【第二章30】誤解は溶けないままで良い
でも、ここ椿苑基地では違う。礼物を持った彼らが集められて過酷な戦いを強いられるここには、礼物を持たない人間は左遷でしか在籍を許されない。余程のことがなければここに礼物がない人間は来ないのだ。だからきっと彼は僕が入隊早々酷い規律破りをして、罰としてこっちに配属されたと思っているんだろう。
…この誤解って、もしかしたら解かない方がいいんじゃ…?だって解くには僕が監査官だということとか、親父のこととか話さなきゃいけないわけだし、話さなければ彼の中で僕は問題児で済む。このまま話し相手もとい、友達になれるのでは?
生まれてこの方、僕の生まれと実家を知らない人なんていたことがないから、これは絶対に逃がせない機会だ。よし、黙ったままでいよう。
「そうですね、僕なりに頑張っていきます」
「その意気だぞ!一緒に頑張ろうな!人間、評判なんて時間はかかるが変えられるものなんだからな!」
な、なんて眩しい笑顔なんだ…少し後ろめたいような気がしてきた。
いや!僕は隠し事をしているわけじゃない!聞かれていないから答えないだけだ!悪いことはしていない、はず!
英壮とあれこれと話している内にあっという間に夕食の時間は過ぎてしまい、就寝時間が迫ってくる。英壮は夕食を食べ終わるとあっさり行ってしまったが、僕としてはせっかくできた友人との別れは、例えどれだけ短くともこんなに寂しいものなのかと自分でも驚いてしまった。まあ引き留められるほど僕は初めての友人に対して図太く出れないので、その場で手を振って別れて汗を流しに浴場へ向かった。
しかし、本来多くの人が使う浴場ではあるものの、基本的に訓練後すぐに汗を流す人が多いため、僕のように夕食を食べ終わったあとに来る人は少ない。あたりを見回して件の人に会わなかった事に胸を撫で下ろす。
が、しかし、どうも一方的に言われっぱなしであったことが悔しい。相手の顔がはっきり見えていたならばもう少し勇気も出たというのに、メガネがないばかりに言い返す勇気もなかった。
顔を洗い終わって顔を上げると、鏡の中の顔をしかめたメガネのない自分と目が合う。少し隈が目につくこの見慣れた顔は疲れているのか、どうもぱっとしない。思えば落火に来てまだ一週間と一日しか経っていないのに随分と色々な事があった。今日は台詞を二回読んだらもう寝よう。
…はて、何かを忘れてはいないだろうか?なんだかモヤモヤと気持ちが悪い。一体何を忘れたと…あ。
「良然に酒があると釣ってそのままだった…」
奴、もしかして僕の部屋の前で待っていやしないか?いや、良然のような常識しらずのことだ、僕の部屋に勝手に入っていても何ら不思議じゃない。しまったな、酒と言ってもいま手元にあるのは輝静さんに冷え性対策として持たされた薬用酒しかない。
僕の中では後日にしようと言うはずだったが、今朝のやり取りはどう考えたって今夜を指している。にしても薬用酒か…輝静さんが配合したものだから効能に疑いはないが、果たして美味しいかと言われたら良薬口に苦しとしかいいようがない。困ったな。良然は薬用酒で騙されてくれるだろうか。
少し恐れを抱きながら自分の部屋に向かう。部屋に戻るだけなのにこうも緊張するのも変な話だが、今回は僕が悪いところがあった事は否定のしようがない。大人しく怒鳴られるのを覚悟して薬用酒を差し出すか、今度だと言い張るか…
「おせぇぞ、つまみ持ってきたから酒出せ、酒」
部屋のドアを開けると当たり前のようにベッドに腰掛けて机の上のつまみを指さす良然がいた。念のため言うが僕のベッドに腰掛けて僕の机に物を置いている。彼の言うつまみとは揚げた落花生に塩を振ったもので、食堂で出される料理の余り物で作ったようなつまみだった。勿論、薬用酒には合わなさそうだ。
「酒…そうですね、お酒が目的でしたもんね…こちら、どうぞ」
彼の顔を見ないようにして薬用酒の瓶を彼の前に置く。
静寂。彼も僕も何も言わない。瓶には薬用酒と書かれた紙が貼り付けられているから彼から見たらなんなのか分かるだろう。良然は何も言わないし、僕も顔を見れない。
氷は溶けても誤解は溶けないままっつてね…こうして場は氷のように凍ってしまう訳でして。




