【第二章48】知ろうとはしなかったこと
書き終わった手紙を封筒に戻して軽く折り目を付ける。手紙を懐にしまう直前で借りていたペンを思い出し、事務員の机の上にペンを置いて言った。
「ありがとうございました、ペンはここに置いておいてもよろしいでしょうか」
「はい、構いません」
僕はペンを返し、ようやく手紙を懐にしまって事務室を後にした。
明日祝辞を述べるために町に出るついでに、この手紙を郵便に出そうという魂胆だ。まあ少しぐらい寄り道しても問題ないだろうし、明日出せば長くとも一週間以内には届くだろう。雪がこれ以上酷くならなければな話だが…
そう思いつつ二重窓がつけられた曇りガラスを眺める。かなり年季が入っていて、そのような加工はされていないのにも関わらず、曇って外が見えずらい窓の向こうはどんよりとした雪雲が空を覆いつつも、幸いなことにまだ雪は降っていなかった。
まあ、いま降ってなくてもあとから降るかもしれないけども…少なくとも今は大丈夫そうだ。
それにしても嫌な天気である。二重窓を突破して体の末端を冷やしていく外気はいつものことながら、天気がどんよりとしている為か頭痛がする。そういえば母さんもこんな天気の日は頭痛がすると言っていた。母さんは大丈夫だろうか?やっぱり母さんにも手紙を書いておくべきだったか…
すでに封をしてしまった手紙を服の上から抑えてほんの少し、後悔する。ほんの二週間前までは細かな連絡の手紙なんてなくても、毎朝顔を合わせて近況を話せた。だからこそ別に大して何か言わなくてもいいか、という怠惰な感情がずっと居座っていたのだ。
それが今になって牙をむき、寂しさという感情として現れようとは誰が想像出来ただろうか。少なくとも僕は出来なかった。だからこそ今後悔しているわけで…
ああぁ、こんなことなら普段から手紙の練習でもしておくんだった。そうすればこんな風に手紙の内容で苦心することは無かっただろうに。
らしくもない感傷に浸ったせいか。昨日枯れたとばかり思っていた涙が、ぐにゃりと曇りガラスをさらに歪ませた。服の裾で涙を拭うが次から次へと溢れ、仕舞には水にも似た鼻水が垂れてきた。流石に借り物の服に鼻水をつけてしまうのは忍びなく感じられて、大きな音を立てて啜る。喉に張り付くような気持ち悪い鼻水を何とか飲み込み、グッと奥歯を噛みしめた。
「おやおや朴の坊ちゃま…こんなところで、お一人で。全く一体何があったんだか」
背後からかけられた聞き覚えのある声に、鼻をもう一度啜ってから振り返る。
そこには予想通り橙恩がいた。…いや、予想通りではないな。少なくとも彼がなぜここにいるのか分からないのだから。
「その顔から察するに…どうしてわたしが此処にいるかわからない、といったところかな。どうだい、なかなか当たっているんじゃないかな?」
「…そこまで言うのなら、僕が今どう思っているかも当てられそうですね」
「さぁて、人の心というのは山の天気のようなもの。わたしのような者が、朴の坊ちゃまのように高貴な心をもつお方がどう考えていらっしゃるか、なぁんて推測するのも全く以ておこがましいというものだよ」
返事を返すだけ馬鹿馬鹿しいように感じられて、僕は何も言わず、代わりに湿った袖を握ってそれとなく隠した。
「冗談はさておき…わたしは業務の一環で来ただけだからね、坊ちゃま。そう緊張しなくたっていいんだよ」
「業務?へえ、病院の巡回まで業務に組み込まれているとは思いもしませんでしたよ。国境付近の巡回は辞めさせられたんですか?」
へらへらと笑うばかりの橙恩に無性に腹が立ち、八つ当たりと分かってもなお嫌味をぶつけてしまった。
「ありゃまあ。これは手厳しい、でもね辞めさせられたなんてことは全くないのでご安心を。わたしは巡回隊の全体責任者と言っても過言じゃあない、ここら辺を担当してる隊員の報告を受けたもんだから、ちょっくら様子をね、見に来たんだ。なんでも、病棟の国境近くの入り口をうろつく不審者がいると聞いたもんでねぇ。それで…おや?どうしたんです坊ちゃま。顔色が悪うござんすねぇ」
…言い逃れのしようもないほど僕である。僕が橙恩に嫌味を言ったはずが、いつの間にかぐうの音も出ないほど追い詰められていたのだ。
ッいや、しかし考えてみてくれ!僕は入院患者の服を来ていたのにどうして不審者だと思われたんだ!?なんだ、迷ったからときょろきょろして、寒いからと身を物陰に隠したりしたのがいけないとでもいうのか!仕方がないだろう初めてここに入院しているんだから!寒さにだって別段強いわけじゃないし!やめろ橙恩!ニヤニヤするんじゃない!その顔は絶対に分かったうえで揶揄ってるんだろう!なんて奴だ!




