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7/21誤字訂正
「なあ、ライナス。あの説明でゼファー・ミュールズは納得したと思うか?薔薇の件は問題ないと思うが、戦を回避したいのは、ローゼ領だけという弱味はある。リクソール候と同盟を結んでいるから、リクソール候も兵を自領から送る事になるから、避けたいという考えになるかもしれないが、そうは言っても海が手に入るのは魅力的な話ではあるだろう?」
アンディが高位貴族の圧力をかけて、ゼファーを圧倒してしまって、相手に何も言わせない高圧的な話し合いともいえないものになったが、ローゼ領も譲れないところなので、少しでも付け入る隙を与えずに情報開示以外は譲歩しなかった。
「アンディ様はご立派でした。お小さいころから知る身とすれば、おそれながらご成長に感動致しました。それに領軍にいつ戦闘になっても戦えるように、たびたびいらしては新しい武器を持って来て、トールに試させていらっしゃる事も、私の耳にも入って来ています。皆も、若様はどちらの可能性も考えてらっしゃると言っております。国が戦争へと舵をきっても、ローゼ領に死角はありませんので、ご心配はいりません」
「そうか…もしも戦争になっても、リクソールの戦力の助けや、こちらの地が荒れても、食料などの助けを得られるのは気持ち的に大きいな。レティシアが嫁に来る以上、リクソールも全力で助けてくれるはずだからな。嫌々でも俺と結婚してくれるレティシアには感謝しかないな」
ライナスも、地理的にもランドールから後ろを突かれない点においても、リクソール家との同盟は必至だと同意した。
アンディとライナスは、情報開示にあたり様々な可能性を考えたが、ライトンの台頭により、戦闘の可能性が段々と高くなって来て、リクソール家に情報を伝える必要が出てきていた。査察が入らなければ、もう少し時期をみたと思うが、どうせなら、セフィールが室長を務めているこの時期が、一番都合が良いと考えた。しかも査察団の代表はリリアナだという。
この機を置いて無いと考え、色々な事に難癖を付けられるのが査察団であるので、何かしら貿易について探りを入れられるとは思っていたので、公にするのに一番リスクが低い今、事の次第を打ち明けた。ゼファー・ミュールズに誓約書をとったのも、万が一にもセフィール以外には口外させない為だった。いくら守秘義務があっても、自領の利益を考えない筈は無く、マクドウェル伯爵に話されたり、食料の備蓄を増やしたりと怪しげな動きをされれば、ランドールの派閥に感づかれてしまう。
これで、ゼファーの動きは完全に封じられたので、後はセフィールの考えとリュークの考えの妥協点で王都で話が進むだろう。
レイモンドも戦になればアーデン領の兵士を出す事にはなるが、今回の事は主家の決定に従うのみと、完全に副領主ではなく、分家の姿勢をとった。
♢♦♢
ゼファーは、自分が国の重大事を聞かされてしまった事を自覚していた。藪をつついて蛇を出すという失態を犯してしまったが、これはローゼ家の嫡子が、リクソール侯爵に内情を伝えたいと思って話した事で、ゼファー自身は完全に巻き込まれたものだと思うが、かと言って監査に無関係ではない。
アンディにも言った様に、リリアナに相談するしか道がない。リリアナが、監査室室長のセフィールの夫人であった事は、幸いだったと思う。この話が広がれば、国の行く末が大きく変わってしまう。ゼファーとて監査室に居る以上は、国の民の平安を望む官吏の一人である。この事案を利用して、戦争に導こうとする者が存在する事実は否定出来ないし、ゼファーが望む平和が正しいとは言い切れない。
隣国が弱っているうちに潰してしまった方が、後々の事を考えれば良いのではないかとも思う。まして今のローゼ公爵家は、リクソール侯爵家と同盟を結び、他の追随を許さない軍事力もあり、当主が宰相職を務めているので、政治発言力も強い。
この機会に後顧の憂いを絶った方が良いという者がいたとしても、ゼファーも完全に否定する材料が無い。ただ、犯罪者などを捕まえたりというような仕事をしていると思うのは、唯々、誰も傷つかない平和を望んでしまうという事だ。ゼファーとて甘い考えだとは思うが、隣国の人とて、争いに巻き込まれれば死人も出て、その家族も泣く事になる。そういう未来が近いかもしれないと思うと、胸が痛んだ。
ゼファーは、セフィールにローゼ家に是正勧告を出せる権限を貰っていたが、事が国単位の話になってしまったので、やはりリリアナに情報を話すべく、割り振られた客室への訪問を部屋付きの侍女を通して打診すると、『二十分後に』と返事が来た。
ゼファーは、リリアナがどこの辺りの部屋にいるのか分からないので、案内の為に訪れた侍女の後を付いていく事になったが、城が広すぎて迷路のような造りに成っているため、方向感覚も無くなるくらい、幾つもの曲がり角を曲がった。
そして案内されたリリアナの部屋には、リリアナの名付きの薔薇が飾られていた。イオがくれた分は、テーブルに背の低いガラスの花瓶に広かる様に入れられており、ゼファーがプレゼントしたものも、リビングの棚の一番目に付くところに、幾らするか分からないような見事な花瓶に飾られてあった。
「失礼致します。お時間を頂いてありかとうございます」
ゼファーが礼儀正しく礼をとると、リリアナは向いの席に座るように促した。
侍女にお菓子と軽食の用意をして貰っていたようで、下がらせた後、リリアナはドアをきっちりとを閉めて鍵をかけた。
リリアナ自らお茶を振舞ってくれて「ゼファー、昼食に来なかったでしょう?軽くつまめるものを用意させたから、少し食べて落ち着いた方がいいと思うわ。人間って空腹だと、余計に悲観的になってしまうでしょう?」と労わるような微笑で首を少しだけ横に傾けた。
「私のお話する内容に見当が付いておられるのですか?」
「いいえ。隣国との貿易についてだろうというくらいしか、予想していないわ」
ローゼ家はリリアナにもゼファーに話した事は、漏らしていないらしい。
ゼファーはリリアナの入れてくれたお茶に口を付けた。ふわりと鼻から抜ける心地の良い香りに、少しだけ落ち着いて話せるような気がした。
「エベルネージュに輸出している薔薇の税額があまりにも低すぎるので、ローゼ領が税金を誤魔化すような事は無いでしょうから、どのような理由か分かりませんでしたが、もう少し価格を上げる様に勧告するつもりでおりました」
リリアナは「つもりだったと言うことは、言うのをやめたのね?」と相槌をうった。
「いえ。勧告以前に内政干渉だと抗議を受けて、薔薇を安くお売りになっている理由を聞かされたのです。まずは小麦を多く輸出して、ローゼ領は多額の収入を得ています。しかしエベルネージュは肥沃な土地柄で、その様に多くの食料を必要としないはずだと、それも調べる様にセフィール様から特命を受けたのです」
「私は、富裕層向けだと思ってたわ。ローゼ領の小麦は品質改良に力を入れていて、かなり美味しいから」
リリアナも今迄、隣国への小麦の輸出に何も思わない訳では無かった。父親が公爵時代に聞いてみたら、向こうの貴族達が気に入って食べていて、自国でとれたものは、他国に売っていると教えられた。
リリアナがその話も付け足して言うと、ゼファーは「間違ってはいませんが、事実は少々違います」と厳しい顔になった。ローゼ家の令嬢であったリリアナにも、他家に嫁ぐ身と秘匿されていた重い情報なのだと、ゼファーはお茶を一気に飲んでから、リリアナと目線をきっちりと合わせた。
「エベルネージュに小麦を売るのは、エベルネージュがライトンに売る為です。ライトンは近年台頭して来た国家で、小国ながらも造船や操舵の技術は、エベルネージュよりも上のようです」
リリアナは、それを聞いただけで、「戦争が起きそうなのね!?」と悲壮な表情になった。
「ご慧眼、流石ですね…リリアナ様は、どうお考えになりますか?少なくとも、査察でそのことを不問にするかどうかは、此処で決める必要があります。そしてその決定いかんでは、戦争勃発の引き金を引きかねません」
リリアナは、いままでの大まかな話ではなく、ゼファーの知り得た情報を細かいところまで聞き出した。
「今は、国内が安定しているし、宰相職はローゼ公爵が就いていらっしゃるから、国同士の決め事をするのに適した時期だと思うわ。個人的には本当に、絶対に現状維持をしたいところだけど、私たちは官吏なのよ。聞いた話だと、ライトンが力を持てば、エベルネージュに攻め込んで来るでしょうね。それをエベルネージュは持ちこたえるだけの財力が無いとなると、レンビィア国は、エベルネージュに介入して、ライトンを潰した方がいいと思うわ。枯れた土地だとしても、地を耕さないで穀物を得ようとする人達は、こちらが供給出来ない状況になった時に、略奪行為に走るのは明らかな事でしょう?」
ゼファーは一番平和的な解決をしそうなリリアナが、戦争になると見越して話すことにとても驚いてしまった。今までのローゼ家の領主たちでさえ、小麦を高値で売って隣国の牙を抜いて来ただけなのに、その選択を覆そうとするのを不思議な気持ちで見つめた。
「随分と好戦的なのですね。正直意外です」
「男の人に比べたら、慎重になっているだけだわ。食べ物の略奪行為が起きるときに、何が起きるか想像がつくでしょう?ローゼ領の女性たちが死ぬより辛い目に遭ったらと思うと、お父様や、リューク兄様が、今の政策を取っている事の方に驚くわ」
「しかしながら、兵を出したら無傷ではすまないでしょう」
「兵は戦う為にいるものでしょう?領の危機が迫るとわかっていながら、危険だからと日和見をさせる為に鍛えているわけでは無い筈です!」
リリアナは、男達の危機感の薄さに頭に血が昇って来た。深刻な凶作の年が今迄無かった事が幸いだったとしか言いようがない。ローゼ領自体はリクソール領の助けで飢えないだろうが、輸出する分まで捻出することは出来ない。攻められるのは、当面エベルネージュになるから、その勝敗を見てから動こうとしていたのだろうか?罪なきエベルネージュの民が蹂躙されるのは、自領でも自国でもないからと、放っておくつもりだったのかと吐き捨てる様に言うと、ゼファーはリリアナのローゼ家の批判に、どう決着してこの査察を終えられるのか不安になって来てしまった。
「ゼファーがセフィールに与えられた権限を、私に移すという認識でよろしい?」
普段は室長を宥める存在であるリリアナが、怒り狂いそうになるのを抑えてゼファーにそう言ってきた時は、自分に向けられた怒りではなくとも、恐怖でコクコクと頷く以外の選択肢はなかった。
「ゼファーはこの件を秘密裏に王都に戻ってセフィールに報告して頂戴。勿論、他に気取られる様な事は無いように注意して頂戴。私たちは、ローゼ領とアーデン領を視察してから帰ります。あなた、馬には乗れて?」
「はい!査察で馬車では入れない場所もございますから、山道でも走れます」
「護衛は、査察で連れて来た五名を出すわ。家族が急病になった事にして王都に戻って。手紙など紙に残さないように、監査室の室長室でセフィールに報告をして。あの部屋は、かなり厳しい警備体制が敷かれていて、暗部の者も忍び込んだり出来ないから」
これは、王家の影の子達や、リクソールやローゼの暗部の者達も言っていたので、間違っても他人に聞かれたりする危険はないだろう。
リリアナは、ゼファーにこれから体力も使うのだし、と軽食を勧めた。ゼファーも食べ始めたら、昼食を抜いたせいで空腹であった事に気づいて、出されたものを食べ進めた。
リリアナは、ゼファーに断ってから、その間に執務館に赴く連絡と準備をした。
「あなたに先に謝っておきたいの。ローゼとリクソールがどう動くかは、ゼファーには多分教えられないと思うわ。貴方の知らないところで戦争になっているかもしれないし、平和的解決をしているかもしれない。平和的な解決の時は教えたいけど、教えられない場合は戦闘になってるって判ってしまうから。貴方が得た情報なのにごめんなさい」
「私に報告以外何もするなという事ですか」
「ええ」
ゼファーは沈痛な面持ちで「わかりました」と答えた。「…ですが、私のいつもの言動から理解されないかと思いますが、私も国の平和の為に官吏の職に就いたのです」とゼファーが絞り出すような声でそう言うと、リリアナは「わかっているわ」と静かに答えた。
その後、二人の侍女が来て、リリアナは執務館へ、ゼファーは客室にそれぞれ連れていかれて、慌ただしく己の使命を果たすべく二人とも動き出した。




