【第二章66】綺麗事は硝子の破片に似ている
事実、僕は親父が関係することを何も知ろうとはしなかったし、まさかこんな事が起きているなんて夢に思ったこともなかった。今までそれを悪いことだとは思っていなかったし、これからも知る気なんて全くなかった。
なのに今、あれの息子というだけで知らないということを責められ、理不尽に罵られている。だが!息子だからといって親の全てを知っているわけじゃない!大体知った所で僕に何が出来るっていうんだ、何も出来ずにやっぱり見る事しか出来ないのが関の山だろう!
僕が言い返そうと口を開いた瞬間、俊什は自分で服の上から押さえて隠していた入れ墨を、今度は自ら袖を捲り上げてそれを僕と中将様に見せつけた。白い肌に刻まれたその朱色は遠目から見れば赤い血の線のようにも見えた。
「テメェらに何が分かるって?こんな印を無理やり入れさせられた奴の気持ちが分かるとでも言いてぇのか!?ガキの頃に墨入れられた事あンのかよ!泣いても謝っても問答無用で入れさせられた入れ墨の痛みに耐えたことがあンのかって聞いてンだ!…ねえンだろ、坊ちゃん気取りの馬鹿野郎とお国の英雄様にはよォ!」
「それでも監査官殿は少し前迄は民間人だったのだぞ!儂らが守るべき人間を、お前は私怨で殺めかけたとまだ分からんのか!」
声を枯らしてまで叫んで怒鳴って、僕のみならず中将様まで詰る俊什のそれを聞いていられなくなって、一歩僕と俊什との距離を縮めてため込んでいた感情を怒鳴り散らした。
「あなたは確かに辛かったかもしれないが僕に取ってはお門違いの恨みに過ぎない、僕が朴黎明の息子だといって、なにが変えられた?親の仕事に口を挟んでそれを聞き入れて貰えるとでも!?あんたのそれは八つ当たりに過ぎないし、僕を殺したとしてもあんたの過去が変わるわけじゃないだろう!」
「黙れよ!八つ当たりなんざオレがいっちばんよくわかってンだよ!そんな綺麗ごとなンざ何の役にも立ちゃしねえんだからさァ!?そんなん言いてえならオレとおんなじ目に遭ってからにしろよ!」
一息に叫んで肩を上下させる俊什に、中将は一拍を置いてその分厚いクロークを脱いだかと思えば、突如としていつも第一釦まで占めている軍服の襟をぐいと下げた。そこには色褪せ始めた朱色の入れ墨があった。
「此れでも、まだ儂を綺麗事と断じるのか。同じ印だぞ」
「な…ッあんだと…!?」
言葉を失って立ち尽くしている僕らにその入れ墨が良く見えるようにか、中将様は僕が知る限り初めてシャツの第一釦を開けた。その様子を見るのは俊什も初めてだったのか、左隣からはっと息を飲む音が聞こえた。
「入れ墨の痛みは儂も知っている。この年になろうとも、あの痛みは忘れられぬ。それでも儂は唱えようぞ、お前が言う綺麗事とやらを」
中将様は顔を歪ませて喉に、いや、刻まれた朱色の入れ墨に手を当てた。何も言わなかったが、入れ墨を入れた頃の記憶が蘇っているのかもしれなかった。
しかし中将様が感傷に浸っている(少なくとも僕にはそう感じた)時間はそう長くはなく、彼は頭を振ると手に持ったままの重たく黒いクロークを執務机の上に無造作に置いた。そして中将様は扉の向こうに人がいないかを慎重に確認すると、俊什の前に二つのイスを引きずってどかりと座った。
「…何はともあれ話を戻そう。俊什よ、お前の目的はなんだ。監査官殿、いや…久藍を囮として唆して死に追いやるような真似をした本当の目的と、今回の件でお前がどこまで関わっているのか知っていることを全て話してもらおう」
俊什も中将様に倣い、乱暴にではあったが座っていたイスに座り直し落ち着きなく貧乏ゆすりを始めた。そして僕を睨み、中将様を睨み、最後には視線を落とす。彼の中で葛藤しているのだろうか、恐らくそうだろう。僕を殺し損ねたうえに、自分の犯行動機をその殺し損ねた奴の前で言うように強要されてるのだ。葛藤するのも当然である。
しかしそんなことは僕には関係ない、彼の中でどんな葛藤があろうと、どんな恨みが淀んでいようとあくまで僕は被害者だ。彼のせいで今でも背中が肩の付け根が痛むのに、彼の事情なんざ知ったこっちゃないのだ。
焦燥と、ほんの少し圧をかけてやろうという悪心から僕は敢えて立ったまま腕を組んでいたが、中将様が無言で自身の右隣に置いてあるイスの座面を軽く指で突いて示したが為に、僕の俊什に対する威圧もとい嫌がらせは数秒で幕を閉じた。




