【第二章44】怒りは募るばかり
いやこの際僕に平手打ちしたのが誰かなんて、そんなことはどうでもいい。今はあの北鰐民族の二人組と俊什がどうしているのか知りたい。二人組は捕まったのか、俊什は一体何をしていたのか。そもそも裏切った理由はなんだったんだ?僕と彼は初対面のはずだ、恨まれる理由も原因もない。
…まさか、僕が監査員だから?俊什の年齢は分からないが、少なくとも英壮のように監査員を知らないほど彼の年季は浅くないだろう。前任の被害を受けた可能性だってる…が、それと僕はなんの関係もないだろう。僕が前任に嫌がらせをしろと命じたわけでもない、僕が彼に嫌がらせをしたわけではない。だというのになぜこんなことを?
僕だってここに来たくて来たわけじゃない!でも来たからには仕事をしなきゃいけないんだから、仕方がないじゃないか!監査員の肩書だって欲しいとちっとも思えないし、今すぐにでも投げ捨ててしまいたいぐらいなのに!こんな扱いを受ける謂れはない!
次第に頭が沸騰し始めて歯を強く噛みしめる。かつてないほどの怒りで目の前がぐらっと傾き、うつぶせに倒れそうになるのを何とか片手で支える。布団の上についた手は知らずの内に布団を握りしめて深いしわを刻んでいた。恐らく怪我が深すぎてまだ十分に血が巡らないのだろう、頭は沸騰しそうなぐらい熱いのに首から下はまるで死体のようにスッと冷えていて、思わず身震いした。
「入る。起きているか」
漸く落ち着いたころ、まるで見計らったようなタイミングで中将が仕切りを開けて中に入ってきた。後ろには険しい顔をした良然が続いている。
「お前がなぜあの場所にいたのか。嘘偽りなく教えて貰いたい」
「中将様、良かった…!あの二人は、北鰐の二人は捕まえましたか」
僕がそう尋ねると中将はより顔を険しくさせた。その時、僕は普段よりも中将がまとう空気が厳しいことに気が付いた。彼の視線にはどこか、僕を責めるような、怒りを抑えているような色が見える。
しばらく沈黙が場を支配したのち、中将は重いため息をついて再び僕に視線を向けた。
「北鰐は、あの場にはいなかった。もっと簡潔に問おう、監査官よ…なぜ国境付近に一人で近づき、矢を受けた状況で倒れていた?それも、莉国の人間が原因不明の死亡をしたすぐあとにだ」
…僕は、疑われているのか?犯人として?
あまりに想定外のことに脳が追いつかず、目を見開いて呆然としていると良然が突然頭を鷲掴みにして乱暴に上を向かせてきた。反射で閉じかけて狭まった視界の中で良然は顔を赤くして怒鳴った。
「ッだから!てめぇがあの時!俊什を置いてどこほっつき歩いてたかって聞いてんだろうがッ!さっさと答えろ!」
グワングワンと揺らされ、貧血も相まって気持ち悪くなり酸っぱい胃液が喉元までせりあがる。冷静さを欠いた良然の腕を抑えて中将が割って入って来た。
「やめんか!…聞けるものも聞けなくなる。落ち着け」
「…ッチ!」
中将の制止に良然は不服そうに舌打ちをして突き放すように手を離した。その衝撃で壁に頭を強打し、視界が一瞬揺れる。頭を支えるように額に手を当てて眩暈に耐えていると一度は収まったような気がした怒りが良然に向き始めた。巫山戯るな、という言葉が喉元までせり上がるのを唾と一緒に飲み込む。
しかし一度生まれた怒りはいくら抑え込もうと、そう簡単に消えるものではない。僕は手のひらに爪を食い込ませながら叫んだ。
「僕は、俊什さんと一緒にいましたよ…!ええ、ええそりゃあ、あなた方からすれば、僕は信頼のかけらもないよそ者でしょうとも!だがそれはこちらも同じだッ!わけも説明されず、特に理由も分からず犯人扱いされて僕の気分が良いとでも!?巫山戯るのも大概にしていただきたい!良然!あなたはさぞかしあの若者を信頼していたのでしょうがね、彼は北鰐と思わしき民族衣装を着た二人組を見つけるなり、捕らえるためと嘯き僕を囮に放り出し、自分はさっさとどこかへ行きましたよ!これで満足か!中将様!橙恩さんから報告が来ていたんでしょう!ならば僕を疑うのはなぜだか教えていただけるのでしょうね!?」
一息に全部吐き出し、大きく肩で息をする。良然は唇を噛みしめたかと思えばベッド横に設置されていた(消毒などが乗っている医療用の)ワゴンを乱暴に蹴り、態と大きな音を出して仕切りをくぐって出ていった。
怒りも疑問も解消されないままの僕は、当然引き留めるために声を張ろうとするが、先ほど酷使した喉は掠れた咳しか出せなかった。




