【第二章34】カルテに睡眠不足
猛烈に眠い…結局昨夜は日付を超えるころにようやく暗記の出来に満足して眠った。結果、睡眠時間は4時間も無い。寝た気がしない。
そのせいかいくら目を擦っても視界はぼやっと輪郭を無くすし、さっきから欠伸が止まらない。外の寒い空気で目が覚めるかと思いきや、むしろどんどん眠くなる。準備体操中も必死に欠伸を噛み殺すが、近くの英壮には欠伸がバレてしまった。
「なんだなんだ、しゃきっとしないか!さっきから何度目の欠伸だまったく。それ、消灯時間を守らずに夜更かしでもしたんだろう」
「えぇまぁ…」
「また欠伸だ」
呆れたように腰に手を当てて目を回す英壮は僕の両耳を掴んでグッと引っ張り始めた。
「いッだだだだッ!何するんですかちょっと!?」
声を荒げると、すぐに放してくれたが、英壮は悪びれる様子はなくむしろきょとんと首を傾げたままだった。
「何って、目が覚めるだろ?よく言わねえか?眠い時耳引っ張ると目が覚めるってよ」
「確かに言いますが力加減!」
「あ、すまんすまん。次から気を付けるよ」
はぁ…どいつもこいつもどうしてこんなに力が強いのやら。僕もいずれ彼らのようになるのか?
頭の中で筋骨隆々且つ林檎を片手で捻り潰す僕を想像するがどうも像を結ばない。僕がそんなに筋肉をつけれるとは想像もできない。
「でも、ほら、さっきより元気そうに見えるぞ!その調子で一緒にもうちょい頑張ろうぜ、な?」
「うわ、そうでしたまだ持久走が残ってるんでしたね」
「そうだぞ!ほらほら集合の合図が出されてる、早くいかないと教官にどやされちまう」
「待ってください僕そんな足早くないんですから!」
「ちんたらしてたら置いてっちまうからな!」
英壮は笑いながら走っていき、本当に置いていかれてしまった。…置いていくと言って本当に置いていくパタンがあるのかと驚きが勝ってしまった。
っ違う!驚いている場合じゃない!早く追いつかなければ遅刻として怒られてしまう!
すでに遠くなってしまった英壮の背中を追いかけるべく、まだノロノロと重たく感じる足に鞭打って走り始めた。日頃から体を動かしている英壮とは違って、運動を怠けている僕にはたった数メーター先の英壮に追いつくのも難しい。まだ持久走が残っているというのに数少ない僕の体力がすり減っていくのが感じられた。
このあとの持久走、昨日と同じようにまた僕だけ一番最後に終わってしまうのかもしれない、なんてことを現実逃避のようにぼんやりと考えていた。
うん、それがいけなかった。ぼんやりと考え事をしながら走っていたがために足元に雪で隠れてしまっていた小さな窪みに足を取られて派手に顔面から地面に激突してしまったのである。一応、僕が遅いのを心配して戻ってきてくれた英壮が僕を救護室に連れて行ってくれたので、ひどい鈍痛を自覚する前に救護室に駆け込めた。英壮は「おれが急かしたから…」と酷く項垂れていて、それが僕としては申し訳なかった。
結果として鼻血、転んだときの衝撃で眼鏡の鏡面にヒビが入って完全に割れる寸前になってしまった。今は救護室の椅子に腰掛けて鼻血が止まるのを待ちながら簡単な処置を受けている。
「災難でしたね、他に怪我はありませんか?」
「もう大丈夫です。本当にお手数をおかけいたしました」
「まぁ、そんな事ありませんよ。皆さんの手当をするのが私の責務ですから。それに…中将様や皆さんと違って私は安全圏にいるので、私ができることならなんだってしたいですわ」
申し訳なさそうに彼女は眉尻を下げて笑った。その姿は本当に女神(女神だとかは僕の好みの表現ではないのだけれども)かなんか何じゃないかと疑うほど純粋である。
だがそのお陰で、すでに彼女の礼物によって僕の額や手の平にあった細かな擦り傷はすっかり消えている。僕だって最初はこんな小さな傷、わざわざ礼物を使うほどじゃないと遠慮したが最終的に押しに負けてしまった。小さな傷が感染症を引き起こすと脅されては、同じく医学を学んだ身としては折れるしかなかった。
「まだ鼻血は止まりそうにないですか?」
「もう少し、という感じはするんですがね…まあ僕としては朝練をさぼる口実ができたので嬉しい限りではありますが」
「まあまあまあ、教官に知られたら大変ですよ」
「白姐さんが人の秘密を言いふらすような人じゃないって信頼してるからですよ。そうだ、手紙は出していただけましたか」
「ばっちりですよ」
ぎゅ、と拳を握って力強く頷く白姐に釣られて頷くと、鼻血が少しだけ逆流して噎せる。
今日はひどい目にしか遭わない日なんだろうか。




