再会
僕は、無人駅のホームに降り立った。
雨が、ぱちぱちとホームの屋根に落ちている音と共にホームに発車を告げるベルが鳴り響き、風を切って走り去った。
ホームには誰もいない。 晴れてさえいれば緑豊かで、穏やかな清々しい気分にさせてくれるのだろう。たった一人取り残されたホームは、雨のベールに包まれていた。今は雨のせいですべてが灰色に煙っている。
勢いで来てはみたが、そのあとのことを全く考えていなかった。聞き込みでもして、実家を探そうかとも思ったが、聞き込みできるような人影どころか、民家さえも駅近くにあるような気配がない。
ネックレスを握りしめる。
やみくもに歩いて行ったところで、時間を食うだけだ。彩音とすれ違う可能性もある。
『翔は、待ってて』
夢の部屋に入る前、彩音に言われたことだ。
僕は、ホームのベンチに座り込む。雨音だけが、僕を包み込んでいく。
しばらくして、電車が再びやってくる。だが、誰も電車から降りてくる人はいなかった。
ただ、ほとんど乗客のいない電車は、代わりに雨雲を乗せていったのかもしれない。
雨は、少しずつ弱まっていた。
誰も降りてくることのない電車を何度も、見送る。そうしていると次第に雨はやみ、空が顔を出していた。
淡い青がゆっくりと顔を出す。
手にあったネックレスは、キラリと輝いた。
僕が夢の部屋に入ったとき、彩音の幸せを願った時と全く同じ色をしている。
空の色が、色を変えていく頃、ホームに明かりが灯った。
そして、あっという間に、夜は訪れた。
その間も淡々と電車は走り去っていく。
それを僕は、何度も見送る。
夜は一層深くなる。
田舎の夜は、真っ暗で怖い。
いつか彩音が言っていた通りだった。ホームの外は、想像をはるかに超えた闇が広がっている。
いよいよ最終列車の時刻が迫っていた。ネックレスの輝きが、少しずつ弱くなっている気がして、僕は手の中のネックレスを両手に包む。祈るように額にやった時だった。視界の端に映った人物。
僕は、叫んでいた。
——————————
田舎の道は、まっすぐ歩いているのかも、わからなくなるほど、真っ暗だ。
魂が死んで抜け殻になれば、あらゆる景色はこんな感じに見えるのだろう。
身内や他人、関係なく容赦ない暴言を浴びせられれば、人の心は壊れていく。
私も、きっとそうなるだろうと思っていた。
握りしめていた、スマホの画面に明かりを灯しながら、私は歩き続ける。
視界に、ホームが入ってきた。その中へ足を踏み入れた時。
「彩音!」
夜の静けさを切り裂いて、突然飛び込んできたのは、私を呼ぶ声だった。
驚いて、その方向を見やる。
その相手の顔を確認するよりも先に、抱きしめられていた。
頭をぎゅっと胸に押し付けられる。突然のことで、頭がついていかない。反射的に、身体が硬くなる。抱きしめられる力が強すぎて、息が詰まりそうだった。叫んだって、いいような状況だ。
でも。
「よかった……本当に」
髪を撫でられ、その声が私の中に沁み込んでいく。強張っていた身体が、不思議なくらいゆっくりと解けていた。
あなたは、誰? そんな疑問を投げかける暇なく、彼は忙しなく身を離していく。
今度は私の手を取り、何度もひっくり返しては、入念に確認し始める。
私はただなされるがまま、彼の真剣な眼差しから目が離せなかった。やがて、彼は私の両手を壊れ物を扱うかのように、彼の手が包み込んんだ。そして、また「よかった」と、また呟く。
今の言葉は、ピアノが弾けなくなった私への当てつけのように聞こえてもおかしくないものだったのに、それを聞いた瞬間、身体の中で蹲っていた真っ暗な物体が抜け落ちた。
そして、会いたいと零した相手は、紛れもなくこの人なのだと、わかった。
「あの……」
「ごめん! 突然」
私の声に彼は我に返り手を離し、一歩下がって慌てている。
自由になった手が、やけに寂しいと思ってしまう。何故そう思ってしまうのかも、よくわからないのに、手が動いた。
ずっとお守りのように手の中にあったスマホ。ずっと画面に表示していた楓のメッセージ。『見知らぬ人から彩音への伝言』と書かれた画面を、彼へ向ける。
「これ、あなた?」
『彩音の信じた道へ。俺は、信じて待ってる』
彼の瞳に画面の光が反射して、私を映す。
「待っていて、よかった」
そう言って彼は、安堵するように微笑んだ。
私は、目を見開きながら、あらゆる記憶が仕舞われているあらゆる箱をひっくり返していた。
中身は、ピアノばかり。今まで奏でてきた音楽が折り重なっていた。その中に、彼はどこにもいない。ただ、耳障りな不協和音ばかりが鳴り続けている。頭が痛くなりそうだ。
彼は、そんな私の手を取った。彼の優しい温もりが、全身に伝わっていく。ノクターンの旋律だけが鮮明に聞こえた。
「あなたのことが、世界で一番好きです」
まっすぐ見つめてくる彼の瞳から目が離せない。私の手が離れ、私の手に置かれていたものがあった。
——ネックレスが、手の中で輝いている。
頼りないホームの明かりが、ネックレスの中に降り注いで、輝いた。それが胸の奥に届いた瞬間、私の口は動いていた。
「『あなたのピアノ、世界で一番好きです』じゃ、ないんだね」
怒涛のように頭に流れ込んできた。
『初めまして。私は、影浦彩音といいます』
私がそう言った時、彼が驚いた顔をしていた。それが、少し複雑だった。
『これから私のこと、知っていってください』
私の告白に翔は戸惑っていて、私はちょっとだけ傷つきそうになった。
『私に何があっても、信じてほしい。諦めないでほしい』
でも、夢の部屋に入る前、約束をしたときの彼は私の知っている彼だった。
翔の目が、大きく見開かれていく。その瞳にみるみる涙が溜まっていくのを見たら、私まで鼻の奥がツンとしてくる。
翔に釣られないように堪えて、私はネックレスを首にかける。そして、笑顔を見せようとしたら、思い切り抱きしめられた。
「彩音……おかえり……」
鼓膜の振動が、涙腺に触れる。
「翔、ただいま」
翔の背中に手を回し、目を閉じた。
涙が、ほろりと落ちる。
風が、吹いた。最終電車が駆け込んできた。




