残されたもの
ただ、閉じた扉を見つめる。
扉が開いた時が、終了の合図。
みつえから聞かされている。彩音が入った扉は、バーカウンターの中の隅にある。その正面のカウンターの、一番奥に僕は腰を下ろし、ただひたすらに待ち続ける。
しばらくすると、カウベルが鳴り響いた。夜は、本格的にバーが稼働する時刻だ。客が談笑しながら、やってきた。
「いらっしゃいませ」
純とみつえは、笑顔の仮面を上手に被り、シェイカーを振る。氷がぶつかる音は、客の声を弾ませる。純の鮮やかな手つきに、客が見入り、微笑む。
グループで長居する者もいれば、一人でふらりと現れ、去る者もいる。刻々と人の顔は入れ替わっていく。絶え間なく流れる時間の波に逆らい、取り残されるように、僕はバーの片隅で、ひたすら彩音が無事に出てくることを祈り続けていた。
しばらくすると、視界を遮るように、バーカウンターの中に入ったみつえが目の前に立った。
「どうぞ」
目の前に置かれたのは、カクテルグラスだった。
「頼んでませんけど」
「純さんからのサービス。ダイキリっていうの」
飲み口に添えられたライムが、漂う。乳白色の液体がグラスの中で、ゆったりと揺れた。
「カクテルにはね、花言葉みたいな意味がそれぞれついているのよ」
みつえは、カクテルを一心に見つめ、唇を動かした。
「これは、希望」
みつえは、それだけ言い残して、再び仕事へ戻っていく。表面がバーのダウンライトに照らされ、反射して輝いていた。
希望。
優しく照らすような響きは、今僕が一番欲しているものに違いなかった。
僕はグラスを勢いよく煽った。名前や見た目と違って、甘ったるさはなかった。ただ、喉の奥が焼けるように熱くなった。
閉店時刻を迎え、客が消えていく。純とみつえは、それを送り出し、二人が戻り、片付けに取り掛かる。ちょうど、レコードの針を上げた時だった。
カチャリ。
ドアの施錠が外れた。僕は勢いよく立ち上がる。扉の一番近くにいたみつえが、ゆっくりと足を動かす。
僕もバーの内側へ入り、みつえの後に続こうとしたが、純が行く手を阻んだ。
「みつえに任せろ」
肩を押される。純の肩越しからみつえが扉を開けるのが見えた。純は、僕を抑えたまま、振り返る。みつえの目配せに、純が頷いた。みつえは一度大きく息を吐いて、中へ入っていく。その意味を知りたくて、縋るように純の腕を掴む。純は、みつえの方へ視線を向けたままだった。
黙っていろと、無言の圧力がある。バーの中の酸素がどんどん薄くなっていく。時間が異様に長く感じる。みつえが出てくる。そして、もう一度部屋の中へと顔を向ける。
きっと、その先に彩音がいる。みつえの後に続いて、笑顔で出てくる。
偽りなくそう思うのに、みつえは扉を閉めた。
その行動に全身の血液が沸騰した。
「彩音がまだ中にいるだろ!」
純の腕を振り払う。みつえの肩がビクリと震えた。胸の前で両手を握りしめながら、自分の影を踏みしめ、僕の正面に立った。
俯いているみつえの顔は、ダウンライトが作り出す影を全部背負ったように暗い。
「いなかった」
先ほど飲み干したアルコールが、毒のように蝕んでいく。すべての感覚が麻痺していく。
そして、みつえは握りしめていた両手を僕の前で開いた。
「残されていたのは、これだけだった」
それは、僕が彩音へ渡したネックレスだった。僕は、それを手に取る。
ネックレスがキラリと輝いた。
『私に何があっても、信じてほしい。諦めないでほしい』
彩音に言われた言葉が、僕の胸に静かに木霊する。
「彩音は、絶対に消えたりなんかしない」
僕は、ペンダントを握りしめた。




