【第二章55】前夜
肩の酷さを知り、少しばかり「治った」と説明された背中の状態が気になって、怖いもの見たさで聞いてみた。
「背中にも矢が刺さった気がするんですけど、そっちは大丈夫だったんです?」
「背中の方は矢が掠った程度だったんです。服の厚みも相まってそこまで傷は深く無かったんですけど、肩の方は矢が刺さったままうつぶせに倒れたので…ぐっさりと奥まで刺さってしまってました」
「ええ…なるほど…」
なんてこった…僕はそんな状態だったのか?いやほんとうにそんな生々しく説明されても反応に困るが。
「そういえば、夕食は食べましたか?鎮痛剤も飲まなければいけませんよ」
「まだ食べていません。食堂に行けばいいんですか?」
「いえ、病棟には独立した厨房があるので、わざわざ本棟に行く必要はありませんよ。少し遅いですが、まだ配給しているはずです。受け取り口は事務所を過ぎて右に曲がった所にあるので、よろしければリハビリティションがてらどうですか?」
「では、そうします」
まああとは特筆すべきことは何もなかった。てくてく歩いて普通に病棟についている食事の受け取り口に向かい、夕食を受け取る。夕食はそこそこ美味しかったし、薬はそこそこ苦かった。
ベッド脇の棚の上に祝辞を書いた紙を置いて横になる。そうした方がなんだか落ち着く心地がした。
学生時代、試験に追われた同級生の間で覚えるべき内容を枕の下にひいて寝ると内容がすっかり頭に入っているなんて迷信もあったか…それを信じたわけではないが、まあ少しくらい迷信にあやかっておくかと思って、学生の時から枕の近くに暗記しておくべき物を置くようになった。
馬鹿馬鹿しいと思っていた迷信を、まるで信じているかのような振る舞いをするのはなんだか恥ずかしいような気すらされたが、意外とこれも馬鹿に出来ないものである。特に寝る前にうつらうつらとしながらそれらを読んでいると、これが中々頭に入るのである。
そんなことを思いながらその紙を呼んでいるとぱちりと卓上洋灯が一斉に消えた。どうやら消灯の時間らしい、一斉に消えたのは誰かの礼物だったのだろうか。仕組みがさっぱりわからない為、ただただ魔法のようだと感心して大人しく寝ることにした。
朝になったらしく辺りで人の活動音が活発になり、それに釣られるようにして僕も目を覚ます。身支度をしようとして身を起こすが、その瞬間重要なことを思い出した。
僕に支給された軍服がどこにあるのか僕は知らないのだ。いや、あの一着しかないという訳ではないのだが、それ以外の服は全て部屋の衣装棚に入っている。
つまり、わざわざ一度向こうに戻られねばならないのである。ここから僕の部屋がある宿舎までは凄く遠いという訳ではないが、それでもそこそこの距離はある。紅慧から借りた資料には祝宴は午後から始まるらしい。まあ猶予はたっぷりあるか。
それにしたって外に来ていく服が無いだなんてどうして忘れていられたんだろう。そもそも入院服であちこち歩きまわるべきではなかったのに、よくもまあ昨日の僕はあんな薄着で他の棟へ行ったり走ったり出来たものだ。
面倒だという感情を少し抱えつつも僕はまた入院服で出歩くことにした。仕方がない、これ以外の服はどこに行ったか知らないし、借りる方法も知らない。辺りの看護師らは忙しそうに朝の診察を行っており、話しかける勇気など僕には到底ないので全くの詰みなのである。
昨日と同様、僕が入院服で出歩いても特段何かを言われることは無かった。よくあることなのかも知れないが、それはそれで僕が過剰に気にしているようで少し恥ずかしい。
宿舎に差し掛かり、あの灰色の壁を見るとなんとも胸が塞がるようで苦しくなる。呼吸困難になるだとか、眩暈がするだとかそれほど重症であるわけではないが…例えるなら家の中で大きめのネズミが食品を食い荒らしているのを見た時のような…ちょっとした不快感とでも言おうか。
出来るだけ余計なこと考えないようにと祝辞の内容を頭の中で何度も何度も繰り返すが、それが通用したのはほんの最初の間だけであった。次第に祝辞を繰り返すのも飽きたのか、僕の頭は勝手に壁の方に集中を向けだした。
思い出したくなくてもまだあれから日が浅いせいでありありと、鮮明にあの日の気分やら痛みやらが思い出されてしまう。
「よお坊ちゃん、まだ入院して一週間も経たずに脱走かよ」




