意地悪な子ほどドロー2をよく握っている
離陸時に騒ついた周囲もしばらく経つと落ち着いてきたようだ。
今こうして席に腰を落ち着けている間にも空を移動していると思うと不思議な感じがする。
「ん? 眠いのか」
僕が大欠伸をしているところを見て、隣に座る井坂文弥が話しかけてきた。
「ああ、ちょっとな。今朝方、変な夢を見たせいで」
「そりゃあ、修学旅行当日に縁起わりーな。あっちの空港に着くまでまだ時間あるし、しばらく寝てりゃいいんじゃねーの」
「そうさせてもらおうかな」
目を閉じると緩やかに眠りに落ちていく。「良い夢を見れると良いな」という井坂の呟きも聞こえるか聞こえないか、僕は束の間の睡眠をとるのだった。
僕は僕ではない誰かに成り代わって、二人の男女が見慣れぬ道を歩いていた。
「それにしても、とても不思議な体験をしたわね、私たち」
隣を歩く女子が感慨深そうに呟いた。顔がぼやけてよく見えないけれど、不思議と聞き馴染みのある声だ。誰なんだろう。
すると僕ではない誰かが勝手に僕の口で返事をする。
「俺ァ自分の見たものしか信じねーが、どんなに不思議だろうが信じるしかあるめーよ」
僕の声と口調ではない。けれど、これもまた聞き馴染みがある。
「〇〇くん、さっきから浮かない顔ね」
名前の部分が上手く聞き取れない。
「……気分は良くないさ。できない約束はするもんじゃない」
「できない約束というほどでもないでしょう。簡単には来られないけど、いつかまた……」
「その“いつか”の時にはもう俺たちは大人になってる。“あの子”に会おうとしてももう会えないだろう」
「…………」
「優しい嘘なんてものはないのかもしれねーな。誰も幸せにできやしない」
僕ではない彼が何を指して言っているのかはわからない。
けれど、彼自身が心を痛めているということだけはよくわかる。
また夢を見ていたようだ。
悪夢とも言い切れないが、あまり気分の良い夢ではなかった。
今朝見た夢と言い、これらは誰かの実体験のような気がする。夢にしてはリアルで、それでいてあまりに僕の想像外な内容だ。
修学旅行と何か関係があるのか。
「お、起きたか。まあ気分の悪い内容だろうが、あったことはしょうがねーよ」
隣からまた井坂から声をかけられる。
「ん、あれ? 僕が見ていた夢の内容がわかるのか」
「わかるさ。……いや、まあ表情で良くない夢を見ていただろうことはわかる。それより、窓の外見ろよ。そろそろ空港も近いぜ」
促されて窓の外を見る。
そこには疎らに建物がある大きな島と海があった。海はエメラルドグリーンに輝いていてとても美しい。
「綺麗だな、海」
「ああ。でも、隣に居るのが綺麗な女の子じゃなくてごめんな」
「どうして僕は謝られてるの?」
「俺はラブコメのメインじゃなく脇役が好きでな。邪魔をしたり空気を読まなかったりする脇役にはなりたくねえ」
「安心しろ。空気ならとっくに読めてないから」
溜息吐きつつ通路向こうの咲良の方を見ると、彼女も沖縄の海に魅了されているようだ。僕は少しの間その背中を微笑ましく眺めていた。
空港に着いた僕たちはそこからバスに乗り換えた。飛行機に比べて乗り心地は良くないけれど、移動しているという実感がある。ついでに言えば、飛行機の時よりも座席同士が近いため、隣以外でも会話をしやすかったりカードゲームで遊んだりしやすかったりもする。
「手札も減ってきたしそろそろ上がれそうかな」
「あ、あの、ドロー2で」
「うわぁ、何するの鈴花!」
「ごめんなさい。も、もうちょっとがんばろ」
今にもウノ宣言をしようとしていた咲良の手札が、隣の氷見鈴花さんのカードによって補充されてしまう。
氷見鈴花さん。咲良の友人にして修学旅行の同じ班のクラスメイト。アンダーリムの眼鏡をかけ、黒い髪をまっすぐに伸ばした人だ。
……氷見さん、一見オドオドした性格のようだけど、さっきからプレイングがえげつないんだよな。
「お、次は俺の番な。じゃあ、リバースで」
「げっ」
咲良の次は井坂、そして僕の順だったけれど、リバースカードによって順番が逆回転になってしまった。実質僕の番が飛ばされてしまい、おまけに回転が変わったことで僕の前の人が……。
「寺井くんも、手札少ないよねっ。あの、もっとがんばろ。ね」
そう言って氷見さんが出したのはワイルドドロー4。
つまり、彼女の攻撃の対象が咲良から僕へと移るということだった。
その後も上がれそうで上がれず、気づけば僕はビリになっていた。このゲーム、こんなに過酷な内容だったっけ?
罰ゲームがなくて本当に良かった。
こんな風に和気藹々(?)と楽しみながらバスの中での時間を過ごしていると、バスは最初の目的地へと到着した。
水族館。沖縄の観光スポットとして真っ先に思い浮かぶ場所のひとつだろう。
沖縄の海の生物たち。サンゴの海。ジンベエザメも居るという巨大水槽。来る前の下調べの時点で期待に胸を膨らませていた。
全員でまとめて移動すると流石に邪魔になるので、クラスごとに行く場所と時間をずらしているけれど、僕たちのクラスは最初にこの水族館というわけだ。楽しみだな。
クラスの中でもさらに班に分かれて館内を移動する。
中は照明を最低限に抑えられていて薄暗く、水槽が青々と光っている。パネルによるとこのフロアは深海の生物たちが集まっているらしい。地上ではおよそ見かけることのない形の生き物たちは場所が場所なら不気味に思えてしまうけれど、仄暗い空間に居ると神秘的に見える。彼らにとっての自然に近い環境だからかもしれない。
「綺麗ね」
隣に居る咲良がうっとりとした様子で呟く。
「ああ」
同じものを眺めて答える。
ちなみに、氷見さんは咲良から少し離れたところで繁々とキャプションを読んでいる。井坂は僕から少し離れた隣で、何かツボに入る面白い生き物が居たのか、水槽を見てニヤニヤ笑っていた。
最初のフロアからすっかり水族館を堪能し始めている僕たちは、続いて次のフロアに移る。
次のフロアにはとても大きな水槽が広がっていた。
「でっか」
思わず感嘆と共に声を漏らしてしまった。何を指してのことかと言えば、巨大な水槽の中を悠々と泳ぐジンベエザメだ。事前に調べていて写真や映像では見たことがあるけれど、直接目にすると迫力が違う。周囲を泳ぐマンタもまた大きい。
水槽の前に座席がある。
「咲良、座って見るか?」
「ええ、そうしましょう」
一緒に座って改めて水槽を見る。
小さな魚たちの群れ。身体を広げて舞うように泳ぐマンタ。巨大な身体でそれでも伸び伸びと泳いで廻るジンベエザメ。
水族館の一区画に過ぎないこの場所だけれど、まるで海の縮図のようだ。海の中に居るような心地がする。
ふと視線を感じて隣を見ると、咲良がこちらを見つめていた。
「ん。どうかしたか、咲良」
「え? う、ううん、何でもないの」
慌てた様子で咲良は首を横に降る。
「ただ、一緒に来られて良かったなって」
暗い空間の中で咲良が淡く微笑む。暗いところで急に明るいものを見た時のような眩しさを覚えて、僕はつい目を逸らしてしまった。なんとなく決まりが悪いので、
「そうだな」
とだけ答えた。
ただ本当に僕もそう思っている。
感動するだけならひとりでもできる。感動できるのはとても幸せなこと。その感動を、幸せを分かち合えることは、何にも増してありがたい。
「僕も一緒に来られて良かったよ、咲良」
修学旅行一日目にして早くも忘れられない思い出が作れたようだ。




