【第二章45】張りぼての心
叫び終わったあと、いきなり大声を出したせいで酷くせき込む僕に水を差し出した中将の手を振り払ってギッと睨む。振り払った際に彼の手から滑ったガラスのコップは左から右へとその身を滑らせて床に落ち、盛大な音を立てて割れ、乾いた床に水をぶちまけた。
「奴が答えないのならあなたに聞くしかありません、橙恩と、俊什は、何をしていたんですか…!どこで、何をしていたんです!?」
怒りに任せて、敬意も何もかも殴り捨てて中将に怒鳴った。虚勢でしかなく、怒鳴り声に芯のないその訴えは壁のような中将にぶつかって打ち砕かれたように感じた。
…そして帰ってきた言葉に僕はただただ、驚きに目を見開くしかなかった。
「確かに、橙恩からお前と俊什が一緒に行動する旨の報告を受けた。しかしそのあと良然が俊什から連絡を受け、二人が別行動になったと聞いた。故に、誰も貴殿の行動の証明が出来ない」
良然が俊什から連絡を受け、とは十中八九あの時のことだろう。僕を囮にする計画を立てつつ、僕に濡れ衣まで着せようとしていたのか?腹立たしいことにあいつは僕の前で堂々と裏切る算段をつけていたのだ。人の命を一体なんだと考えているのだろうか?それとも彼の中で僕は人間ですらないのか?
泣きたくなるのをグッと奥歯を噛みしめることで押し殺し、代わりに鼻で笑う。全然笑える気分でも状況でもないがそうでもしないと自分が崩れ落ちてしまいそうな気がした。
「それで?僕が疑いを向けられている理由はなんです?ご覧の通り僕は北鰐に射貫かれ倒れていたんですが?」
「一つ、混乱に乗じて身をくらませたこと。一つ、誰の目もない場所に単独で行ったこと。これらから貴殿が内通者ではないかと疑う声がある」
「僕が内通者?はっ!その疑いを口にした人の名前を挙げてみましょうか!?俊什さんでしょう、違いますか?」
中将は目をそらさずにじっと黙り込む。その無言が何よりの証拠だ。
「ええそうでしょうとも、僕と一緒にいた彼なら僕の動向を知っているでしょうから都合よく捻じ曲げるのなんて楽だったでしょうね!そしてあなた方は彼を信じた!当然だ!ああ実に理に適っているとも!彼とは付き合いが長いでしょうね、それこそ何の証拠もなく信用するに足る長さでしょうとも!」
叫んでいるうちに目頭が熱くなりジワリと涙がにじみ出た。強く目を閉じ、息を吐くことで何とか抑えるが、怒りが熱を失う代わりに、僕にここまで信用がないとは思わなかった、信じたくなかったという悲しさと無力さが胸を占めた。確かに俊什の方が付き合いも長く信頼度も高い、それと比べたら僕は信用に足らないかもしれない。が、少なくとも話を聞かれることもなく内通者かもしれないと疑われる程とは思わなかった。
もう叫んだり怒ったりする気力は残っていなかったが、ここで折れたくないという矜持が頑固に残って、声を振り絞った。
「それで、矢は見ていないんですか!?矢で北鰐民族のものだと分かるでしょう!?」
「奴らは普遍的な作りの矢を使う。残念だが矢のみで特定はできない」
虚勢を張って左前に佇む中将を睨み、声を張るが、すっぱりと切り捨てられてしまい言葉を失う。
「そんな…」
「…だが、監査員殿の言動から内通者だとは到底思えない。もう一度、しっかり俊什に話を」
中将は一度目を閉じ、深い息を吐きながらその顔を申し訳なさそうな表情へと変えたが、それからの話はどこか僕には関係のない遠いところの話のように感じて、中将の話は右から左へと流れていった。
話を聞くとか、現場調査の範囲をどうのとか、いろんなことを言っていた気がする。僕はただ規則的に頷いたり返事をしたりするので精一杯で、詳しいこと全てを覚えていられるような状態じゃなかった。
中将が帰った後も、ずっと見張りの長という男性が寝台横に居たため、僕は彼に背を向けてずっと寝ているふりをした。寝ようにも胸が詰まって形容しがたい苦しさで寝れなかった。
夜になって、ようやく一人になった時。どっと涙が止まらなくなってしまい声を押し殺して泣いた。なぜ自分が泣いているかも分からずに涙を流し、悲しいのか、悔しいのか、腹が立つのか、それとも全部なのか。感情がぐちゃぐちゃに絡まってただただ泣いた。
ようやく涙が枯れた頃、その時になって初めて自分が置かれた状況が飲み込めた。まるで涙が枯れた瞬間に頭の中の霧も晴れたようだった。
まだ俊什の目的は見当がつかないが、少なくとも僕がやることは決めた。僕にだって誇りはある、内通者などという濡れ衣を着せられたまま生きるだなんて出来ない。だったら僕は僕で俊什の狙いを探り、雪辱を濯ぐしかない。
なにがなんでも。




