侯爵令嬢アリアレインの妙手(1)
次期女侯爵夫妻にその報がもたらされたのは、それから数日後のことだった。
「船が? どこの?」
「タリム・マガンの船が3隻。いずれも大型船です。マストに旗で、入港の許可を求める、との信号を」
尋ねたアリアレインに、従士が答える。タリム・マガン。マレスのはるか南、海を越えた向こうに存在する大国。サンサール王国との交易が盛んで、マレスはその中継港の役割を担っていた。
「入れるのよね?」
「はい。間もなく接岸の頃合いかと。それと」
「どうしたの?」
「メインマストに有翼獅子の紋章旗が」
従士の言葉に、アリアレインが目を見開く。翼を持つ獅子を意匠化した紋章は、タリム・マガンでは王族のみが用いるものだ。つまり、王族が座乗している船、ということになる。
「まさかあちらの王陛下、ということはないと思うけれど……忙しくなるわね。ありがとう、あなたは下がっていいわ。お父様には?」
「既に。閣下は、急ぎ会見の支度を整えるよう、とお命じになられました」
従士の返答に、アリアレインが頷く。ただの商人であれば商館に対応を一任してしまって差支えないが、相手が王族となれば話は別だ。マレス侯爵として会見しなければならない。
「わかりました。では、わたしと旦那様も準備を。お父様には、後ほどお目にかかりに参ります、とお伝えしておいて」
一礼して従士は退出した。
「公式の訪問、ということはないわよね、旦那様」
「はい。例年通りであればあちらの大商人、交易の条件を見直す場合は官僚が来ることに。王族というのは異例です。そもそも、公式な訪問であれば、前々から先触れがありましょう」
ふたりになった執務室で、執務机から立ち上がりながら、アリアレインが尋ねる。問いかけるというよりも、確かめるというような語調だった。アーヴェイルの返答も、落ち着いたものだ。
「偶然、ということ? それにしては出来すぎていないかしら?」
「あるいは、偶然を装っている、ということかもしれません」
「――ありそうなお話ね」
それが公式のものであれ、非公式のものであれ、偶然であれ意図的なものであれ、やるべきことは変わらない。威儀を正して迎えねばならない――マレスという国が、あるいは侯爵家が、侮られることのないように。
※ ※ ※ ※ ※
マレス侯爵ランドルフ・ハーゼンとタリム・マガン王国第3王子、ルハーム・アルダヤールとの会談は、侯爵公邸の談話室で行われた。同席者は双方の側近がそれぞれ数名のみ。ごく内々の、非公式な会見である。
「侯爵閣下のお心遣い、まこと感謝の念に堪えません」
「いやいや、貴国には当領所縁の商人たちがいつもお助けいただいているのです。むしろこのような形でその返礼をできたことは喜ばしい限り」
型通りの挨拶を済ませ、席についたあと、口火を切ったのは若いルハームだった。ランドルフが落ち着いた様子で応じる。
ランドルフと同じテーブルについたのは6人。マレス側がランドルフ、アリアレイン、アーヴェイルの3人。タリム・マガン側にルハームほか側近ふたり。彫りの深い顔立ちに整った口髭と顎鬚。そこだけ見れば年長にも見えるが、ルハームの年齢はアーヴェイルとほぼ同じ。ランドルフの年齢はむしろ、海の向こうにいるルハームの父王に近い。
マレスに入港したルハームは、竜翼半島沖を航行中に、船内で真水を貯蔵している樽が破損したため、修理と水の補給のために、と理由を説明していた。これを聞いたランドルフは、必要な修理と補給を行うことを約束し、ルハームを侯爵公邸に招いている。あくまでも偶発的な、非公式の訪問であるから、謁見という形ではない。窮状に陥った船を助けたらたまたま王族が乗っていたため慌てて招待した、というのが、両者が組み立てた筋書きである。
「急なこととてなかなかおもてなしもできませんが、修理にも補給にも少々時間はかかりましょう。今日はどうか、当家にご宿泊いただきたい。離れの一棟を整えさせておりますゆえ」
「それはまことにありがたい。私は船で一向に差支えなどありませんが、家臣たちには苦労をかけておりますからな。陸へ上がれるとなれば喜ぶでしょう」
「殿下、そこまでしていただいては申し訳――」
「ああ! まったく侯爵閣下は度量が大きくておられる。サダールよ、こうまで言ってくださっているのだ。断る方がかえって非礼というもの」
腰軽く招きに応じようとした主君を諫めるように割って入った側近のひとり、サダール・ナウマンの言葉を、ルハームは大仰に手を広げて遮る。遮られた年嵩の側近が顔をしかめた。
「しかし殿下、陛下やわが国の立場というものが」
「ここへお招きくださったのも閣下のご厚意ではないか。心配ならばサダール、そなたが私についておればよかろう――申し訳ありません、ハーゼン閣下。口うるさいようですが、これで私のことを気にかけてくれているのです」
「諫言してくれる家臣ほどありがたいものはありません。殿下、あなたはよいご家臣を抱えておられる」
悠然と応じながら、ランドルフはなるほど、と思っている。王子が口にした寄港の理由はやはり建前。実際には意図してマレスへ立ち寄った。そして、この王子とマレス侯爵が結びつくことを警戒する家臣がいる。タリム・マガンも一枚岩ではない、ということだ。止めようとしたのはお目付役ということなのかもしれない。
「もったいないお言葉。わが家臣たちにも励みになりましょう」
笑顔でルハームが応じる。
「ところで閣下、ご助力のお礼として、ささやかながら贈り物を用意いたしました。どうかお受け取りくださいますよう」
ルハームと同年代の側近が、低いテーブルの上に贈り物を並べてゆく。
美しい絹織物の生地、香水の入った幾つかの小瓶、陶製の小さな壺に収められた茶葉。象牙と黒檀を嵌め合わせて作られたチェス盤、小粒の宝石で飾られた象牙と黒檀の大ぶりな駒のひと揃え。
「これは素晴らしい。有難く頂戴しましょう。とは言え、我々も海の流儀に従って手助けをしたのみ。ただいただいては申し訳ない――あれを」
ランドルフが振り返り、控えていた侍女に頷く。すぐに侍女がワゴンを押して談話室に入ってきた。ワゴンに載せられていた品々を、同じようにテーブルの上へ並べてゆく。
極細の糸で織られた毛織物の生地、ガラス製のペンとインク壺、ガラスの小瓶に収められた香水、ガラスの瓶に詰められ、封をされたワインを幾本か。
それは儀礼としての贈答であり、同時に示威行為でもある。様々な産品をやり取りし、自国の生産力や経済力を見せつける、という。




