侯爵令嬢アリアレインの妙手(3)
それから数刻。
ルハームほか、随行の主だった者たちは、マレス侯爵が催した宴に招かれている。
『遠来の客人として皆様を歓待したい。ついては、ささやかな宴を用意したので是非ご参加いただけないだろうか』
ランドルフは、離れに腰を落ち着けたルハームたち一行に、そのような招待状を出している。ルハームの側としても断るような理由はない。略装で言葉を交わした昼の会談とは異なり、互いに盛装だった。ひとつには相手に対して失礼にならないように、もうひとつには相手に侮られることのないように。
「――お嬢様」
「なあに、サレア?」
「なぜ私まで盛装なのですか」
控えの間に呼ばれ、自身も盛装させられた、サレアという名の女性従士が恨み言のように尋ねる。
「だって、そういう会だもの」
「そうは仰いますが――」
「あなたは警護役なのだから、わたしの傍にいてくれないと困るでしょう?」
「しかし」
「次期女侯爵の警護役なら、この先いくらでもこういう機会はあるわ。それにわたし、陪席に相応しくないと思ったら呼んだりしないわよ」
「私からも頼むよ。今回は非公式の宴だからね。いずれもっと格式の高い場に出なければいけないこともあるだろうから、その前に」
「――はい」
王都で傍に付いていたアーヴェイルは片腕を失い、そして次期女侯爵の夫になった。純然たる警護役は、そのあとからサレアの役目になっている。幾度か行われた披露の宴の折には、内向けの、そしてめでたい場であるから、ということでサレアも特に不安を述べはしなかった。
だが、今回は、非公式なそれとはいえ、外交の一端となるような席である。振る舞いひとつにも神経を使う場であろうことは間違いがない。サレアはそれを恐れているのだった。
「あちらの殿下と直接お話しするのはお父様ね、今日は。わたしと同じテーブルはあなたと旦那様、あちらの側近の方が3人になると思うわ」
公式な晩餐であれば、座の上下がはっきりとした場を作らざるを得ない。親しく会話を交わすことも難しければ、込み入った話をすることもできない。ランドルフとアリアレインが採った方策は、あくまでも非公式の格式張らない晩餐だった。複数の円卓を広間に並べ、どちらが上か下か、という部分を曖昧にする。相手の意図や出方がまだわからない以上、急な寄港ということを逆手に取って、非公式なやり取りに徹する、というのが侯爵家の方針だ。
「だから、あまり固くなる必要はないの。周りを見て、話をして、場の雰囲気に慣れてね」
「はい」
アリアレインの言葉に、サレアの表情が和らぐ。あくまでも非公式な場。主賓を接遇するのは主君であるマレス侯爵ランドルフ。そこに侯爵とその娘の気遣いを感じたのだった。
※ ※ ※ ※ ※
「では、リディール殿は警護役、と?」
「はい。次期女侯爵の身辺の警護を」
侯爵公邸の大広間。アリアレインやアーヴェイルと同じテーブルについたサレアは、ルハーム王子の側近たちと和やかな会話を交わしている。
「今のお姿からはとてもそのようには見えません、と申し上げたいところですが――」
小さく笑って、フェイマーン・ハザールと名乗った側近が言う。
「なにか?」
「いや、お手が。厳しい鍛錬を積まれた方の手だ、と」
「……!」
言いながら、フェイマーンは自らの手を開いてみせる。グラスを手にしたサレアが、自分の手に視線を落とした。
「ああ、申し訳ありません、他意はないのです。お美しく、しかも鍛錬を積んでおられる、と申し上げたかっただけなのです」
「リディール殿、その男はいつもその調子です。騙されてはなりませんぞ」
「お上手なのですね? 用心しなければ」
フェイマーンが付け加えた言葉に、別の側近が真面目くさった調子で口を挟む。和やかで控えめな笑いが広がった。
「あまり当家の従士をからかわないでやってください」
アーヴェイルの言葉も、窘めたり真剣な抗議というよりは軽口に近い。
最初こそ儀礼的なやり取りに終始していたが、時間が経ち、同じテーブルでともに食事をして、酒なども入れば徐々に打ち解けてくる。テーブルにいる中ではアーヴェイルと側近たちがほぼ同じような歳であり、サレアがそれに続き、アリアレインはもっとも若い。歳の近い者たちの気安さで、軽口を叩けるようになっているのだった。
アリアレインは時折相槌を打ち、ともに笑い、尋ねられたことに応じる程度。アーヴェイルには、意図的に自分の存在感を消しているようにさえ見えた。
やがて食事が終わり、お抱えの楽団が静かに演奏を始める。
ランドルフたちが会食をしているテーブルからルハームが立ち上がり、アリアレインのテーブルへ足を向けた。
「メイロス=ハーゼン卿」
会釈して声をかけたルハームに、アーヴェイルも立ち上がって一礼する。
「いかがされましたか、殿下?」
「侯爵閣下に、ダンスの時間と伺いました。奥方様――次期女侯爵閣下をお誘いしても?」
あくまでも礼儀正しい態度で、ルハームが尋ねる。アーヴェイルは笑顔でもう一度礼をした。
「私に否やはありません。妻も光栄なことと喜びましょう」
アーヴェイルが差し伸べた手を取って、アリアレインも立ち上がる。
「では、どうかひと時をともに、閣下」
「喜んで、殿下」
ルハームの踊りは巧みだった。自然で正確な足運び、余裕を持ったリード。主賓であるのに自己主張をすることなく、アリアレインを引き立てる動きに徹している。広間の中央に誘ったのはアリアレインかルハームか、見ただけでは容易にはわからない。
「殿下、いただいたお手紙について、父から言伝が」
アリアレインの言葉は、楽の音に紛れて、ルハームの耳にしか届かない。
「伺いましょう」
ルハームの言葉もまた。
「明日の午後、お茶会にご招待を、と。わたしと夫、あなたとハザール卿で」
「承りました。それでは、閣下、またお相手くださるのですね?」
遠目には、笑顔で短く言葉を交わしたようにしか見えない。
「どのような手を指してくださるのか、楽しみにしております」
アリアレインの言葉に、ルハームの笑顔が大きくなる。愉しげに。
テーブルからその笑顔を見たファルハンが、小さくため息をついた。それはルハームが、対等の敵手を認めたときの笑みだった。




