【第二章47】著しい変化
ニコリと微笑む白姐の表情からは患者を気遣う看護婦としての微笑み以上の感情は読み取れない。少し前なら世間話の一つや二つぐらいあったかもしれないと考えると失望にも似た悲しみを感じた。
眉を顰めそうになるのを気合で止めて感情が表に出ないようにして、代わりに白姐にいつも通りの微笑みを返した。
「ありがとうございます。白姐さんも体調を崩さないようにご自愛くださいね」
違和感なく微笑み返せたかは甚だ疑問だが、何もなく僕らは分かれた。白姐は患者が寝る病棟へ、僕は事務室がある方へ移動する。
この病棟は少々変わった構造をしていて、一階は一つの事務室と広間を利用した病床がある。そして二階は感染症の疑いがある患者の隔離病室と分かれている。一階の大広間には三か所入り口があり、事務室近くの入り口とグラウンドに面した入り口、そして国境門に近い入り口がある。特に、グラウンドと国境門に面した入り口は大きく開くようになっていて緊急時には一斉に患者を運んだり出入りしやすいようになっている。
僕が知っている病院が一般市民用なだけで、もしかすると多くの軍事施設はこうなっているのかもしれないが、僕からするとこのような構造は物珍しく感じてしまう。
なので迷うのも仕方がないのではないだろうか。
「この道真っすぐ行げば事務室だがらね、本当にまーっすぐ行って、右手側の引ぎ戸開げだらすぐ事務室だがんね。ならもうさすけねえがしら?」
「はい、本当にご迷惑をお掛けしてすみません…本当、忙しい中…」
「いいのよぉそだ気にしなぐだって!オラみだいなおばさんなんてお節介すんのが好ぎなんだがら!でももう国境門近ぐうろうろしちゃわがねよ?昨日の事もあってみんなピリピリしてんだがら尚更ね」
「はい、肝に命じます」
「やぁね!そだ重ぐ受げ止めねえでいいのよ!まだなんかあったらおばぢゃんが助げでくれるがんね!」
そう言って気のいい女性は洗濯物を抱えて僕とは反対方向へ行ってしまった。
目的の方向すら真反対にも関わらず、国境付近の扉でうろうろして不審者扱いされていた僕をそれとなく連れ出して助けてくれた彼女には頭が上がらない。
まさか迷っているところを巡回隊に見つかるとは…こんな不運もあり得るのかと我ながら呆れる。幸い彼女が僕のことを見かけていたらしく、庇ってくれたから良かったものの、顔見知りが居なかったらと思うと恐ろしいばかりである。
「すみません、紙とペンを貸してもらえませんか」
「ペンですか、ではどの病棟の何階に居るか教えてください。貸出書を書きますので」
「病棟はここで、一階の大広間です。名前も言いますか?」
「お願いします」
「はい、朴久藍と申します」
ここ以外にも病棟があったとは…かなり広いんだな。確かに危ない国境付近ではあるが、この大きさの病棟が二個も三個も(あるかは知らないが…)あるとは。
少し気まずいような、居心地が悪い思いをしながらも貸し出されたペンと紙を受け取り、一言断ってその場で返信を書く。
「ご家族へですか」
「ええまあ」
「外出届は出せる状態なんですか?」
「出すにせよ、出さないにせよ明日外出する予定があるので…まあ問題は無いと思います」
「へぇ。運がいい」
「ありがとうございます」
…良くもまぁ初対面とここまでしゃべれるなこの人は。
「それで…そんな上等な手紙なのに返信はこんなありふれた紙でいいんですか」
「別に叔叔の趣味に合わせるつもりは無いので…」
「へぇ。あなたの叔叔さんは趣味がいい、こんな良い紙はそうそう使うものじゃ無いですからね」
うーん、その点においては完全に同意だ。那穎のこういうところが多くの女性を虜にするんだろうけれど…不思議なのは彼がずっと独身という点である。彼は風流人だし、家柄もまあ、華だし。言葉を選ばなければ彼は選び放題のはずなのだが、どうも不思議なことに結婚する気はまだないらしい。
…よし、書き終わった。こんな感じで良いだろう。
『拝啓 華那穎様。
輝静さんに相談していたのですが、叔叔の方にも伝わっていたのですか。何はともあれ許可ありがとうございます。五か月と言っていましたが、十分です。輝静さんが叔叔にいい土産話が出来るよう、僕も尽力します。それと、僕は本家の事業に興味を持ったとは言っていませんからね。五穀本草で働くといったあの日の決断は変わってません。
そうそう、母さんの様子はどうですか?僕が手紙を送っていないからと怒っていやしませんか?何はともあれ僕は元気だと伝えてくれませんか。僕から言うのも気恥ずかしいものですから。
老爺と姥姥に僕からの挨拶を代わりに伝えてください。
敬具』
…ちょっと短いかな。まあいいか、最低限ちゃんと書いてあるし。




