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侯爵令嬢アリアレインの追放  作者: しろうるり
第2章:侯爵令嬢アリアレインの帰還

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侯爵令嬢アリアレインの懸案(3)

 祐筆が紙挟みから取り出したのは、上質な羊皮紙だった。使われているものだけを見れば、親書というよりは布告に近い。特定の誰かに、ということではなく、兵として戦に駆り出され、そして捕虜となった兵みなに、ということなのだろう。

 中身を一読して、アリアレインは黙り込んだ。


「……アリア様?」


 しばらくそのまま動かないアリアレインに、アーヴェイルが気遣わしげな声をかける。ひとつ息をついたアリアレインが、隣に座るアーヴェイルに羊皮紙を手渡した。

 同じように一読して考え込む表情になったアーヴェイルに、アリアレインが追い討ちのような一言をかける。


「それ、彼の直筆よ、旦那様」

「筆跡が?」

「ええ。幾度か見た彼の筆跡」


 中身として書かれていることは、難しいものではない。捕虜となった兵たちを労る言葉から始めて、今の捕虜たちの境遇は捕虜たち自身の責任ではないということ。したがって捕虜となったことを罪に問う気はないこと。すべての捕虜が解放されるよう教会を通じて交渉を行うこと。全員が故郷に戻れるよう力を尽くすこと。そしてそれらすべてを王の名において誓うのだから、希望を捨てずに待つように、という趣旨のこと。それらが、平易な文章でもって記されている。


「失礼ながら、少々――」

「信じられないわね」


 アーヴェイルが濁した語尾を、アリアレインはすっぱりとした口調で声に出した。


「でも、確かに彼の筆跡なのよ。起草したのは別の誰かかもしれないけれど、書いたのは間違いなく彼。中身を理解した上で、堅苦しい言い回しを使わずに、平民の捕虜のために書いてるの。あの彼、あの男が」


 つい数か月前までの王太子、エイリークであれば、絶対にそのようなことはしなかったはずだ。独断で己の婚約者の追放を決めた張本人であれば。だが、事実として、見知った筆跡が、見知っていた頃と同じであれば絶対に書かなかったであろうことを書いている。すべてが当人の発案ではないにせよ、そういった案を出せる臣下が今のサンサールの宮廷にはいて、エイリークもそれを受け入れている、ということだ。


 封をしないまま封筒に入れられたもう1通の書状も同様だった。囚われた先遣隊長に宛てて書かれた書状は、これも特別なことを書いてあるわけではない。労をねぎらい、その忠誠を疑っていないことを記し、帰還の折には名誉ある捕虜として迎えることと、それは他の貴族や騎士も同様であることを書いている。


『余は皆と王都で再会することを望んでいる。ひとりとして欠けることを望まない。そなたからそれを、皆に伝えてほしい』


 短い書状の末尾はそう結ばれ、その下に署名が書かれている。署名の筆跡は、本文のそれと変わらない。王直筆の書状。


「それと、教会を通じてあちらの要望が」

「……どんな?」

「『敗軍の将兵ゆえ、多くは望まない。ただ、同じ教会に属する信徒として、名誉に欠けることのない扱いを望む』と」


 アリアレインが長いため息をつく。同じ教会の信徒という立場を持ち出され、そして教会を通されてしまったのならば、無理のない範囲で要望は叶えなければならない。もとより、重要な交渉の材料になる捕虜たちでもあるから、粗略に扱うつもりはなかった。だが、断りようのない要望を、最初の捕虜が戻ったこのタイミングで出してくるというのは、アリアレインの想定を超えている。


「どういうことなのかしら」


 呟くように口に出す。


「あちらの宮廷で、なにかが変わった、ということでしょう。こういった気遣いをできる人物が近くにいる、ということかと、アリア様」

「彼にもまだ運が……まあいいわ。教会と、それから捕虜の返還を通じて、停戦を保っておきたいのはこちらも同じ。お父様のご意見は?」


 当然の推測を当然のものとして告げるアーヴェイルの口調は、普段のそれと変わらない。心穏やかでいられるものでもないはずだが、それでも自分が激情するわけにはいかない、と律しているのだろうと思われた。そのことに安堵を覚えながら、アリアレインは祐筆に尋ねる。


「従来通りの対応で問題はなかろう、あちらには『名誉ある捕虜として扱っているので心配には及ばない』と返しておけばよい、と」


 父侯爵の対応方針は、アリアレインの考えたそれと同じだった。外交としては大きな意味を持たない要望。だが、そういった要請を出したこと自体は、教会を通じてサンサール王国の内側にも広まる。国内に向けた念押しのようなものと考えれば、そのような行動も腑に落ちる。


「案外、短期間で立て直すかもしれないわね」


 派手でも華麗でもなく、地味で目立たないが確実に効果のある手を打ってくる。それはアリアレインの知る王太子時代のエイリーク王とは異なる姿だった。

 エイリークの年齢は、二十を超えている。二十年かけて育てた性格を数か月で変えることなど、ほぼ不可能と言ってよい。だが実際に、書状や伝言から見えるエイリークのありようは、アリアレインの知らないそれに変化している。まさにアーヴェイルが言うように、誰かが近くに付いたのだろう。アリアレインの認識していなかった誰かが。


「次に捕虜の返還のときにでも、すこし情報を集めた方がよさそう」

「それほどですか?」


 アーヴェイルの声に含まれたかすかに不満そうな響きを、アリアレインは聞かなかったことにした。


「まだ、わからないわね。でも、それを知るためにも、情報は集めなければ」


 ちらりとアリアレインに視線を向けたアーヴェイルが、祐筆に向かって頷いてみせる。はい、と応じた祐筆が何かを手控えに書き留め、一礼して退出した。


※ ※ ※ ※ ※


「彼に興味をお持ちなのですか?」


 書類を抱えた祐筆が退出し、またふたりになった執務室で尋ねてしまってから、アーヴェイルはその言葉を口に出した己を内心で叱った。言わでものことを言ってしまったという後悔が、胸中にある。


「敵手としてね」


 正面から否定はせず、アリアレインはただそう付け加える。小さく息をついたアーヴェイルの耳に、かた、と小さく椅子の立てる音が聞こえた。


「旦那様は」


 立ち上がり、執務机を回り込むようにして近づいたアリアレインが、ついと手を伸ばしてアーヴェイルの頬に触れる。


「案外、独占欲が強いのよね。そうは見えないのに」

「……っ」


 たまらずにアーヴェイルが視線を逸らす。ふふ、と小さく笑ったアリアレインが、触れた頬を撫でた。


「心配なさらないで、旦那様。わたしが興味を持っているのは彼ではないの。彼の行動と、その裏にある事情。それだけよ。旦那様はご存じでしょう?」


 補佐役として付けられたときから幾年かを経ても変わることのない、悪戯っぽい笑顔を浮かべて、アリアレインが小首を傾げる。

 なにを、と問おうとしたアーヴェイルに先回りをするように、アリアレインは自ら答えを口にする。


「わたしの心は、誰かが奪っていってしまったのだもの。それがどなたか、旦那様はご存じのはずよね?」


 もうご容赦ください、と白旗を揚げたアーヴェイルに、わかればよろしい、とアリアレインが鷹揚な態度を作って頷く。


「それでね」

「はい」


 気を取り直して顔を上げたアーヴェイルは、どこか愉しげなアリアレインの言葉で、もう一度頭を抱えることになった。


「旦那様、次の祐筆を呼ぶまで、どのくらい待てばいいかしら?」

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― 新着の感想 ―
不憫おぢが孤軍奮闘頑張ってると思うと萌えるな
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