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回想録 ~セリア~

 

「お前がそうするべきだと判断したのならば、それが最善なんだろうさ」


この世界のどこにももはや居ない、男の声が暗い闇の中から響いてくる。

彼はかつて、セリアと同じ所で働いていた青年だった。


「だがな、きっとお前は潰れるだろう。動いている生きた心というものは、どうやらケアしてやらなければ知らない間に磨り減り磨耗していくものらしい」


気を失うのとほぼ同時に、ネコへと姿を転じたユーリを抱き上げていたエストは、馬車が移動を開始していくらも経たないうちに、ぐったりと座席に倒れ込み、意識を混濁させていってしまった。

だから夜の林道をひた走る馬車内の暗がりで、ホセのその言葉を聞いていたのはセリアただ一人。


「……裏切り者の分際で、ずいぶん御託を並べるのね」

「馬鹿馬鹿しい。お前とぼくとが、いったいいつ信を結んだと? ただ仕事で共に行動していた、それだけで裏切り者の謗りを受けるいわれは無い」


ホセはただ笑って、セリアを哀れんでさえいるようだった。

表で何かあったのか、馬が激しく嘶き、馬車が急停止した。

(巻き添えを食う!)

直感的にそう悟ったセリアは、咄嗟にエストを抱きかかえて扉に体当たりし、車内から転がり落ちる。


「幸あれ、セリア」


ホセは動かなかった。イリスと彼とを引き離した存在、それを正確に推察したその上でただ、皮肉だけを残して。

黒い風は馬車に吹き荒れ、飛び去っていく。

僅かな月光を反射する白い獣が風を追跡に飛び出し、松明の灯りを掲げる王都治安維持部隊に属しているのであろう、今夜の夜間巡回の人々が慌ただしく動き回っていた。林道にはつい先ほど到着したようである。


「セリア、無事か!?」


エストの傍らで、セリアが地面に転がっているほんの数秒の間に巻き起こった出来事。少しばかり放心していた彼女を助け起こし、グラが心配そうな眼差しで忙しなくセリアやエストを見やる。

依然、意識を失っているエストの身体の上には、彼女を庇うようにして人間形態のユーリが覆い被さっていた。

その周囲の地面には、ほんの僅かな穴ぼこが空き、見ればセリアのお仕着せの広がったスカート部分にも小さな穴が空いていた。黒い風が零していった余波である。


「危ないところ、でした……」


 殆ど半壊した馬車の車体を眺めながら、セリアは言葉少なく誰にともなく呟いていた。



ホセが死んだ夜からそう日にちを置かずに、国境線に魔物の大群が押し寄せるという未曽有の危機にみまわれ、先発陣が王都を出立したその翌日の昼の事。


その日、セリアは常と同じようにエストの身の回りの細々とした雑用をこなし、パヴォド伯爵の執務室を訪れていた。

普段ならばこちらには、伯爵の補佐を務めるゴンサレスが華麗に書類を捌く姿が見られるのだが、今日は別所に赴いている。セリアでは当然、彼の代わりにはならないのだが、彼女は数カ国の読み書きを心得ており、バーデュロイと友好関係を結んでいる幾つかの国から届いた手紙を翻訳して、書き留める程度の手伝いは出来る。


「ふうむ……」

「いかがなされました?」


執務机に肘をつき、片手に先ほどふよふよと飛んできた白い蝶のような形状の遠距離連絡用の簡易魔術具を止まらせて、パヴォド伯爵は思案げに顎を撫でた。


「いやね? どうやら王都の街中で瘴気が噴き出したので、消しに行って来ますと、ユーリから勇んだ連絡が来てね。爺は出ているし、タイミングが悪いなと」

「……!?」


驚愕に目を開くセリアをヨソに、パヴォド伯爵は「やれやれ困った困った」と、全く真実味の無い口調でとぼけたように呟く。


「……避難致しますか?」

「大半が国境線に送られてはいるが、幸い、連盟の本部は空っぽにはなっていないからね。

避難所とするならば塔か王城だが、この時間帯では我が家の使用人も屋敷を離れている者が居よう。情報の伝達共有も難しいこの状況で、てんでばらばらに浮き足立っての移動はかえって危険だ」


パヴォド伯爵がツカツカと歩み寄った執務室の窓、そこから見える範囲では、瘴気らしき黒煙は全く見えない。


「それに……これは特定の人物をおびき寄せる撒き餌だろう」

「それが、ユーリちゃんだと?」

「いいや?」


窓ガラスにカツン、と小さな音を立てて軽く握った拳を当て、セリアに微笑みかけてくる。

しばしの沈黙と逡巡の末、セリアはポツリと呟く。


「閣下。退室を、お許し頂けますか?」

「ああ。結界の外から襲ってくる魔物は、連盟の魔術師達が何とかしてくれるよ。彼らは優秀だからね」

「失礼致します」


相変わらず、目だけは笑っていない微笑を浮かべたパヴォド伯爵の執務室からしずしずと下がり、セリアは廊下を走り出した。



王都のど真ん中で瘴気が噴出するという、これまた前代未聞の事件が起こってから数日後。

エストとカルロスは、ノリに乗ったパヴォド伯爵の策略によって、あっという間に夫婦と相成った。早過ぎである。

婚約が成立してから結婚までの準備期間、僅かに三日。酔狂にすぎる。最早、二の句もつげない。


結婚を祝うパヴォド伯爵邸ガーデンパーティーで、周囲を取り囲まれて祝福の言葉を掛けられている新郎新婦を遠目に、セリアは給仕に終始する。

同じように、会場内で給仕を務めていたエスト付きメイド仲間であるイリスが、来客の一人であろう見慣れぬ男性に声を掛けられ、人目に付きにくい薔薇園の方へ連れ出されるのを視界の片隅に捉え、慌てて割り込もうと足を踏み出すも、イリス本人から『問題無い』を意味するハンドサインを後ろ手に出されて踏み留まる。続いて彼女が出したのは『夫妻・恋人関係』を意味するサイン。

……どうやらあの男性が、イリスの婚約者らしい。


エストが無事に結婚した今、イリスもじきに嫁いでゆくのだろう。元々彼女は、その為に行儀見習いとしてパヴォド伯爵家へ勤め始めたのだから。

時間はゆっくりと、優しく降り積もっていって、決して留まる事が無い。


――初めまして、セリア。

俺はカルロス。エストの世話係だ。今日からよろしくな。


近いうちに、現在の自分の立場を奪う存在であると知りながら、そうとは知らぬセリアを屈託なく笑って出迎えてくれた少年は、青年となり。

幼く愛らしいばかりの少女である女主人は、美しい娘へと成長した。


「結婚おめでとう、レディ・エステファニア、カルロス!」

「おめでとう、お二人とも。お幸せにね」

「おう。次はお前らの番か?」

「……前途は多難だ」

「お、おう。頑張れ」

「ありがとうございます、アティリオ様。ですが、わたくしはもう『レディ』ではございませんのに」

「あら、あなたにこそ『貴婦人』の呼び名は相応しいものよ。今後も私的な場では、知人から変わらずにそう呼ばれるでしょうね」

「陛下がお気を悪くされないと良いのですが」

「陛下ご本人が、式の最中エストを『レディ』と認めていたのよ。構うものですか」


友人達に囲まれ、花嫁衣装のエストと花婿衣装のカルロスは時折顔を見合わせ、幸せそうに笑う。

その唇がお互いだけの呼び名を紡ぐ時、眼差しや声は甘く蕩けていく。


あなたの初恋が叶った事を喜ぶたびに、押し込めていた何かが軋んでいく。

良かったね、おめでとう。

自分だけでなく、周囲からも掛けられる温かな言葉を耳にするたびに、何かが突き刺さってくる。


「お嬢様……」


お幸せに、と、呟くセリアの言葉は、晩夏の風に吹かれてかき消され。

セリアが気を揉む必要もなく。きっとエストはこれから先も幸せに過ごす事だろう。何故ならば彼女の隣には、カルロスが居るのだから。


「……ところであいつは、この晴れがましい場で何をやってるんだ?」

「……言及してやるな、カルロス。あまりにも効率的かつ、角の立たない合理的な手段を、目の前で失ってから気がついた哀れな男の姿だ」


パーティー会場テーブルの陰で、正装姿のまま膝を抱えてうずくまり、どんよりとした空気を放つブラウをチラリと見やった視線だけで暗に指し示し、カルロスが不思議そうに呟くと、従兄弟の情けとばかりにアティリオが新郎の肩に手を置き首を左右に振る。

レディ・コンスタンサとエストは、彼らの会話の意図が掴めない様子で瞬いてから別の話題に移った。


「やあ、ここに居たんだね、ブラウリオ君」

「これはこれはパヴォド伯爵閣下。この度は誠におめでとうございます」


招待客と挨拶や談笑をして会場内を回っていたパヴォド伯爵が、テーブルの陰を笑顔で覗き込み、声を掛けられたブラウは瞬時に立ち上がって完璧な貴公子の仮面を被り直す。まったくもって今更だが、それは表立って口にしてはいけない事項である。


「君にとても重大な話があってね。さ、アルバレス侯と共に話を進めようか」

「ええ、ええ。この場に居ては、一点の曇りもなかった私の心に翳りが生じかねません」


平素ならば、パヴォド伯爵の発言の端々に警戒心を抱き、のらりくらりと逃れ確定的な発言は避けるブラウらしくない受け答えだった。


いや、それ以前にガーデンパーティーの開始早々からして、弱った姿や貴公子として不適格な態度は決して見せず、キザったらしい言動を貫く男らしからぬ落ち度である。

まるで、エストに片思いでもしており、それを今日ようやく自覚したかのようだ。

(……そんなまさか、よねえ)



結婚式と披露宴も無事に終わり、エストとカルロスの新居を調える大仕事に奔走していた、ある日。

セリアは友人のルティに呼び出され、休みの日にカフェへと足を運ぶ。王都にはお洒落なお店が幾つも存在しており、店先を通るたびに興味を惹かれていた。

待ち合わせ人は先に到着しており、お茶を注文して向かい合わせに座る。


「お待たせ、ルティ」

「ううん、あたしも今来たところ。忙しい中呼び出してごめんね、セリア」

「良いのよ」


運ばれてきたお茶を一口。薫りに頬を綻ばせるセリアに、ルティは両目をそっと伏せた。


「今日はどうしたの、ルティ?」

「実はね、セリア。今日は、あなたにお別れを言いに来たの」

「……え……?」


音が消え去り、世界の色彩が全てまだらな灰色に変換されていくような、そんな驚愕に支配されたセリアの視界の中心部で、ルティの形良い唇が動く。


あ た し ね 、 け っ こ ん す る こ と に な っ た の 。


「お、おめでとう……?」


正確な年齢は知らないが、ルティはセリアよりも年上であり、高貴な身の上であればその多くが結婚も義務付けられている。

何とか祝福の言葉をセリアが舌に乗せると、ルティは儚げな笑みを浮かべた。


「嫁ぎ先はとても遠い所なの。きっと二度とバーデュロイにも戻れない。だからこれっきり」

「そんな!? それじゃあまるで」


罪人の流刑か、人質ではないか。と口にしかけたセリアは、ルティの表情に言葉を詰まらせた。普段の闊達な様子はなりを潜め、友人はただ儚げに微笑むばかり。

逃れられないのだ、恐らくは。


「本当は、ずっと一緒にいられたら良かった」

「ルティ……」

「セリアと手紙のやり取りをしたら絶対に里心がついちゃう。それは困るから、これからは手紙も送れないの」

「そんな、そんなのって……!」


酷い、と嘆くセリアに、美しい友人は、諦念を湛えて「さようなら」と別れの言葉を口にした。

王都で勉学を教わり、郷里の家族よりもよほど尊敬出来る存在であった美しく賢い年上の友人は、この日以来その姿を消した。


気落ちしながらパヴォド伯爵邸に戻ったセリアは、伯爵閣下に呼び出された。


「セリア、君の縁談が決まったよ」

「え……? お、お待ち下さい閣下。わ、わたしはこのままエストお嬢様の下でご奉公を……!」

セリアはイリスとは事情が異なり、良縁を求めて行儀見習いをしていた訳ではない。勤務目的は、有り体に言ってしまえば出稼ぎである。

思いもよらない話で目を見開くセリアに、執務机についていたパヴォド伯爵は「おや?」と不思議そうに目を瞬いた。


「確か君は、エストが結婚した後に自分の結婚も考えると、主人であるあの子に明言していたはずだ。

そう報告を受けているが、君は私の娘が当主である私に偽証をしたと、そう言い張るのかな?」

「滅相もございません!」


何かの話の流れで、そういった主旨の発言をした覚えは、セリアにもある。

だが、だからといってそれは『エストお嬢様がご結婚なされたならば、わたしもすぐに結婚いたします!』などという、前向きかつ前のめりな意図では決してない。むしろ、あの発言は結婚などしたくはない、というセリアの意思表示に等しい。


「もちろん、間違っても君が困窮したり粗雑な扱いを受けぬよう、この縁組みは慎重に慎重を重ねて選び抜いた男だよ。安心して嫁ぎなさい」

「も、もったいなくも過分なお心遣い、傷み入ります」


身分社会の限りなく頂点に近い位置に立つ伯爵閣下直々のお言葉は、下々の者にとっては絶対的な命令である。

かしこまって粛々と承るしか、セリアに残された道は存在しないのだ。


「形式的に絵姿と釣書も一応用意させたから、部屋で眺めなさい」

「はい。それでは失礼致します、閣下」


パヴォド伯爵閣下は平然と見合いの体裁を調えるのは形だけであるとのたまい、執務室からセリアを送り出す。

扉を開いたところで、パヴォド伯爵がふと呼び止めてきた。


「セリア」

「はい」

「エストの望みだ。幸せにおなり」

「……はい」


深々と頭を下げて退室し、与えられている住み込みの部屋へと戻ったセリアは、部屋に届けられた釣書を広げ、絵姿を眺めてあんぐりと口を開く。


「何で……何でよりによって、あのモノクル変態なのよーっ!?」


釣書に記載されていた氏名は、見間違えようもなく『ブラウリオ・ルティト・ナジュドラーダ』と記されており、彼の簡単な身上や略歴のみならず、好きな食べ物やら趣味やら細かな点まで書いてある。

そして絵姿に描かれていたのは、エストの結婚披露宴であるガーデンパーティーの会場内にて、テーブルの陰で膝を抱えてうずくまっていた時の姿。はっきり言ってしまえば、普段の取り澄ました飄々とした顔を描いた絵を贈られるよりはよほど気分的には楽だが、見合いの絵姿としては口が裂けても相応しいとは言えない構図だ。


「閣下……」


(間違いない。あの方は絶対に、この結婚話に政略的な意図を欠片も含ませず、純粋に遊び心と童心で楽しんでおられる!)


そう確信を抱いても、悲しいかなセリアにはこの縁組みを解消する手段も能力も、持ち合わせてはいないのである。


遠くへ行きたくなってきたセリアが指に力を込めると、手のひらの中でカサリと乾いた音がして、広げていた釣書の裏側に重なってメモが引っ付いている事に気がついた。無言のまま広げる。


『わたくしの可愛い娘、セリアへ。

近日中にナジュドラーダ邸で行われる、お見合いの日に着ていくドレス選びについては安心して、全面的にわたくしに任せておきなさい。

 あなたのお母様より』


見間違えようもなく、筆跡はレディ・フィデリアの物である。セリアは今度こそ、眩暈がしてきた。


「あの変態と顔合わせのお見合いだなんて不要だし、あたしはレディの娘でも無いっ!」


しかしこのパヴォド伯爵邸において、伯爵夫人たるレディ・フィデリアが『セリアはわたくしの娘 (と同じく大切な子)ですもの』と言えば、黒いものも白くなってしまうのである。



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