表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢の果てで、またいつか  作者: 野本


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/8

部屋のカギ

 矢沢が立ち上がり、大きな体を大きく揺らす。両手を高くつき上げた。

 ただでさえ目立つ矢沢は、嫌でも目に入る。翔だけでなく、他の学生たちの視線も集まっていた。

「翔、こっち!」

 声を張り上げると、翔が手をあげる。

 私を認識した途端、翔の顔が硬直するのが遠目からでもわかった。

 つま先が勝手に動く。その方向へ身体を向けようとしたとき、楓に手をぎゅっと握られた。私の手をとって、楓の手で包み込まれる。私はコンサート前、緊張でよく手が悴む。そんな時、楓はいつも私の手を両手で包み込んでくれる。それと同じだった。

「大丈夫。自信持って」

 楓は、微笑む。私の手に熱が戻る。

 離れていく楓の手。貰った熱を失わないように、私はきつく拳を握る。

 

 翔の影は、私のつま先の手前で止まる。

 恐れる気持ちを押し殺して、顔を上げる。

「一体、どういうことだよ」

 警戒心剥き出しの視線とぶつかる。酷く鋭く、冷たい。翔の部屋から追い出された時と同じものだった。

 背筋が凍り付きそうになる。

 矢沢は、そんな私と翔のひりついた空気など気にする素振りもなく、緩やかな雰囲気を崩さない。

「どういうことって?」

 矢沢がちょっと面倒くさそうに言うと、翔の目が更に強くなる。

「こいつだよ。俺の部屋に勝手に上がり込んでたの」

 指さした方向は、私。

 みんなの前で、晒し物にされている気分だった。

 さっと風が吹く。汗が滲んでいた場所から、体温を奪われていく。

 楓が、私をかばう様に前に立ってくれようとしたとき、矢沢は言った。

「あぁ、やっぱりね。そうだと思ったよ」

 どうして、庇ってくれるの?

 喉元まで出かかった声を飲み込みながら、矢沢の横顔を見守る。

「俺が彩音さんに教えたの。お前の部屋」

 矢沢は、私を一瞥し、笑う。いったい何を考えているのだろう。

 いくら探ろうとしても、私の観察眼では上手に貼り付けられた仮面の奥の素顔は、見えそうになかった。

「お前が? お前、こいつらと知り合いだったのか?」

「まぁ、そういう感じ? せっかく本人がいるんだし、お前が直接聞けばいいだろ? 『もっと、ちゃんと話を聞けばよかった』って、言ってたじゃん」

 矢沢は、翔の肩を叩く。

「ちゃんと話した方がいいんじゃない?」

 穏便になと、付け加える。

 翔が苦々しく顔を歪めたところで、矢沢は私の背を押した。

 思いのほか、その力が強くて私は強制的に一歩前に出る。翔の影が、私と重なる。

 

「というわけで、俺たちは退散するわ。ほら、行こうぜ」

 矢沢はのんびりとそういって、楓を促す。

「え? 私も?」

 矢沢は躊躇する楓の肩を掴んで、強制退場させていく。楓は、後ろ髪を引かれるように何度も振り返ってきていたが、角を曲がり二人の姿は見えなくなっていた。

 中途半端な時間なのか、ひっきりなしに行き交っていた学生たちの姿はない。

 残されたのは、私と厳しい顔をした翔だけだった。

 私は、ずっと拳を握っていた手を開く。そして、深々と頭を下げた。

 

「先日は……勝手に、すみませんでした」

 謝罪の余韻に浸る時間すら与えられることなく、頭上から淡々とした声音が落ちてきた。

「どうやって、部屋に入った? 俺が、聞きたいことはそれだけだ」

 それ以上は、喋るな。そう言われている気がした。

 開いていた手から、また熱が逃げていく。

 話を聞けばよかった。

 その言葉の意味を、私は自分の都合がいいように改ざんしていた。自分の身勝手さに、嫌気がさす。

 顔を上げても、翔の顔をまともに見ることができなかった。

「あなたの部屋の鍵を持っていたので……」

 翔の真っ黒な影が、揺れる。

「なぜ、あんたが持ってたんだ? もしかして、矢沢? かなり前から俺の部屋の合鍵がなくなってたのは、あいつのせいか?」

 刺々しい声だった。

 それが、私じゃない矢沢の方へ向いていく。矢沢にこれ以上、泥をかぶってほしくなかった。

「違います……矢沢さんじゃ、ありません」

 再び拳をきつく握った瞬間、何かが途切れた。


 ぱっと顔を上げた瞬間、勝手に溢れた。

「翔が、私にくれたんだよ……」

 みるみる視界が滲んでいく。冷たい翔の顔が、どんどん歪んで見えてくる。

 私は本当に自分勝手で独りよがりで、それでも私のことをわかってほしいと願っている。

 そんな自分が、心から頭にきて、苦しかった。

 

「私……小さい頃からピアノだけが取り柄だった。逆を言えば、それ以外は何もできなくて……。親はいつも言ってた。『お前は、とにかくピアノを弾いているだけでいい』って。ずっとそう言われてきたの。私の存在価値は、ピアノがあってこそだった」

 それが私の生きる意味で、求められているもの。ピアノが、私の人生のすべて。私も信じて疑っていなかったけれど、ふと瞬間に過るものがあった。

 もしも、突然ピアノを失ってしまったら、私はどうなる?

 突然、指が動かなくなったら。耳が聞こえなくなったら。感覚を失ったら。

 それでも、私が生きる意味はあるのだろうか。

「私は……単純で、でもピアノは確かに好きで……余計なことは考えないようにしていた」

 考えると、不安で眠れなくなる。食べ物も全部味がしなくなる。それでも、やっぱり時折考えてしまう。

 その繰り返し。

 出口のない真っ白な空間をずっとぐるぐる彷徨っている、そんな感じだった。

「……そんな時、翔が私に鍵をくれた」

 真っ暗な部屋に、突然扉が目の前にできたような感覚だった。

「『何もしないでいいから、ただここで待っていて』って……」

 その言葉を、私はずっと求めていたことに、自分でも気付いてなかった。

 鍵を開けて、カチャリと開く音。その瞬間、世界が変わった。

「嬉しかったんだ……すごく」

 拓けた先は、とても鮮やかな景色。

 太陽が降り注ぎ、緑が溢れて、色とりどりの花が揺れる。

 その世界をくれたのは、翔だった。翔がほんの一瞬、息を詰める気配がしたように聞こえた。


「……ごめんなさい……突然言われて、訳、わかんないよね……」

 涙が落ちるたびに、目の前が少しだけ鮮明になるけれど、またすぐに分厚い水の膜で覆われていく。

 翔の顔どころか、自分の手の形もよくわからない。

「……あぁ」

 歪んだ世界で聞こえてくる翔の声も、微かに震えて聞こえてくる。

 

 




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ