「可愛いが過ぎる」
令和もよろしくお願いします。
翌朝、目覚まし時計のアラームを合図に何とか目を覚ましたけれど、身体が軋んでだるい。
完全に寝不足だ。
寝る時間になって横にはなったものの、中々眠れずに寝返りを打つばかりだったから。
ゆかりちゃんのことを考えていて、全然眠れなかった。
ぼくに初めて彼女ができた。まだ小学生なのに。あんなに可愛い子がぼくを好きだと言ってくれた。本当に良いのだろうか。ゆかりちゃんのことを思い浮かべても、今までの五割増しに彼女のことが魅力的に思える。アレ、ぼくの彼女って世界一可愛いんじゃないか?
そんな思考が頭の中をグルグル回り続けて覚醒状態が続いて、ようやく力尽きたと思ったら、もう朝だった。人生で初めて二度寝の誘惑に襲われたけれど、
「明日からもずっと一緒に学校行こうねっ!」
ゆかりちゃんの眩しい笑顔を思い出し、ぼくは寝不足の身体にも力が湧いてくる。
部屋を出て、すぐに隣の部屋の扉をノックする。返事がないと思ったら、姉さんが直接開けてくれた。
「おはよう、姉さん」
「おはよう、夕霧くん。……大丈夫? 何だか顔色が良くないけど」
制服に既に着替え終えている姉さんは、ぼくの顔を心配そうに覗いてきた。
「大丈夫。ちょっと眠れなかっただけ」
「目に隈ができてるし、その割に顔がにやけてる。小学生の内からそんな気持ち悪い顔つきになるもんじゃない。すぐに顔を洗うと良いよ」
そう言って、姉さんはそのまま部屋の扉を閉めた。
姉さんに気持ち悪いって言われた。
朝から傷ついたけれど、よくよく考えてみるとこの時間帯から姉さんと少しでも会話をしたのはこれが初めてかもしれない。そう考えると悪くはない、のかな。
ぼくは姉さんに言われた通り、下の階に降りてから洗面所へ直行し、顔を洗ってから朝食をとった。そうして支度をしていると、もう姉さんが家を出てしまっているのはいつも通りで、ぼくも母さんに挨拶をしてから家を出ようと玄関を開けたら、
「おはよっ、夕霧くん」
いつもの待ち合わせの場所に行くまでもなく、ゆかりちゃんの姿があった。可愛さがたっぷりと含まれた悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「お、おはよう、ゆかりちゃん」
つい挨拶が吃ってしまうぼく。
「どうしたの、ゆかりちゃん。ぼくの家まで来るなんて」
「えへへっ、待ちきれなくって家まで来ちゃったの」
ぼくは思わず顔を背けて、口元を手で覆ってしまう。
可愛いが過ぎる。
昨夜の思考の中でゆかりちゃんがだいぶ美化されてしまっていたような気がするけど、考えるまでもなく、目の前の彼女が可愛かった。
「ふ、ふふ、ふふふ」
「ゆかりちゃん、何だか機嫌が良さそうだね」
「んー? んー、そうかも。だって、今がこんなに幸せで、それがずっと続くと思うと、もっと幸せな気分になれるでしょう」
……ぼくは今がこんなに心臓に悪くて、それがずっと続くと思うと、ドキドキとハラハラが止まらない。
悶えるという感情を初めて知った。
一昨日までの平静な自分が行方不明だ。
昨夜の寝不足といい、今のドキドキといい、ちっとも落ち着かないけれど、胸の中が温かいもので満たされている。
贅沢な悩みなんだろうなと、頬の緩みを手で押さえながら思った。
体感としてはあっという間に放課後になった。今日は七海さんの家の高級車に乗せていただくこともなく、というか可愛い彼女と一緒に帰る以外の選択肢がなく、ぼくは学校の昇降口で待ち合わせたゆかりちゃんと帰路に着いた。
「そういえば、夕霧くん。今朝言い忘れちゃったんだけど、夕霧くんを迎えに行った時にお姉さんに会ったよ。顔を見たのは初めてだったけど、綺麗な人だった」
「うん、そうでしょ」
「………………」
「ま、まあ、もちろんゆかりちゃんの方が可愛いんだけどね!」
姉さんのことも併せて何も嘘はついてないけれど、ここは後から言ったことを強調した方が良いと見た。
「ふふ、ありがとう。それで、お姉さんもわたしの顔を知らないはずなのに、わたしをちょっとの間じっと見てから『おはよう、柏木ゆかりちゃん。夕霧くんを迎えに来たんだね』って。不思議だね」
「ははは」
姉さんはぼくからゆかりちゃんのことを聞いていたから、家の前にいた女子小学生のことをゆかりちゃんだと予想がついたのだろう。姉さんにゆかりちゃんとのことを相談していたなんて言えるわけがないので、これは伏せておこう。
「ところで、ゆかりちゃん」
「なあに、マイダーリン」
思考が大気圏外に飛んだ。
「ダーリン呼びはやめてくれるかな」
「わたしのこともハニーって読んでくれて良いんだよ?」
「これまで通りの名前呼びにしてください、お願いします」
全力で頭を下げた。ただでさえ、ゆかりちゃんとの関係をクラスのみんなにからかわれないように伏せていたのに、こんなところを誰かに聞かれたらぼくはおしまいだ。
「えー、残念。ふふっ、でも楽しいね。今日の夕霧くんは反応が良いから、ついからかいたくなっちゃう」
「え、そうかな?」
「そうだよ。今朝からずっとそう。わたしに照れちゃって、かーわいいんだからっ」
全部バレてる。ゆかりちゃんを意識してしまって、そんなにわかりやすくしどろもどろになってしまっていたのか、ぼくは。
「今日みたいな夕霧くんも良いけど、いつもの飄々とした夕霧くんも好きよ。どんな夕霧くんでも、大好きだからね」
「……ゆかりちゃんには敵わないな」
小学生の内から迂闊なことは言えないけれど、ゆかりちゃんには一生勝てないと思う。ずっと彼女の直球な好意に打ち負かされてしまいそうだ。
ただ、このままペースを握られっぱなしというのも面白くない。
ゆかりちゃんが好きだと言ってくれただけで付き合ってるんじゃない。
ぼくもゆかりちゃんが好きだから付き合ってるんだ。
「ねえ、ゆかりちゃん。今度の日曜日って空いてる?」
「うん、空いてるよ。その日がどうかしたの?」
「もし良かったら、ぼくとデートしない?」
日曜日になった。どんな服を着ようか迷ったけれど、ぼくに迷えるほどのセンスはないので、結局はお気に入りのシャツ、ジャケットとジーパンにした。寝癖もないし大丈夫。
ぼくは全く話していないのにゆかりちゃんのお母さん経由で知ったらしい母さんからの追及を躱し、休日の父さんはまだ寝ていて、姉さんは既に家を出てどこかへ出かけていた。
ぼくも家を出て、ゆかりちゃんを家まで迎えに行く。どこかで待ち合わせをするのも良いかと思ったけれど、この前の朝ぼくの家の玄関の前で待ち伏せされていた時の意趣返しだ。まあ、事前に行く時間は伝えてあるからサプライズ要素はないんだけれど。
近いのですぐにゆかりちゃんの家に着き、玄関のチャイムを鳴らす。
ガチャリと扉を開けて出てきたのは、ゆかりちゃん本人だった。
「おはよう、夕霧くん。どうかな?」
そう言って、手を広げてポーズを決めるゆかりちゃんは、どこのファッション誌から出てきたのだろうかというくらいにオシャレだった。
全体的に暖色系の色合いで、ふわふわなワンピースの下にレギンスを履き、丈の長めな羽織りものを纏っている。
「可愛いね。よく似合ってる」
「ありがとう。夕霧くんはいつも通りだね」
「うん……。ぼくはそこまでオシャレじゃないから」
「ううん、その服も素敵だよ。あ、そうだ! 今度一緒に服を選んであげる! もっとオシャレさんになれるよ?」
「はは、楽しみにしてる」
もうオモチャは買わなくなったけれど、自分で服を買ったこともないので、強力な助っ人がついてくれそうでありがたい。
「それじゃあ、行こうか」
「うん!」
手を繋いで意気揚々と。
ぼくたちは初めてのデートに繰り出すのだった。




