【第二章41】言葉の綾
自分でも情けなくなる程犬みたいな呼吸を繰り返しながら、やっとの思いで返事すると俊什は呆れたように目を回してまたぶつぶつ呟き始めた。
…恐らく良然に伝言しているんだろう。でなければ僕に対する文句か。
「どんぱ、どんぱちって、止められてましたよね?…橙恩さ、橙恩さんに」
「止められてっけどサ、別に捕まえちゃ駄目だって言われてねえもン。ここで逃げられても困るだろ?」
「それって結局交戦になるのでは…!?」
「細かいことは気にすンなって、それに多分もう少ししたら増援も来るだろ」
「良然は何か、言わなかったんですか」
「イヤァ残念だけどオレの能力って一方通行なンだよねぇ。だから良然に伝えるのは出来っけど、良然からはなんも返事できねえのサ」
肩をすくめ、俊什はオーバーコートの下に装着したベルトから短剣を抜いて慣れた様子で構える。いきなり飛び出しこそしなかったものの、しかし何時でも飛び出していきそうな素振りを見せた。
「ちょちょちょ!?待ってください勝手な行動は駄目ですって!」
「声がでけえっての…大丈夫だって、流石にオレからは行かねえヨ。アイツら木の上に隠れて様子伺ってるから行けねぇしサ、それに向こうは二人だゼ?二人ぐらいならオレでもなんとか対処できらァ」
「ではなぜ短剣を構えてるんです…!?木の上の相手とじゃ分が悪すぎるでしょう!?」
声をひそめて無謀を咎めるが、俊什は意に介した様子もなく鼻を鳴らした。
「このままじゃ分は確かに悪いがちょっと工夫すりゃ十分戦えるんだゼ?あっちは弓を持ってっけど、逆に言えば近距離に持ち込めば勝算はあンのサ。ま、欲を言えばもうちっと仲間は欲しいけどヨ…そうだ、もうそろそろ後ろから誰か来てたりしねえか?増援とか」
「…残念ですが、なにも」
「ははっ…こーりゃキツい待ち時間になったゼ…」
乾いた声で笑うと俊什は構えを解いて難しい顔で北鰐と思わしき二人組を見る。その二人は望遠鏡と思わしき筒を覗き込みながら何かを話し合っている。未だにあの被害者は燃えているのか、喧騒が遠く聞こえる。俊什はため息をつきながら肩の力を抜いて壁にもたれ掛かる。
…諦めたのか?さすがに大きな交戦に持ち込まないようにして二人も拘束するのは無理があるだろうし、ここは大人しく援軍が来るのを待った方がいい。賢明な判断だ。それに、先ほど良然に伝えたらしいし、良然の近くには中将もいる。そんなに待つ必要はなさそうだ。
「よーし、出会って早々で悪いが久藍囮になってくれ」
いや、全然全く諦めていなかった。それどころか僕を囮にしようだなど恐ろしいことを言いだした。
「ちょっと待ってください囮ってあなた…!いや理には適っているけど…いやそうじゃなくて!もっと穏便な手口とか…!」
「無理だ。もうすぐ逃げそうだし、ここで逃がしちゃいけねえってオレの直感が言ってる。それに久藍も分かってるだロ、お前とオレだったら俺の方が動ける。だったら囮になるのは」
俊什は口を閉ざしてじっと真っすぐに僕を見据える。その雄弁なまなざしは僕に「お前だ」と言っているようにすら感じた。実際僕は俊什に追いついていける程の体力も力もない。僕と彼なら囮に向いているのは間違いなく僕だ。
「向こうは戦う気は無いし、もし勝算が無いと分かってしまえば即撤退するだろうけど、もしも無力そうな目撃者がいたら殺した方が楽だろう。だからその隙を突きたい」
そんなことを言われて素直に頷く人間がどれだけいるだろうか。いや、此処に限っては多いのかもしれないが僕は嫌だ。今だってまださっき爆発して燃え盛る人の影が頭に焼き付いていて離れないのに、その元凶の前にのこのこと出て行かなければいけないなんて。彼らがどのようにして起爆したのかもわかっていない、そんな未知の相手に無力で何も武力を持たない僕が太刀打ちできるはずがない。
…僕があの人のように火柱を立てない保証はどこにもない。無事でいられる保証なんてものは存在しないんだ。
僕がそう考えて黙り込んだのを見て、俊什はおもむろに頭を下げた。
「卑怯な手だってのはオレも分かってる、だけどここで逃がしたらダメなんだヨ…あいつらに罪を認めさせて償わせなきゃあの人も、その人の家族も報われねえンだ。頼む、遠くから声を掛けるだけでもいい、アイツらの気を一瞬だけでもいいから逸らしてくれ」




