異母弟との邂逅
竜の血の力が消えた。傍系となった王族の子孫が血の力を持たず産まれることはあれど、生まれ持った力がなくなるなど。私の知る限り、そんな事例はない。
(どうする……?)
王族専用の鍵が開けられない今、私を王族と証明できるものはない。竜の血の力を持つ、それ以外にこの国で王族であることを示す方法はないのだ。これまでは開けられていたのだから、私が父ベルナールの息子なのは今さら疑いようはない。しかし、王妃に知られれば必ず厄介なことになる。
あの王妃なら、私を“偽王子”だと吹聴するだろうことは明らかだ。
(私がどう呼ばれようと今さら構わない。しかし、)
もしそうなれば、先ほどの謁見で得た、“無能王子を支え続けた献身的な令嬢”というディアナの評価は裏返る。
“婚約者が偽王子であることに長年気づかなかった愚かな令嬢”、と。
王位が確実になったセドリックには、今後妃候補からの縁談が舞い込むだろう。候補者たちやその実家が正妃になるために、現在最も正妃の座に近いディアナにそんな言いがかりをつける可能性は、極めて高い。
「それだけは、避けなければ……」
事実がどれほど容易く捻じ曲げられるか、私は知っている。権力者が放った噂が持つ影響力の恐ろしさも。
周囲を見回す。今は誰もいない。私が扉に触れ、しかし開かなかったことは、誰にも見られていない。そのことにほっと息をつき、素知らぬ顔を作って書庫から離れる。
竜の血の力を失ったことは、誰にも気づかれるわけにはいかない。そして力を取り戻す方法がわからない以上、ディアナへの影響を避けるには――。
その時。
「あれ、兄上?」
その声は聞こえた。
「……セドリック」
顔を上げると、ひとりの従者を連れたセドリックがこちらに歩み寄ってくるところだった。
まばゆい金髪に赤い瞳。柔和な顔立ち。半分とはいえ、血がつながっているとは思えないほど、私とセドリックは似ていない。
「うわ、どうしたのその顔色。それに怪我も」
「……お前には、関係ないだろう」
「いや、心配くらいさせてよ。大事な兄上のことなんだから」
白々しい。そう反射的に思う。
未来でお前は、私を陥れただろうに。
「奇病の調査をしにイザーク侯爵領に行っていたんじゃないの? どうしてここに?」
「昨日戻ったからだ。お前こそ、こんなところで何をしている」
私が言えたことではないが、ここは王宮では端のほうだ。それに、私と違ってセドリックには従者が何人もいる。一般書庫の資料が必要なら彼らに言いつければ済むはずだ。
「もう調査を終えたの? さすが、兄上は仕事が早いね。どうだった?」
私が答えなかったからか、セドリックもここに来た理由は言わなかった。
「……井戸の水が原因だ。奇病ではなく薬物混入による中毒症状だと考えられる。報告書は昨日のうちに出した」
「了解、また目を通しておく。つまり、伝染するものじゃないんだね。じゃあ医師団の派遣と物資支援の話を進めておくよ。あっと、人為的に井戸水に工作されたのなら、騎士団からも何人かいるかな」
セドリックは頭の回転も、決断も早い。それに加えてその人当たりの良さから人望もある。王妃がわざわざ私が行った仕事をセドリックの名前に書き換えずとも、セドリックは次期国王として充分な資質を兼ね備えている。
ディアナは、きっとセドリックのそういう部分に惹かれたのだろう。
「それじゃ兄上。あとは僕に任せて、今日くらいゆっくり休んでね」
セドリックは、先ほど私が王妃と謁見していたことを知らないのか。ディアナや王妃に触れないまま終わろうとする会話に、そう察する。
「セドリック」
立ち去ろうとする異母弟を、私は呼び止めていた。
「お前……大切な人はいるのか」
ディアナが正式にセドリックの婚約者に決まれば、こんなことは聞けなくなる。聞くなら、セドリックに婚約者がいない今しかない。
「え?」
セドリックは戸惑ったような顔をした。
「何、いきなり。……いるよ。何をおいても優先するくらい、大事な人」
急に真剣味を増した目つきで言われたその返答に安堵して――同時に寂寥感が、私を襲う。
(やはり、そうなんだな)
抽象的な表現だった。しかし、セドリックがまだ私とディアナの婚約解消を知らない以上、そんな表情でそう答えるような相手は、ひとりしかいない。
未来で私は、ふたりが寄り添って立つ光景を見て、互いを愛しているという言葉も聞いた。ディアナがセドリックを選び、セドリックがディアナを大事に思うのであれば。
あの未来のようにセドリックが私を陥れる前の今であれば、私はふたりを祝福してやれる。
祝福せねば、ならない。
「……そうか」
ただ今はそれ以上何も言う気になれず、私は会話を切り上げた。セドリックと、ずっと無言でセドリックに付き従う従者の横を通り過ぎる。
ふわ、と何かの香りがした。
(洒落者だな)
そう思う。セドリックは普段から香水などに気を遣う余裕があるのか。私とセドリックの差に気づくたび、ディアナがセドリックを選んだ理由を突きつけられる気さえする。
こんな甘ったるい、花のような香りを異母弟が選ぶのは少々意外だが。
(私がセドリックの趣味にいちいち口を出す必要も、)
一刻も早くこの場から遠ざかろうとしていたはずの私の足が、ぴたりと止まった。
香りから記憶が呼び起こされ、口内にあの味が蘇る。どろりとした甘さ、そしてその甘さに覆われた強烈な苦味。
「うっ……」
吐き気さえ覚えて、思わず手で口を覆う。
(違う!)
香水ではない。これは、この香りは。
私が未来で殺されたとき。時を遡る前、あの地下牢で最後に与えられたあの液体と、同じ香りだ。
思わず振り向く。セドリックは、まだ私を見ていた。感情が拭い取られたかのような無表情。それが一瞬で取り繕われ、いつもの人好きのする笑顔を浮かべる。
「どうしたの、兄上」
初めて、異母弟を怖ろしいと感じた。その恐怖を、無理やり飲み下す。
あの香りは確かに同じだ。けれど、証拠はない。香りの一致だけであれと同一のものと判断することはできない。
ある薬と別の毒、原料を見れば同じであることなど珍しくない。セドリックが私に与えたあれが毒だとしても、今のセドリックがあれを毒として扱っているかはわからない。
それにあの時の私は既に死にかけだった。放っておいてもそのまま死んでいただろう私にわざわざ与えたあれが、本当に毒だったのかも確証は持てない。
それにセドリックには従者が付き添っている。この場で憶測だけで問いただすべきではない。
「……あまり、危険なことはするな」
さまざまな可能性が脳裏を駆け巡って――そう告げるのが、精一杯だった。
王妃やセドリックがどう思っていたかは知らないが、私に王位を争う気は最初からない。
(お前は、国とディアナを大切にすることだけ考えていれば良い。私は、お前の前から消えてやるから)
だから、もし何か考えているのだとしたら今のうちに引き返せ。
お前は、ディアナに選ばれたのだから。
その思いでどうにか言葉を紡いで、私は再び歩き出した。
王宮を出るしかない。竜の血の力を失った以上、私の存在はディアナに悪影響しか及ぼさない。そして私がいなくなれば、セドリックが私を陥れ、殺す理由もなくなる。
背後から、セドリックの声が追いかけてきた。
「兄上もね」
私はもう一度振り向いた。既にセドリックも踵を返していて、その背は遠ざかっていく。
セドリックが王族書庫の扉に触れた。私を拒絶した扉は、セドリックには反応して簡単に開く。
連れていた従者を部屋の前で待たせ、セドリックは扉の向こうに消えていく。
その姿と、再び閉ざされる扉を。
私はしばらく立ち尽くしたまま、見ていることしかできなかった。




