今度は、僕の番
本当は、彩音からの誘いを断ろうかと思っていた自分が嘘のように思えた。
遊園地で、跳ね回る彩音を見ていたら、自然と気持ちは明るい方向へ向いていく。
今は、彩音から来た連絡を矢沢が勝手に打ち返したことを、ほんの少しだけ感謝してもいいような気分になっていた。
外のベンチに座る。
彩音が、ちょっとお手洗いに行ってくるねと言って、走っていく。
その華奢な背中を見送る。空を見上げると、黄昏色に染まり始めていた。
単純に、奇麗だなと思う。大きく息を吸いこめば、ずっと濁っていた肺が透明になっていく気がした。
時折、記憶の断片を見ることがある。
それを実際に体験していた時の僕は、きっと幸せだったのだろう。
そう思えた。
「だったら、今の俺も……あいつといれば、幸せになれるのかな」
ぽつっと呟いた声は、横から吹いた風に乗っていく。
その時、スマホが鳴った。
彩音からだった。
『突然、ごめん。急用ができて、このまま帰るね』
あまりに唐突すぎて、怒りよりも困惑の方が断然強かった。
すぐ近くにいるのだから、一言告げに来ればいい話だ。
僕だって、こんなところに一人取り残されたところで、楽しめるとは思えない。一緒に帰れたのに。
その瞬間、パン! と、何かが破裂する音が響いた。
異常なほど血の気が引いていく。
咄嗟に、その方向へ振り返る。子供が風船を割ってしまったようだ。
消えた風船の糸を持ったまま、わんわん泣いている。その横で、一生懸命子供をなだめている母親がいる。
どこにでもありそうな光景なのに、自分の手が震えている。
その翌日、大学へ行くと早速詮索好きの矢沢が僕の肩に手を絡めてきていた。
「デートどうだった?」
顔がにやけている。そういう顔をされると余計に話したくなくなるというものだが、仕方ない。
きっかけをくれたのは、矢沢だ。
「お前には、感謝してる」
矢沢は、手を引っこめて、腕をさすり始めていた。
せっかく素直に感謝を口にしたのに、案の定茶化される。
「お前にはもう二度と、礼は言わない」
「いや、お前は滅多にそういうようなこと言わないやつだから、単純に驚いたんだよ。気を悪くするなって。じゃあ、うまくいったってことだな?」
「突然、帰ったけどな」
ずっともやもやしていることが、つい口をつく。矢沢は、当然のごとく食いついてきた。
「え? 振られたの?」
こいつには言うべきじゃなかったという後悔はあった。しかし、やっぱり消化不良になっている気持ち悪さの方が、勝っていた。
その時のことをかいつまんで話す。それでも、やっぱり胸のつかえはとれなかった。
「だったら、今度はお前から連絡すればいいじゃん」
模範回答が返ってくる。その通りだ。
「連絡はしたよ。で、返信がこれ」
スマホを取り出し、画面を滑らせる。昨夜、家に帰ってからのやり取りを見せた。
昨日は、大丈夫だったかと、僕から出したメッセージに対する返信。
『突然ごめんね』
これだけだった。
矢沢が、僕のスマホをひったくった。過去の文面を念入りにチェックしていた。
「確かに、今までと比べると、ちょっと変だな」
矢沢は同意して、スマホを僕へと返す。
「何があったのか気になるのなら、今度はお前から会いに行ってやればいいじゃん」
「え?」
「これまでの彩音さんを見てみろよ。ずっと、必死だったんだぜ? お前に何とか振り向いてもらおうって」
突然、矢沢から本が飛んできて、慌ててキャッチした。
「なんで、お前そんなこと知ってるんだよ」
手の中に収まった本へ目を落とす。以前矢沢に頼まれて買ってきた小説だった。
「本なんか読まない俺が、わざわざお前に買ってくるように頼んだ。その結果、彩音さんのコンサートに行けた」
やっぱり、あれは仕組まれていた出来事だったのか。
手の本が、急に重量が増してく。
「楓さんから聞いたんだけど、そのコンサートは彩音さんが苦労して開催に漕ぎつけたって、言ってたぜ?」
自分のことばかりで、彩音の事情を欠片も考えようとしていなかったことに気づき、なんとも言えない気持ちになる。
「だったら、今度はお前が頑張る番なんじゃねぇの?」
矢沢に背中を強めに叩かれた。
ずっと自分自身にブレーキをかけていた何かが、外れた気がした。




