5、記憶
彼は手渡したサンドイッチを美味そうに食べていた。
「美味い……! 美味い……!」
「気に入ってくれたようで良かったわ。……そろそろ、教えてくれる? あなたについて」
「俺について……?」
彼は少し困ったように、渋い顔になった。
「俺の名前は、エコー」
「エコー……姓は?」
「分からない」
「分からない?」
思わずオウム返しをした。分からないとはどういう事か。
「覚えていないんだ……自分の事、何も」
「覚えてない……記憶喪失ってやつ?」
静かに頷くエコー。マチルダは思わずため息をついた。どおりで隠し事をしている感じがないわけだ。
――こいつ、そもそも隠し事を覚えていない。
「家族は?」
「わからない」
「身分を証明出来るものは?」
「持ってない」
「お金は?」
「……110ブラック」
「よくこんな底辺国家でそんな風で生きてこれたわね」
思わず、そんな言葉が出た。こんな奴、今のブラックバニアなら速攻人攫いにあって、奴隷同然に一生タダ働きさせられてても不思議ではない。
「……危険な奴や場所、わかるんだよ、俺」
エコーはそんな事をぽつりと言った。
「あのね。偶然今日まで生き延びただけなのを自分の実力とか、思わない方が良いわよ。単にあんたは幸運だっただけ」
「……」
「こんなご時世じゃ、少しの油断が命取りになるよ?」
「……分かった」
エコーはマチルダの言葉を聞いて頷いた。
――分かってるんだか、分かってないんだか。
そう心の中で呟いた。イケメンじゃなければとうに追い払っていただろう。年上の安心感はまったくなく、むしろ野良猫の様な印象を持った。
「……覚えてる事、ある」
「お、何? 家の住所とかならありがたいけど」
「俺がいた場所……でも家じゃない。無機質な部屋。薬品の匂い。白衣を着た人達がいた」
「…………」
「そこから逃げてきたのは覚えてる。……耐え難い苦痛だったから」
「…………」
マチルダは思わず、言葉に詰まった。これは思いのほか、厄介な奴と関わったかもしれない。
「……仮に、その話が妄想じゃなくて本当だったとしましょう。あんた、本当に何者なのよ」
「……分からない」
「あー……もう。堂々巡り」
マチルダは頭を掻いた。さて、どうしたものか。そもそも、こいつは関わって大丈夫な人間だったんだろうか。
そんな事を考える。こういうタイプの人間はどうすりゃ良いんだろう。明らかにヤバい出自の男と知り合った時の対応法など、これまでの21年の人生で学んだ事などない。
「……とりあえず、時間まで残りの作業でもするか。途中で抜けたら職務放棄扱いで報酬もらえないし、昼飯は全部食べられちゃったし」
「……ごめん」
持ってきたサンドイッチは全てエコーが食べてしまっていた。よほどお腹が空いていたのだろう。
「別に良いわよ。今日は懐に余裕あるし、外食にする……午後の部の仕事終わったら、一緒に行くわよ。それまで、そこの木陰で休んでなさい。その辺の地面の探知は終わってるから」
「行くってどこに?」
「街に戻る。あんたもいつまでもここにいるわけには行かないでしょ。身の振り方も考えないとね」
マチルダはエコーを一瞥する。嫌がっている様子はない。ならば連れて行っても問題ないだろう。少なくとも地雷原に放置するよりは、何か打開策も見えるかもしれない。
「ま、最悪ハマン市なら身分不詳でも出来る日雇い仕事の一つや二つはあるでしょ」
「ハマン市?」
「仕事終わりに行く所。このあたりじゃ一番大きい街。私の家もそこにある」
マチルダは街の方を見た。内戦後にしては発展した街の遠景が瞳に映った。
「……それと、仕事中には話しかけないで。集中力無くなると死ぬ仕事だから」
「わ、分かった……」




