【第二章49】有言は金。されども
恥ずかしさを誤魔化すために様々な言葉が飛び出していきそうになるのをため息とともに飲み込んで黙る。もしそんなことをすれば、逆効果になるどころか図星だと相手にバレてしまうことなんて百も承知だからだ。
僕が口をつぐんで頑なに目を伏せていると、橙恩は飽きたのか肩をすくめてあたりを軽く見まわして言った。
「まあ、どこにも不審者はいないようだし、わたしは帰るとしようかな。坊ちゃまも、室内だからと油断していると風邪を引いてもうしばらくここに滞在することになるからね。白小姐が治してくれるからと思っていると痛い目見るよ」
「まっ、待ってください、なにかそれ以上に話すこととか…ほら、ちょっとぐらいあるでしょう?」
さっさと踵を返そうとする橙恩を僕が引き留めると、彼はまるで予想外だとでも言いたげに目を丸くして首を振って言った。
「何か?いえ特に」
飄々と答える様に少し苛立つ。無いはずがない、だって昨日のあの時、僕が俊什に裏切られるほんの少し前のあの時、彼は確かに僕と俊什をみたのだから。今やすっかり回り切っているであろうあの噂について彼が何も思っていないとは考えられない。
「わたしが坊ちゃまに話があるというよりも…坊ちゃまの方がわたしと話があるように見えるんだけれどもねぇ。この年寄りになんの用事が?」
「ッ…昨日の爆破事件のことです。出回っている噂をご存じでしょう!それについてあなたも何か知っているんでしょう!?いや、知っているはずだ、あなたはあの場にいたんだから!」
僕が感情に任せて叫ぶと橙恩はうっすら生え始めた白い髭をザリ、と撫でて目を細めた。
「ああなるほど…その話をするにはここは広すぎる、なので場所を変えようかね。怪我人をあちこち連れ回すのは、わたしの好みじゃあないんだけれどもね。まあ白小姐も老骨には流石に注射器を使うことは無いだろうし…そうだと信じたいけれども。さあさあ坊ちゃま、この老骨のあとをついてきてください」
はっはっはと笑いながら橙恩は後ろに手を組み歩き始めた。一人で随分と良くしゃべる…が、僕の返事を期待する様子は全くない。その場に立ち尽くしても置いて行かれるだけだろうと思い、僕は少し迷いながらも橙恩の後ろをついていく。
「そうそう坊ちゃま、明日は祝辞を述べるんでしたっけ?いやぁ素晴らしい、坊ちゃまも才覚豊富で将来が実に楽しみだ」
「それはどうも、光栄です。それで…僕たちはいったいどこへ向かっているんですか?」
「ははっ、謙遜が上手いね。それと、ここには空いている部屋がないからね。別棟である二等級宿舎に移動しようかとね。ああ、傷が痛むかな?なら」
「傷が問題じゃありません、あなたの意図が全く掴めないのが問題なんです。一体どうして急に人を遠ざけようとするんです」
別に話したければさっきの廊下だって、人が少ないから向いていると言えば向いているのだ。だからわざわざ場所を変えてまで話をする必要があるのかと疑問に思ってしまう。
だから急に場所を変えようとする彼に何かしら、良くない意図を感じてならない。そういえば昨日もこんな感じで大勢と分断された挙句に矢の的になったんだ。通りで嫌な気持ち悪さが喉を絞めるのかと納得すると同時に、恐怖で足が地面に縫い付けられて動けなくなった。
橙恩は足を止め、くるりと振り返る。未だに腕を後ろに組んだままのせいでほんの少しだけ威圧を与えるようにも感じた。橙恩は眉を少し上げて口を開いた。
「わたしを恐れているのかい、朴の坊ちゃま。また、あの時のように誰かにに裏切られ、傷つけられるのではと…ご安心を、彼とわたしは違う。それとも、まだ周囲に誰かが居た方が安心できるのかな?」
落ち着いて丁寧な口調には僅かに嘲るような声音があった。
お前を助けもしなかった周りの人間を信用しているのか。お前を疑い、一線を引いた人間たちを。お前があんなに嫌い、恨んだ人間を。意気地なし、愚か者…
橙恩はそのようなことを言っていないのにも関わらず、僕の頭の中で橙恩の声で幻聴が響く。僕が答えられないでいるのをいいことに橙恩は畳みかけてきた。
「質問は坊ちゃまが先にしたけれども…わたしにとっては廊下では寒すぎるし、坊ちゃまの寝台はカーテンで区切られているとはいえ、はははっ、中々に開放的だよね?だから僭越だけどわたしの部屋へ案内しようかなと。しかしさてどうしましょうか。坊ちゃまの嫌がる事をするのも心苦しいんだけどねぇ…」
もどかしいとでも言いたげに首を振り、じっとりとした流し目を橙恩は僕に向けてきた。




