【第二章54】駄弁まみれの治療
もう一思いにやってくれとしか思わなかったのだが、想像していたよりはるかに痛みは少なく、暖かいお湯が布にしみてぺったりと肌に張り付いて、痛いというよりむしろほんの少しの気持ち悪さがある感じだった。
「あんまり痛くないんですね」
「あら、そうでもないかもしれませんよ」
どういう意味かと聞くより先に、包帯に染みたお湯が傷口に触れたと気が付いた瞬間、肩から首筋にまで走り痺れるような痛みが走った。
「いッッ…ッた!!」
「でしょう?血で固まって壁になってるだけでちゃんと傷は露出してますし、朴さんが思っている以上に深刻なんですよ?これで分かって頂けたかしら」
まったく…とでも言いたげなため息をついて、僕の肩から赤っぽい水が滴る汚れた包帯を剥がして捨てた。ぐうの音も出ない。確かにいずれにせよ申告しなければいけない傷ではあったけれども自業自得ゆえに言いだしにくかった。
「まあ…そこそこ広がってしまっていますね。こちらの鏡に映ってる傷見えますか?」
「はい。これはそこそこなんですか?」
鏡に映った自分の筋肉のない細い肩から、鎖骨あたりまで横に裂けた親指程のサイズの傷を見て、うっすらと冷や汗が額を伝うのを感じた。
「ふむ、ええ。これはそこそこですね。私の基準はここで見てきた傷を基にしているので、朴さんからすれば大きいかもしれませんが…まあともかく。今回も前回のように塞げるのは表面的な部分です。薄皮の下ではまだ傷がふさがっていない事を念頭においてください。もう少し安産策として縫合する手がありますが、どちらにしますか?」
「…手間をかけてしまうと思うんですが、礼物でお願いします。明日の祝辞があることを考えると痛みそうな縫合はちょっと…」
完全な本心ではないが、縫合は動くたびに違和感がありそうだ。それにここの棚は医学書ばかりで、麻沸散や硫酸エーテルなどの麻酔はなさそうに見える。この状況で縫合だなんて地獄のような痛みを味わうに違いない。今でさえ叫ばないでいるのを自尊心だけで耐えているのだからこれ以上はごめんだ。
「まあ、明日の祝辞は別の方に変わらないのですか?」
「さあどうでしょう。中将様から伺っていないので変わっていないのでは?少なくとも、僕はそう思っていますよ」
「そうなの。もう…いい加減毎年あるのだから今年ぐらい無しにすればいいのに。はい、乾いた布巾で傷周り拭きますので、大人しく」
「はい。ところで、白姐はこの宴のことご存じなんですか」
棒立ち状態で、文字通りされるがままで濡れた肩の傷を軽く抑えるようにして拭かれ、流石に痛くて傷をかばうようにほんの少し動くと鋭く釘を刺された。
ならばと気を紛らわせるために知ってるかと尋ねると、白姐はぱっと顔を上げて眼をきゅっと猫のように細めて口を開いた。
「ご存じかって?ええ勿論ですとも。毎年この時期になると監査官の方々が鼻高々に出かけていくんですよ。一晩帰ってこないこともあるのでこの時期は私たちにとって心安らかに過ごせる一日を得られる機会だったんですよ」
「それはそれは…鬼のいぬ間になんとやらですか」
「ふふ、まさしくね。去年の宴の夜は素晴らしかったんですよ。いつもより少し多い食事を取った後、監査員様がまだ戻らないからって私や、…とにかくみんなで厨房に忍び込んでつまみ食いをしたんですよ」
くすくすと思い出し笑いを漏らす白姐の息がほんの少しかかったらしく、肩の皮膚がひきつれるような感覚がして首を回してみてみると、さっきまで血を流して赤い内部を露出させていた傷跡が見る見るうちに新しい皮膚で繋がっていったのが分かった。
その様子を見た白姐はさっと顔色を変えてふっと埃を払うように傷に息を吐き出した。不均等に治りかけていた傷があっという間に塞がりきり、傷があった様子は見えなくなった。傷が治ってもなお、慎重に肩を確認する白姐はようやく納得がいったのかほっと息を吐いて胸を押さえた。
「ごめんなさい、あのままだと中途半端に治ってしまいますので焦ってしまって。普段こんなことはめったに仕出かさないのですが気を抜いてしまいました。ごめんなさい、不快感はありますか?」
「いえ、全く。治療ありがとうございます。お陰ですっかり良くなりました」
肩を軽く触ってみると痣を触った時のように皮膚の下の方が少し痛み、これで走ったのかと自分を疑った。
…これ、背中は大丈夫だったんだろうか。




