セドリックの焦燥 後編
章タイトルを未設定のまま予約投稿しておりました。大変失礼いたしました。
10/30にタイトル付け直しました。以後気をつけます。
ギルバートの離宮から回収された書類を片付ける作業は、深夜にまで及んだ。
(この量と内容を、あの精度で兄上は普段あの男とふたりでこなしているのか)
セドリックははあ、と息をついて、執務室の椅子に深く腰掛けた。
ギルバートの仕事量は理解していたつもりだった。だからこそ、セドリックが画策した先日のイザーク侯爵領の井戸水の件をそ知らぬふりでギルバートに対処させたように、必要に応じてギルバートを王宮から遠ざけることもできた。
それでも、実際に自分がその仕事を担うとその膨大さにいっそ唖然とする。本来ジャネット以外に権限のないものは早々に差し戻し、それに加えて執務を補佐する臣下の人数もギルバートより多いのに、これほど時間がかかってしまった。
改めて異母兄の有能さを見せつけられているようで、忌々しい。
(これほど出来るのに、どうして兄上は……)
黙って功績を譲り続け、学院の成績を落とし、セドリックを引き立ててきたのか。
もとはジャネットが画策したことだろう、とはセドリックにもわかる。しかしあのギルバートが、手段を選びはしないものの基本的に無知で自分の快楽以外何も考えていないジャネットを出し抜けないわけがない。
(こんな方法で、僕に王座を押しつけるつもりだったのか?)
ギルバートが行った執務がいつの間にかセドリックの名前に書き換えられている。それは父ベルナールが死んでジャネットが実権を握るようになってから始まり、いつの間にか常態化した。
(それがどれほど腹立たしいことか、母上は気づいてもいない。おそらくは、兄上も)
目的のためには都合がいいことも確かだったから、セドリックはギルバートの行いを享受してきた。しかしだからと言って疑問も苛立ちも消えたわけではない。
『さすがは第二王子殿下でいらっしゃいますね』
『どのようにしてあのような策を思いつかれるのです?』
王宮で、学院で、公務先で。身に覚えのない賛辞を受ける苛立ちも、うまく答えられない質問を投げかけられたときの焦りも。
側近たちを全員下がらせ、セドリックはひとり天井を眺めながら、思いを巡らせる。
(実力で王座を手にしなければ意味がないのに。なんで兄上は、僕に王の座を押しつけるんだ)
幼い頃から、優秀なくせに競い合うことは好まない異母兄だった。同い年であるため一緒に教育を受けていた頃、『次は勝つからね』というセドリックに対し、ギルバートは『一緒に頑張ろう』とは言っても、『次も勝つ』や『負けない』などとは言ったことがなかった。
特にギルバートの母親である側妃リリアナの死後、その傾向はますます強くなった。同時期に、ギルバートがジャネットによって住まいを本宮から離宮に移され、教育も別に受けるようになった。
『次の国王にはセドリックがなればいい。お前は正妃の生まれなんだから』
セドリックとギルバートが顔をあわせることは激減し、数週間ぶりに会ったギルバートは何もかもを諦めた顔をするようになっていた。
母親を失い、かつ環境の変化がそうさせたのだろうとは幼心にもわかった。ただ、これで異母兄に勝てたのだとはどうしても思えなかった。
『第一王子殿下は先日こちらの教科書を終えられましたよ。第二王子殿下ももう少しでいらっしゃいますね』
共通する教師からそんな話を聞くたび、乗馬や剣の鍛錬をする様子を遠目に見るたび、セドリックは全部を諦めたはずのギルバートがいつも自分より先を進んでいることを突きつけられていた。
離宮に移されてから、ギルバートは病弱だという噂が流れるようになった。実際、父ベルナールも、王宮専属医の筆頭も頻繁にギルバートの離宮に通っていたから、誰もそれを疑わなかった。
いつか正面から競い合って勝ちたいのに、それが出来ない環境と、セドリックを相手にしないギルバートに対し、次第に苛立ちが募った。
この感情をどう呼ぶのか、セドリック自身にもわからなかった。嫉妬と呼ぶにはまっすぐすぎて、憧れと呼ぶにはセドリックとギルバートの年は近すぎた。
そんな、自分にも理解できない感情を持て余し、誰にも発散できずにいた八歳の頃。
ギルバートの婚約者がディアナに決まり、セドリックは彼女に出会って――彼女を失った。
(……そうだ、ぼうっとしている場合じゃない)
セドリックは椅子から身を起こした。灯りを落として執務室を出ると、扉の両脇に立つ兵士と護衛たちが敬礼した。
「今晩の担当は君たちか。お疲れ様。僕は部屋に戻るよ」
執務室を自ら施錠しながら、セドリックはそう伝える。
「はっ」
セドリックは護衛ふたりに前後を挟まれるように、自室に向けて歩き始める。大きな窓から月明かりが差し込み、廊下は移動に支障がない程度には明るかった。
その短い時間も、無駄にできなかった。
「兄上の行方は?」
セドリックの問いに、背後にいる方の護衛が答えた。
「まだ発見されたとの報告はございません」
「念のため、離宮の見張りを増やして。人員が足りなかったら一般兵を使って良い」
ディアナの警護にも回したため、あまり人員に余裕はない。それでも可能性がある以上、離宮への監視は緩めることが出来ない。
「あの離宮に隠し通路などはない。周りさえ固めておけば、もしも兄上が戻ってきたらすぐにわかるはずだよ」
「かしこまりました」
頷く護衛は、しかし躊躇うように疑問を発した。
「恐れながら……殿下は何ゆえ、それほどまでに第一王子殿下をお探しに?」
それは予想された問いだった。ギルバートはろくに公務もせずに離宮に引きこもり、ほとんど姿を見せないと言われている。その噂を信じる者にとっては、ギルバートがいなくなったところで不都合を感じないのは当然だった。
セドリックは歩く速度は変えないまま、考えておいた理由を述べる。
「君たちは危機感が足りないよ。もしも、失踪した兄上が市井で女性に手を出していたら?」
あの堅物な異母兄がそんなことをするはずはないが、これが一番周囲を納得させやすい。
「数代前の内乱のせいで今なお王族は少ない。父上が早くに亡くなった今、僕と兄上、そして竜の血がない母上だけだ。そんな状況で、その辺に王家の竜の血を引く者が産まれたら困るんだよ。君も王国騎士なら知っているよね。竜の血を持つ者には王位継承権が発生する、ということくらいは」
その可能性にようやく思い至ったのか、護衛は息を呑んだ。
「兄上は何を思ったか自分から婚約を解消して姿を消した。自暴自棄になってたまたまそのあたりにいた女性を襲わないなんて、誰が言い切れる?」
事実とでたらめを織り交ぜる。
「……我々の考えが及んでおりませんでした。申し訳ございません」
「いや、いいよ。僕から先に説明しておくべきだったね」
「いいえ。そのような内容であれば、殿下が軽々しくお口になされなかったことも当然です」
かしこまった護衛に、これでより真剣にギルバート捜索に取り組んでくれるだろうとセドリックは息をつく。
自分の部屋の前に着く。護衛がノックをすると、セドリックが戻るまで待機していたであろう侍従が顔を出した。セドリックは侍従に声をかける。
「こんな時間までありがとう。悪いけど、軽く食べられるものを用意するよう伝えてもらえる? それとブランクを連れてきてほしいんだ。僕が呼んでいると言えば動くはずだから」
「かしこまりました、早速」
セドリックの指示に、侍従は頭を下げてその場を離れていく。部屋に入ろうとしたセドリックの背後で、護衛の片方が妬ましげな声を出したのが耳に届いた。
「……っ、またあの者ですか」
セドリックは振り向いた。先程までセドリックを先導していた、一年ほど前に側近に取り立てたまだ若い騎士だった。
「おい控えろ。……殿下、大変失礼致しました」
もう片方が相方を短く窘め、セドリックの視線の先で、失言をした同僚の代わりになるように深く頭を下げる。
「きみ、配置転換を希望しているの?」
セドリックは頭を下げる護衛を無視して、不満を漏らした護衛を鋭く見据えた。
「疑問を呈するのは別に構わない。それはきみたちが僕の行動の理由を知ろうとしてくれているからだ。でも、僕が一度発した命令に文句をつけることの意味がわからないとは言わせないよ。僕の意を汲む気のない愚かな者は、僕の側近には要らない」
努めて優しく穏やかに。しかし声と表情から一切の温度を排除して冷たく言い放てば、護衛はふたりとも青ざめた。
王族の側近に抜擢されることは、王家に仕える貴族たちにとって最も名誉あることと言っていい。次期国王の可能性が高いセドリックの側近に選ばれればさらに箔が付く。
だから誰もがセドリックの側近の座を狙い、取り立てられた後も功を競い合う。
逆に言えば、そんなセドリックの不興を買って側近から下ろされることは彼らにとって耐え難い不名誉であり、屈辱だ。
セドリックから側近の打診を受けて断った者は、過去にひとりだけ。
(そういえばあの男……オズワルドの姿もなかった。兄上について行ったかな)
『大変光栄なお話ですが、辞退申し上げます』
二、三年前。ギルバートの不在を狙って離宮に赴き、セドリックはオズワルドに直接引き抜きの誘いをかけたことがある。オズワルドは悩む素振りすら見せなかった。その台詞とは裏腹に、光栄などとは微塵も思っていないことがありありとわかる態度だった。
『僕の――第二王子の命令だと言っても?』
一歩踏み込んで、セドリックはそう圧をかけた。
『これは異なことを』
しかし、オズワルドはわざとらしく驚きを装った表情を浮かべただけだった。
『私がこうして第一王子殿下にお仕えさせていただいておりますのは、ひとえにベルナール陛下のご下命によるものです。陛下以外に、どなたがそのご命令を撤回なさることができるのです?』
国王であれば確かに王子よりは上だ。しかし、ベルナールが崩御してそれなりに経つ。建前としか思えない言葉を盾に、オズワルドは慇懃に続けた。
『我が主である第一王子殿下のお言葉がございましたらあなた様のもとに侍るのもやぶさかではございませんが、あの方は私の意見を無碍にはなさいませんので』
自分を動かせるのも主と認めるのもギルバートだけであり、そして自分はそのギルバートのもとから動く気はない。オズワルドの言葉は、王族であるセドリックに対して臆面もなくそう言ったに等しいものだった。
(全然違うな)
側近を外されるのでは、と怯えて跪く護衛たちを見下ろし、セドリックはオズワルドとのそのやり取りを思い出していた。
この護衛たちも、他の側近たちもセドリックに忠誠を誓っているのは間違いない。ただ、セドリックの側近たちは、もしギルバートが正当な評価を得ていて即位の可能性があれば、ギルバートにも喜んで仕えるのだろう。
その忠誠の捧げ方は、オズワルドのそれとは性質が全く違う。
だからセドリックはオズワルドを取り込むことを止めた。その有能さと、ギルバートを孤立させられる機会は確かに惜しかったが、リスクのほうが大きいと判断した。
どれだけ有能だろうと、あんな扱いにくいうえに自分に忠誠を誓わないことが明らかな男を抱え込むくらいなら、自らの出世や将来を優先する者たちのほうが何倍も便利だった。
(それに、準備が整うまで兄上を死なせるわけにはいかない)
その意味でも、オズワルドをギルバートの傍に残したほうが正解だった。ギルバートを崇拝するあの男なら、こちらの意にかかわらずともその命を守ってくれる。
ただ、ギルバートを捕らえる上でオズワルドを出し抜く必要があるのは少々厄介だった。
(それは兄上を見つけてから考えよう。むしろ兄上をだしにすれば動きを予測……いや、かえって手に負えなくなるか?)
考えるべきことがまた増えたことに気づく。護衛の失言にかかずらうのも面倒になってきた。そうでなくともギルバート失踪のせいで人手が足りないのに。
「もう良い、持ち場に戻るんだ。……ただし、二度目はないよ」
新しく側近を選んでいる暇はない。セドリックが内心仕方なく許しを出すと、護衛たちは礼の口上を述べ、即座に立ち上がって動き出した。




