【第二章58】音頭を取って
酒瓶が運ばれた時点で皆がそわそわし始めて早く飲みたそうにしている中、一人がそう声を上げると待ってましたと言わんばかりに場の空気が盛り上がった。
「そりゃあ軍人さんしか適任はいねべ!新しく着任されだ方だんて挨拶もかねでお願いしてゃ!」
「僕ですか?ええと、橙恩さん…」
「やってみたらいいんじゃないかな、良然君に協力してもらって用意はしているんだよね?」
こそこそと橙恩を呼ぶと、彼はニコニコと空の酒杯を手渡してくれた。反射的にそれを受け取ると、待っていましたとばかりに女性が近寄ってきて酒を注いできた。
横目で辺りを伺うと、みんな既に酒で満たされた杯を手に持ってじっと待っていた。言うまでもなく、僕がさっさと祝辞を済ませて乾杯するその瞬間を待っているんだろう。皆が期待しているという事実に、この季節にも関わらず背中に冷や汗が伝うのを感じた。
「えっと、みなさ、皆さん初めまして。僕は朴良然と申します、落火市にて当晩餐会にて祝辞を行います。年越しでせわしない今日ではありますが、このような華やぐ宴にご招待いただき感謝申し上げます。落火の名物である寒さも、どうやら皆様方の熱意の火までは落とせぬようで大変感心いたしました。遠方より参りましたが落火の活気たるや通るたび見るたび驚かせられるばかりです。どれも皆様の勤勉さによるものでしょう。僭越ながら僕が乾杯の声を掛けさせていただきます、では皆様酒杯を掲げて…乾杯!」
冒頭から噛んでしまったが、なんとか持ち直し乾杯まで持っていくことが出来た。ほっと息をついてイスに座り直すと隣のおじさんが話しかけてきた。
…が、訛りが酷くて聞き取れない。本当に一言も(いや、一言ぐらいは聞き取れたけども)聞き取れないからどう返せばいいかも全く分からない。
「う、え…ち、橙恩さん、通訳頼めませんかね…」
「ああ、北の言葉は南と大分違うからねぇ。さもありなんだね、彼は坊ちゃまの出身を聞いてるよ。たぶんさっきの挨拶聞き取れなかったんじゃないかな」
「あ、ああ成るほど…僕は夕崢出身です」
「こんふとば南出身たい、お互い訛りがあって聞ぎ取りずらいだべ。わーが会話の間さ入っても大丈夫が?」
僕と話すときは綺麗な標準語だったのにさらりと北の訛りに切り替えて、おじさんとすらすら話し始めた。一体この人は何者なんだ本当に。最初の方しか聞き取れなかったぞ…
「ほうけ、えらぐひんえな話し方だったがら生まれが気になったんじゃ。ほうけほうけ、南が、どうりでなぁ」
「んだ、珍しぇべ、南がら来るふとなんてな」
おじさんはうんうんと頷きながらそのまま橙恩と話し込み始めた。最初に話しかけに来た僕のことなどほったらかしである。
…いや、別に気にしているわけではないが、こうなると僕は酒をちびちびと舐めるしかなくなるじゃないか。
手持無沙汰になってしまい、小さめの硝子の酒杯に入った透明な酒を舐めるようにして少しづつ飲む。南と比べると北の酒は僕にとっては度が強すぎて、周囲の人のように一息で飲むだなんて無理な話だ。逆になんでこんな度が強いのにああも飲むのが早いんだ?やっぱり生まれ育った環境がものを言うんだろうか…
「やあ新しい監査官さん、宴は楽しめているだろうか?」
「ええお陰様で。料理が美味しいですね…ところで、どちら様で…?」
「俺はここの息子さ。本当は軍に志願してたんだが、落ちちまってね…監査官さんさえよけりゃ軍の話を聞かせてやくれないか」
その青年は驚くほど流暢な標準語を喋りながら、僕の隣のイスを引いてどっかりと座り込んだ。いくら部屋の中が暖められているとはいえ、随分と薄着な彼は耳より少し下まで伸びた髪を揺らして僕の目を覗き込んだ。
影になって目に光が差し込まず、真っ黒のその目を見るとどうにも胸騒ぎがして、失礼だと分かっていても目を逸らしてしまった。だが彼は気に障った様子も見せずケラケラと笑って膝を叩いた。
「なんだい、監査官さんは人見知りかい?」
「いえ、そういう訳ではないですがね…それより、何故軍に志願を?この館を見れば暮らしに困っているような様子は見えませんが。なにか憧れでも?」




