16、プライド
列が少しずつ前に進み、ついにマチルダたちの番がきた。
並んでいるのは本当に様々な老若男女で、それだけこの斡旋所が今日の糧を得るための希望になっているのだと感じられる。
「おはようございます。マチルダさんと……新しい人ですか?」
いくつかある受付の一つ。マチルダ達の担当になった眼鏡をかけた若い役人の男は、にこやかに営業スマイルをたたえたまま、エコーを値踏みする様に見ながら言った。
この役人とマチルダは顔見知りだった。向こうからすると、妙に地雷撤去に慣れた女という認識と思われる。変わった客が印象に残りやすいのはどこも同じだ。
「そうよ。昨日知り合った私の友人。職にあぶれてハマンまで来たらしいから、ここを紹介した。斡旋所に登録したい」
「そうですか」
男は事情を聞くと、淡々と書類を取り出す。
「ハマンは初めてですね。この書類に、分かるところだけで良いので書いてください」
「分かるの……名前だけだけど。全部きっちり書かないとダメ?」
空欄の個人情報欄を見ながらエコーは言った。
「『そういう人』でしたか。でも良いんです。こちらは書類を整えたいだけなので。訳ありな人なんてこのご時世いくらでもいますから。書けるところだけで良いですよ」
「柔軟なんだか、お役所仕事なんだか」
適当な役人の言葉に、マチルダは少し呆れた。
「今時個人情報欄を全て埋められる人なんてほとんどいませんよ。特にこういう場所だとね。でも、建前ってのは大事なんですよ」
あっけらかんと答える役人。先進国の人間が見たら頭を抱えそうだが、これが今のブラックバニアの現実だった。
エコーは、書類の名前の所だけ「エコー」と書いて止まる。
「名字、どうしよ」
「うーん……」
マチルダは一瞬悩み、口を開く。
「センチュリオンで良いわよ。私の名字、貸す」
「良いの?」
「流石に名前欄まで空欄ってのはまずいでしょ」
ふと、マチルダはかつての侯爵令嬢だった時代を思い出す。
貴族として、よく分からんどこぞの馬の骨に、自分の名字を名乗らせるなんて、両親が聞いたら泡を吹いて倒れただろう。実用的な意味でも、貴族のプライド的な意味でも。
が、地雷を掘り、肉体労働で日銭を稼ぐ今の彼女にとって、これはただの姓でしかない。
「落ちぶれたもんねぇ……」
ふと、そんな事が口から出た。
……本来、自分はもっと高貴で、守られる側の存在だったはずだ。が、ここにいるのは21歳の疲れた若い娘だった。情けなくない、と言えば嘘になる。
「……?」
そんなマチルダの自嘲を聞いて、疑問符が頭に浮かんでいるエコー。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
昔の事を思い出して惨めになった、とは口には出さなかった。出したところでどうにかなるわけでも無いし、エコーに余計な心配をかけたくなかったのだ。
「プライドって厄介よね。完全に捨てれば楽になるって分かってるのに」
「難しい事言うね……急に」
「たまに哲学的な問いをしたくなる生き物なのよ。人間ってのは」
マチルダは『センチュリオン』の綴りが間違っていない事を確認して、役人にそれを出した。
「そういうわけでこの人、ハマンは初めてらしいからここでの仕事の受け方、説明してあげて」




