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夢の果てで、またいつか  作者: 野本


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思い出してほしい

 ぱっと目が覚めた時、これこそ正に夢を見ているのではないかと思った。

 昨晩聞かされた真実は、夢であったならどれほどいいのか、と。

 でも、身体は嘘をついてはくれない。悪夢を見た昨日の朝よりも、体が重かった。

 演奏中に突然電気が落ちて、真っ暗闇の中途方に暮れる。その光がいつ戻るのかわからない。

 そんな感じなのに、カーテンの隙間から明るすぎる太陽の光が漏れている。


 どうせなら雨でも降ってくれていれば、いいのに。

 私は空を睨み付けながら、家を出た。

 時は、待ってはくれない。どんなに傷つこうとも、始まってしまった演奏は待ってくれない。


 大学の校舎に入る。

「彩音!」

 声楽で鍛えられた楓の声はよく通った。その方向へ振り返る。突然、両肩をがっしりとつかまれた。

 痛いくらいの力で、揺さぶられる。

「どうしたの……?」

 揺れる視界の中、ぱっと楓が顔を上げた。その双眸には、怒りと涙が浮かんでいて驚く。

「どうしたのじゃないよ! 私、心配で心配で……どうにかなりそうだったんだから!」

 夢現バーを出た後、楓にはメッセージだけ送ってあった。今考えてみれば、私から意味不明な電話がかかってきて、メッセージだけで終わらせてしまったのは、申し訳なかったなと思う。

「……ごめん。心配かけて」

「本当だよ……じゃあ、行くよ」

「行くって……これから授業でしょ?」

「休講。入口の掲示板に張り紙があった」

 楓は、強引に手を引っ張っていく。


 そして、連れて行かれた先は、カラオケ屋だった。

 

 平日の午前中のカラオケ屋は、ガラガラだった。

 すぐに部屋が決まり、楓はメロンソーダ。私は、オレンジジュースをオーダーする。

 どこからともなく聞こえてくる歌声は、お世辞にも上手とは言えないが、重くなりそうな空気を半音上げてくれる。ちょうどいいBGMだった。

 ソファの背もたれに身体を預けようとしたところで、楓が真剣な眼差しを向けてきた。

「それで、昨日は一体どうしたの? 正直に話して」

 正直に今回の出来事を話すべきか。

 迷っていると、再び歌声が聞こえてきた。今度は、部屋の画面からでしっとりしたバラードだった。

 昨夜知った様々な出来事と重なっていく。

 楓の本気の目が私を捉えた。

「私はあんたに助けられてるんだから、今度は私が助ける番だよ」

 楓は、苦々しく顔を歪める。

「ほら昔……私が元カレと別れ話になったとき、身を挺して間に入ってきてくれたのは、彩音でしょ?」

 ぐるりと、記憶を探ってみれば、確かにそんなことがあった。楓と今のような関係になったきっかけの出来事。


 その頃、私が食堂で楽譜を眺めていた時、その隣に男女がやってきた。

 私の隣に、男性が座り、その正面に女性が着席。その女性が、楓だった。

 

 二人にもさして興味もなく、「ふざけんなよ!」

 隣の男が、突然叫び始めたのだ。

「いちいち、声を荒げないでよ!」

 楓が叫ぶと、男は勢いよく立ち上がり、周囲の視線も一気に集まっていた。

「お前が、気に障るようなこと言うから悪いんだろ! お前が、お前が!」

 男の顔が真っ赤になる。

 太い腕が、振り上げられた。その先は、座っている女性——楓の顔面で、私の体は咄嗟に動いていた。気づけば、男に向かって突進していた。男は、よろめいたが、頑丈な体躯へのダメージはそれだけだった。

 今度は、怒りの矛先が私に向いていた。

 男の拳がまっすぐ私へ突き出される。

 楓の悲鳴が上がり、ストレートパンチがそのまま私に直撃する間一髪のところで、周囲にいた学生たちが男を抑え込まれていた。

 その後、警備員がやってきて、男は御用となった。そして、私は楓と、なんでも話せる仲となった。

 

 飲み物が運ばれてくる。

 楓は、ストローをさし、メロンソーダを胃の中に押し込めている。本当は記憶から消し去りたい出来事を引き出してしまった。

 オレンジジュースを口に含む。ひどく酸っぱく感じて、私の口を刺激した。

「本当に嘘みたいな話なんだけどさ……」

 一度、話し出すと、止まらなかった。 

 自分が思っていた以上に、嘘のような重い現実は私にのしかかってきていて、押しつぶされそうだったのかもしれない。

 すべてを、話していた。

 ただ静かに私の話に耳を傾け続けていた。ずっと流れ続けていた隣の歌声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。カラオケ店らしからぬ静寂が、落ちる。

「なんか……狐につままれたような話だね……」

 いつもの楓らしくなく、声が籠っていた。

 ズズズっと、最後のメロンソーダを吸い込む音が鳴り響く。

 私も、コップへ手を伸ばす。氷が溶けて、中途半端に薄くなってしまったオレンジジュースは、酷くまずかった。

「だけど、私は……信じるよ」

 私のことをまっすぐ受け止めてくれる強い眼差しだった。

『彩音さんは、ちゃんと生きている』

 昨晩、みつえははっきりと、そう言ってくれていたが、心の根っこではずっと不安があった。

 翔が私を忘れた。私がこの世に存在している意味をあやふやにさせるくらいの衝撃を、全部消すほどの力はなかった。

 でも、楓の声はどこまでも通っていて、私をしゃんとさせる。


「それで? これから、彩音はどうしたいの?」

 率直な問いが、私に真っすぐ突き刺さっま。それは、昨晩自分自身に何度もした問いだった。

「私は、翔と一緒にいたい」

 昨晩出た答えは、何度考えてもそれだけだった。迷う余地すらない。

「私のこと、思い出してほしい」

 あの時受けた衝撃は、翔に叩かれた手の痛みと一緒に和らいでいる。

 楓は、発声練習した後のようなはっきりした声で言った。

「そういうことなら、私も協力するよ」

 楓の力強さは、私を奮い立たせる。

 突き進む準備が、できる。

 でも、翔の部屋にはもう行かれない。

 アパートの前で待っていたら、やっぱり迷惑になる。もう少し違う場所で、翔に会えそうな場所。

「私、翔の大学に行ってみる」

「よし! 善は急げ。行こう」

 私は、頷き立ち上がる。

 胸のネックレスへ手を置く。私は、ぎゅっと手の中に握り込んだ。


 

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