ルハームの笑顔を思い出している。全力で競える相手を、あるいは共犯者を、見つけた者の笑みだった。
※ ※ ※ ※ ※
「……旦那様」
「どうなさいましたか、アリア様?」
ふたりの寝室で、アリアレインはベッドに入っている。いささか眠たげな表情だった。
「曲者だと思うのよね、あの殿下」
「……ええ。私にもそのように」
「チェスのときにね」
あふ、とあくびを噛み殺しながら、アリアレインが続ける。
「変な手を指したでしょう。急に定跡から外れて」
「失着に見えましたが」
部屋にいくつか供えられた燭台の、火がともる蠟燭を消しながら、アーヴェイルが応じた。
「あれ、多分わざとなのよね。理由はわからないけれど。試されていたのかも」
「失着を失着と見抜けるかどうか?」
「それも。あとは、勝っても負けても角が立つ対局だから」
「……どう対応するかを見ていた、と?」
それで、とアーヴェイルは心中深く納得した。勝ちつつあるのに険しい表情をしていた妻と、負けつつありながら笑みを浮かべていた異国の王子。
「ええ。あからさまじゃないように、と気をつけて、引き分けにしたけれど」
「勝っても負けてもよろしくはない。であれば、最良の結果だったのでは?」
「そうかもしれないわね。でも、たぶん、彼はわたしたちと何がしかの交渉がしたい」
「そうでしょうね」
ベッドの傍、最後にひとつ残した燭台の前で、アーヴェイルはアリアレインに視線を送る。アリアレインが小さく頷いた。蝋燭の明かりが消え、寝室に闇が落ちる。ほんのわずかな間があって、羽根布団が持ち上げられ、左隣にアーヴェイルが入ってきた。
「アリア様は、何を気になさっておいでなのですか?」
明かりの消えた寝室で、アーヴェイルの姿は見えない。落ち着いた低い声だけが、間近から聞こえる。温かい布団に入ったばかりの手は、ほんのわずかに冷たい。アリアレインはその手を、両手で包み込んで撫でた。体温を分け合うように。
「交渉の相手なら、すこし侮ってもらうくらいの方がよかったかしら、って」
「そうかもしれませんが」
アーヴェイルがかすかに笑う。
「あの殿下も、あれで理解されたことでしょう。対等な交渉のできる相手だ、と」
「そうかしら」
「おそらくは」
言葉が途切れ、温かくなったアーヴェイルの右手が、アリアレインをそっと抱き寄せる。
「今日はお疲れでしょう、アリア様。ゆっくりお休みください」
返事はもう、必要なかった。アーヴェイルの肩と胸に頭をもたせかけると、髪と背中が優しく撫でられる。その感触を楽しむうちに、アリアレインの意識は、眠りに落ちていった。




