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はーとふる  作者: 玖洞
第二章
24/24

逃亡


――二つの影が薄暗い路地を駆け抜けていた。


次の路地を右に、その次を左、空き家の中を通過して次の路地へ。



「はぁっ、リ、リオンさん達はっ、大丈夫でしょうか」



息も絶え絶えな様子でユエが問う。


無理もない、ただ走っているだけならばともかく、今は追われてる立場なのだ。その精神的負荷を考えれば、いつも以上に体力の消費が多くても仕方がないだろう。



「ふぅ、ラウルさんは別にどうでもいいけど、……リオンには『縛り』もあるし危険な事はしないと思う。……てか、大丈夫?息きつそうだけど」



それに対し、多少の息切れこそは見られるが、シエルはまだまだ余裕があった。偏に育ちの問題だろう。

かつては、と言っても一月程しか経っていないが、彼もまた森の恩恵を受けて生きていた人間なのだから当然ともいえる。



「だいっ、じょうぶ、です」



……だが、ユエはどう多く見積もっても、これ以上の逃走は体力的にも無理そうだった。

いくら敵のペースが緩慢だとはいえ、このままでは追いつかれる事も十分あり得る。



――治癒を使えば、この場は凌げる。でもそれには別のリスクが伴う。



一つはユエに自身の能力、所謂『職能(スキル)』を知られる事。

もう一つは此処が外であるという事。そう何時第三者にスキルを使っている所を見られてもおかしくはないのだ。


初見では分からなかったとしても、その際の魔術残滓は普通の人でも視認出来るため、魔術だという事は一目瞭然だ。


只でさえ魔術師とは特権階級の人間だ。どこにも所属していないもぐりの魔術師が居るというだけで噂にはなる可能性が高い。



万が一、僕の事が露見してしまったら。――考えたくもない。



だが今使わなければ、確実に一人の人間が命を落とす。



治癒術を使う事のリスクは重々承知の上だ。でも、ここで出し惜しみをするのはどう考えても悪手だと思う。



――それに赤の他人ならば、当に見捨てている。



リオンの友人だから、という理由ではまだ弱い。ただ単に、僕は――



真っ直ぐに僕と向き合った彼の事を嫌いになれなかった、……そういう事にしておこう。





「…………『癒しの風よ、彼の者を包め』」



左手の紋章が淡く輝く。詠唱と同時に暖かい風がユエを包み込んだ。



「――あ、呼吸が楽になった?……それに足も痛くない。あの、シエルさん」



「後で説明するから今は走って。――……すぐそこまで来てる!!」



――ユエの疑問を封殺し、時折回復を繰り返しながら走り続ける。


……どれだけの時間が過ぎただろうか。恐らくは20分は経っていないと思う。ここまで何人か普通の通行人とすれ違ったがそんな事はどうでもいい。

彼らの事まで気にしてられるほど、僕には余裕がない。おぞましい気配は彼らに見向きもせず僕らに向かって進んできているというのに。


……急がなくてなくては。




この時の僕は、追跡者の気配のみに気を取られていた。だから、というと言い訳にしかならないが、彼がそんな行動をとるなんて思ってもみなかったのだ。






「ユエっ、次の路地を抜けたら目的地に……、――――ユエ?」







――――……なんで、誰も後ろにいないの?











◆ ◆ ◆










――怖い。――怖くて堪らない。




そっとシエルから離れた僕は、先ほど通過した大きく開けた広場に向けて走り出した。



あのまま逃げていれば、きっと集合地点までは辿りつく事が出来るだろう。――でもその後は?



ルナさんの最後の姿が頭に浮かぶ。――あの優しい人たちがあんな目に遭うなんて、絶対に嫌だ。それだけは許すことが出来ない。


だからこそ、此処からは一人で行動すべきだ。








走りながら考える。



――僕の人生とは一体なんだったのかと。


此処で惨めに殺されるために、僕は生まれてきたとでも言うのだろうか。そう考えると神様というのはなんて残酷なのだろうか。


何故、僕ばかりが不幸なのだろう。何故僕の手元には何も残ってくれないのか。




――シエルさんに最初に会った時、正直、嫉妬している自分に気づいた。



何一つとして、穢れを知らないような清廉さをもった美しさ。

リオンさんに無条件で受け入れられ、彼女の一番を自然に独占する様。

物怖じせずに、感情を素直に表して接する事が出来る強さ。


あぁ、なんて――羨ましい。そう、思ってしまった。


話をしてみて、彼女には彼女なりの事情がある事は察したし、ツンとした態度ではあったが性根は本当に優しい人であることはよく分かった。


でも、僕みたいに汚れた人間には、彼女のそのあり方は眩しすぎた。


それに加え、先ほどの魔術。魔術師になるというだけで何万人に一人という確率なのに、特殊な身体干渉系の魔術師なんて、この世に一体何人存在するというのだろうか?


『選ばれた人間』、そんな言葉がふと頭に浮かんだ。


――きっと、特別な人には神様すら優しいのだろう。それに対し、僕は……。


でも、それも仕方がない事だ。


――――家族を殺して生きながらえているような僕には、これが当然の結果なのだから。







――僕は、僕の命は家族の屍の上に成り立っている。



最初は父さんと母さんの死だった。

流行り病だとリオンには説明したが、実の所きちんとした投薬さえ行っていれば、死に至る程の重い物ではなかった。


理由を言ってしまえば単純で、ただ単に薬を買う金が無かったのだ。

いや、一人分の薬ならば手に入ったのだ。


なら、その薬は誰に使われたのか?……流行り病に罹っていたのは両親だけではなかったのだ。


――幼い僕も例外ではなかった。



今となってはおぼろげな記憶だが、とても優しい両親であったと思う。きっと彼らは己が死の淵に会った時すら僕の事を優先してくれたのだろう。


それでも姉さんがその事で僕を責める事は無かった。




それから暫く、僕と姉さんは親戚の家を転々とした。だけど、お金も何も持っていない僕らが快く迎え入れられる事は無かった。

殴る蹴るは当たり前、食事すら十分に貰えた例がなかった。


暴力を振るわれる度に、姉さんが『大丈夫だよ。きっといつか神様が助けて下さるから』と僕の手を握って慰めてくれた。姉さんも同じように痣だらけだったというのに、僕の前ではいつも笑って、決して泣き言は言わなかった。


……僕の辛い時に笑っている癖は此処から来たのかもしれない。在り方は姉さんのそれとは大分違って歪んでしまったけれど。




でも結局祈ったところで神様は僕らを助けてなんてくれなかった。


何処に行っても邪魔者扱いは変わらなかった。



――奴隷として売り出されたのも当然の結果だったのだろう。




僕はその頃から見目は悪くなかった為、無理な仕事を任せられる事は無かった。


でも、姉さんは違った。僕より年上だった姉さんはとても優しい人だったけれど、優しい人、というのは此処では決してプラスには働かない。


それに加え、姉さんの容姿は特に秀でているという訳ではなかった。当時の姉さんの年齢は14。事前教育を受けさせるには遅すぎる年齢だった。――だからこそ、姉さんは使い潰された。


姉さんは少しずつ消耗していった。木が水を失って枯れていく様に、ゆっくりと。


僕やルナさんには気丈に振る舞っていたけれど、それでも限界だった。





姉さんが死んで暫くした後、僕に友と呼べる人が出来た。塞ぎ込んでいる僕を心配して、声をかけてくれたのがきっかけだった。


彼は僕より二つ年下の、とても優しい男の子だった。


何時も人の言う事に怯えていて、頼みごとを断れない少しばかり気弱な子だで――、その姿に、どこか姉さんを重ねて見ていたのかもしれない。


――でも優しい人は此処では早死にする。姉さんと同じように。彼もまたそうだった。


自分の中の『悲しい』と思う感情が凍っていったのは、きっとこの頃からだったのだと思う。


そんな苦しいだけの日々を、人形のように笑って受け流した。


そして気が付くと、あっという間に成人を迎える年になっていた。

この頃の記憶は正直曖昧で、……できれば思い出したくはない。


基本的に称号を授かるのは誕生日の当日だとは言われているが、実際の所、人によっては一週間ほど前後する事も多いそうだ。僕もその例にもれず、誕生日から三日後に称号が現れた。


何か特別な事があったわけでもなく、朝起きたら称号が刻まれていた、という落ちなのだけれど。


でもその夜、おかしな夢を見た事だけは覚えている。


黄金の柱が立ち並ぶ豪奢な神殿の中で、輝く何かと対面した、そんな不可思議な夢。


僕に学さえあれば、その景色と関わりのある神様の逸話を知ることが出来たのだろうけれど、結局今でもあれが何だったのか分かっていない。だが、啓示と呼べるほど関わりがあるとは思えなかった。きっと偶然だろう。


僕の称号名は『審判者』。物事の真偽を司る者。


そんな大仰な称号でありながら、僕に宿ったスキルはたった一つだけだった。


――僕は『人の嘘』を見抜き事が出来る。それも100%の確率で。


これは一体何の因果だろうか。僕は人を甘言で騙して媚を売り、客は己を偽り美化させる。

この薄汚い世界で『本当』を見せ続けられるなんて何かの罰としか思えない。


それに、奴隷如きがいくら良い称号を得たって上の連中に利用され使い潰されるだけだ。

この能力が支配人に知られれば、僕はきっと権力者の弱みを握るために動かされることになる。


それは、嫌だった。


今でさえ苦しくて仕方ないのに、これ以上誰かを貶めるために行動するなんて絶対に嫌だった。


だから誰にもこの称号の事は言わなかった。それにこんなところには称号を調べる事の出来る神官なんて来るはずも無いし、露見の心配はしていなかった。


――でもその選択も、間違いだったかもしれないとたまに思う。


此処は嘘に侵され過ぎていた。


女が紡ぐ賛美の言葉、男が紡ぐ自慢話。同僚同士楽しそうに話していても、蹴落とすために嘘を吐く。感情も、言葉も、全て笑顔の裏に隠して。


本当の事なんて何一つないのではないかと思うくらい、此処は醜悪だった。




その地獄の様な中で、ルナさんの存在は僕の救いだった。


彼女も例によって嘘を吐くことが多かったけれども、僕と、――ラウルさんにだけは真摯に接してくれた。


きっと彼女は、ラウルさんの事を愛してしまっていたのだと思う。たとえそれがいくら愚かな事であろうと知っていたとしても、止められぬほどに。


ラウルさんはラウルさんで、他の追随を許さない程に嘘の塊だったけど、時々、――本当に時々、ルナさんに対しては本音で話していた。



それでもやっぱり、淡々とした毎日の中で、心が緩やかに死んでくのは止められなくて、……僕はゆっくりと崩壊に向かって歩いていった。



――死にたくない、でも、生きていたいとも思えない。



下らない人生だと思っていた。惨めな人生だと思っていた。――これからも、ぬるま湯の様な地獄で生きていくのだとばかり思っていた。



そんな毎日の中で、彼女に出会った。姉さんに良く似た、優しい年下の少女。


ラウルさんに連れられて彼女は此処にやってきた。


彼女と話していて一番驚いたのは、彼女の言葉のには嘘がほとんどないという事だった。


何かを褒める時も、怒るときも、心配する時すら彼女の言葉は澄んでいて、――一緒に居てとても呼吸がしやすかった。



――こんな人が、存在するのか。



それは僕にとっては価値観を変えてしまうほどの衝撃で、……だからだろうか、思わず彼女に縋ってしまったのは。


友人なんてもう二度と作らないと決めていたのに。それでも、――彼女の手が温かかったから。


言ってしまった後に、我に返って否定をしてみせた。


あぁそうだ、彼女の様な人が僕みたいな人間と一緒に居ていい訳がない。希望を持つだけ無駄だ。


だからこそ、突き放した。嘘だと、騙されるなと。


――彼女は優しい人だから。他の誰かに騙される前に、僕の事をいい教訓だと思ってくれればいいと、本当にそう思った。



でも、――それでも彼女は僕の手を取ってくれたから。



だから僕は思ってしまった。



間違って、思ってしまった。



――こんな僕でも、幸せになれるんじゃないかと。







そんなささやかな幸せが、たった二日で黒に塗りつぶされた。



赤い部屋に散乱する、ルナさんだったモノ。



それを見た瞬間、『やっぱりか』と思った。僕が幸せになれるわけがなかったのだ。僕だけが、この残酷な世界に生き残っていられるのは、きっと親しい人と、『幸せ』を対価に差し出しているからなのだと。



僕の大切な人ばかりが先に死んでいく。



でも僕は悲しんじゃいけない。これからも生きていたいのならば、鈍くなくてはいけない。


それでも彼女は許してくれた。悲しんでいいと、――泣いてもいいのだと。


優しくて、高潔で、――本当に酷い人。



もし、貴女が先に死んでしまったら僕は駄目かもしれない。僕はもうあの頃の様に鈍くはいられない。次こそは心が壊れてしまう。



だから、貴女が僕の手をとり「必ず助ける」と言った時、覚悟を決めた。



……死にたいわけではない。でも、壊れた世界で生きるよりはずっとマシだ。





それにシエルさんも、本当にいい人だった。


落ち着いているリオンさんと違って、年相応の子供らしさをもった少女だった。自分の事で精一杯なはずなのに、僕の心配もして。不器用な優しさで僕を慰めてくれた。


あの人がいるなら、リオンさんは大丈夫だ。――きっと僕がいなくなっても、前を向いて生きていける。



それでも、たまに僕の事を思いだしてくれるならば、――それだけでもう十分だ。




空を見上げて、ふう、と息を吐く。



僕の人生は、くだらなくて、最悪で、不幸ばかりだったけれど――――、


「――最後だけは、悪くない人生だったなぁ」



本心からそう思う。最後の最後にこんなに穏やかな気持ちになれるなんて思ってなかった。



背後から近づいてくる気配に、ゆっくりと振り向く。相手が誰かなんて問うまでもなく分かっていた。





「狙いは僕なんでしょう?」




黒いローブを着た、見慣れない服装をした少女に、ゆっくりと問いかける。



バッサリと切られた前髪の下から覗く黒い瞳が、無感情に僕を見ていた。




――リオンさん。貴方やシエルさんが僕を守って傷つくくらいなら、僕は此処で潔く終わろうと思う。


助けてくれると言ってくれて、友達だと言ってくれて、本当に嬉しかった。――だからサヨナラをしよう。




大好きでした。――バイバイ。




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