あの日の記憶 前編
『あの日』。それは、今から一年後。
ただ、私にとっては半年前。
その日は、王立学院の卒業パーティーだった。
◆ ◆ ◆
「間に合わなかったか……」
私自身も卒業生のひとりであるにも関わらず、開始時間には間に合わなかった。馬を飛ばし戻った離宮で、旅装を急いで脱ぎ捨てる。賊にやられた右足の傷がじくりと痛んだ。
「殿下、せめてこちらを」
「ああ、すまない。助かる」
オズが差し出す包帯を受けとり、念のためきつめに巻く。そのうえで式典用の衣装に袖を通した。以前、誕生日にもらった刺繍入りのハンカチを胸ポケットに差す。
「行ってくる」
「はい。ご卒業ならびにご成人、おめでとうございます」
これがオズと交わす最後の会話になることを、このときは知らなかった。
ディアナのエスコートができなかったであろうことを悔やみつつ、会場である王宮の大広間へと急ぐ。今まではこんなとき、ディアナのエスコートは彼女の父親であるエンフィールド公爵に頼んでいた。今日もそうなったのだろうと、疑っていなかった。
しかし、大広間に着いた私が見たのは、異様な雰囲気の中、セドリックの隣に立つディアナの姿だった。
「な……?」
面食らう。ふたりが寄り添うように立つ理由を無意識に探す。
ディアナも卒業生だ。慣例として、卒業生はこのパーティーを境に成人として認められる。そのためパートナーが不在というだけでは、卒業生がこのパーティーを欠席することはできない。そしてそれはセドリックも同様だ。異母兄弟とはいえ、セドリックと私は同い年なのだから。
私が間に合わないと判断し、代わりにセドリックがディアナのエスコートを引き受けてくれたのだろうか。
(いや違う)
しかしその考えは、一瞬で否定した。
ディアナは、赤いドレスをその身に纏っていたのだ。それも金色の飾りが多くあしらわれた、きらびやかなドレスを。
「ディアナ、そのドレスは……」
会場内の妙な空気はこれが原因だ。婚約者がいる場合、衣装には相手の髪や瞳の色を取り入れることがほとんどだ。赤はセドリックの瞳、金はセドリックの髪の色。ディアナの纏うドレスは、セドリックの婚約者であればともかく、黒髪青目である私の婚約者が着るものとしては奇異に映る。
そもそも、私は今日のためにディアナに青のドレスを贈っていた。自分の瞳の色だからというだけではなく、銀の髪に紫の瞳のディアナには深い青色がきっとよく似合うだろうと選んだものだった。
それなのに、ディアナはそのドレスではない。まるで、初めからセドリックと参加する予定であったかのように。
「ギルバート第一王子殿下」
ディアナは硬い声で私の名を呼んだ。なめらかな所作で礼をする。ドレスをつまみあげる動作があるのに、衣擦れの音さえない。淑女にふさわしい完璧な動きだった。
「このたびは盗賊の討伐に赴かれていたとのこと、ご無事のお戻りで嬉しく思います」
王族であり卒業生でもある私の遅刻をさりげなくフォローする、高すぎないアルトの声。普段は私を穏やかに包み込んでくれるその声が、今はどこかこわばっている。
会場中の視線が、こちらに向いている。ディアナは顔を上げ、無表情を保って言葉を続けた。
「このような場で大変失礼と存じておりますが、なかなかお会いできませんでしたのでこの場を借りて申し上げます。わたくしディアナ・エンフィールドは、セドリック・ウィリア第二王子殿下と婚約することとなりました。そのため、ギルバート・ウィリア第一王子殿下との婚約を、破棄、させていただきます」
破棄、という言葉を絞り出すように、震えた、けれどはっきりとした声で、ディアナは告げた。
「ディー……!?」
会場の騒めきが、私の声を覆い隠した。
このパーティーは卒業生の保護者以外にも貴族の多くが列席する、建国記念式典に次ぐ格式高いものだ。
そんな舞台で、公爵令嬢が第一王子から第二王子に乗り換えた。常識で考えればありえない出来事が起きている。高位貴族であればあるほど、この事態に対する衝撃は大きいはずだ。
次期国王の選定が一週間後に迫った今、なおさら。
「ごめんね兄上。もう手続きも済ませちゃったよ。だって王宮にいないし……悪いけど“無能王子”なんて呼ばれてる兄上に任せていたら、手続きがいつになるかわからないからさ」
「なっ……」
ディアナの腰を抱き寄せて、セドリックはあっけらかんと笑う。その赤い瞳に勝ち誇った色を乗せて私を見据えた。
“無能王子”。ここ数年囁かれる、私の二つ名。第一王子でありながら、碌に公務もしない、学院の成績も悪い怠け者だと。
その評判は知っていた。知っていて、手を打たなかった。私を疎んじている王妃の機嫌を取ることで、私はディアナとの婚約を許されていたのだから。
それを、ディアナは知らない。何も知らないはずのディアナは、それでも無能と呼ばれる私に寄り添い、支えてくれた。
今までの思い出を振り返る。あの笑顔もあの言葉も、嘘だったとは思いたくない。
確かにここ最近はあまりディアナと交流する時間が取れなかった。けれど、こんなに一方的に、呆気なく婚約は破棄されてしまうのか。
「どうしたの兄上。黙りこんでさ」
「どうしてだ、ディアナ……?」
私はセドリックを無視し、ディアナの紫の瞳を見つめた。
「いくら私と会う機会がないからと、何故この場で? ディアナにとって、」
私には、ディアナの存在が支えだった。ではディアナにとって、私は何だった?
「ちょっと兄上? 兄上との婚約はなくなったんだから、軽々しく令嬢の名前を呼ばないでくれる? 彼女は今、僕の婚約者だ」
セドリックが割り込んでくる。
「お前には聞いていない!」
思わず叫んだ。途端、パーティーの他の参加者からの視線は厳しくなった。
(ああ……そうか)
淡々と話すディアナやセドリックに対し、声を荒げてしまった。本来ならディアナやセドリックが常識外れの行動を取っているのに、“無能王子”の肩書きのせいで、逆に私が非常識かのように思われる。
つまり、あまりの無能ぶりに、ついにディアナが愛想をつかしたのだろうと。それなら無理もないと。
こんなことをしでかしたところで、ディアナの評判や経歴には影響がない。知らないうちにそれほどまでに、私の評判は地に落ちていたということか。
(ならば、ディアナは……ディーはいつから、私を見限っていたのか)
「……真実の愛のためでございます」
ディアナは私から目をそらし、そう言った。この婚約破棄が気まずいのか。それとも、ただ私を視界に入れることさえ厭わしいのか。
「わたくしが真実の愛に目覚め、セドリック殿下がわたくしの気持ちに応えてくださった。それだけのことです」
突き放すような声音。そんな声をディアナから聞いたことは、今までない。
「ディアナ」
セドリックが、ディアナの名を優しく呼ぶ。
「きみが優しいのは知ってるし、婚約期間が長かったから情が湧いているのかもしれないけど。かといって兄上を甘やかすのは良くないよ。……まあ僕ときみが真実の愛で結ばれたのは間違いないけどさ」
朗らかに言いながらディアナの手を取り、固く握られたその拳をほぐすように包み込む。
「甘やかす?」
意味が分からず繰り返した私に、わかってるくせに、とセドリックは笑った。
「って、笑い事じゃないね。ディアナ、きみから言うといい」
ディアナは弾かれたようにセドリックを見た。
「それは……っ!」
「大丈夫。不敬罪なんてならない。いくら相手が王族でも、不貞をされた女性が相手に何も言えないなんておかしいしね。兄上が逆上しても僕が守ってあげるから」
ざわりと周囲がどよめいた。そのざわめきに乗じてセドリックが励ますようにディアナの耳に何かを囁いた。
ディアナははっとしたように視線を上げ、意を決したように表情を引き締める。
「ほら、ディアナ」
セドリックに再度促され、ディアナはぐっと扇を握る手に力を籠めた。そして小さく口を開く。ディアナが何を告げるのかと、ざわめいていた会場が一瞬で静まり返る。
「……他の女性と、関係をお持ちになったのでしょう……?」
その声は先ほどまでの透明感とは一転、何かを押し殺すように低く、囁くようだった。
それでも、常に毅然として振る舞うことに慣れているディアナの声は、きっとこの静まり返った会場にいるすべての者の耳に届いただろう。
「……は?」
再度、意味が分からなかった。
心当たりは一切ない。この数年はただ仕事に明け暮れていた。わずかな余暇は民の暮らしの視察に赴き、そのささやかな隙間を縫うようにディアナとの交流の時間をとっていたのだ。
そんな私に、浮気をする余裕はない。そもそもディアナ以外の女性に興味もないのに。
「証拠も、ほら。娼館あての手紙。まさかこんな言い逃れ出来ないものを残しているなんて驚きだけど。兄上の筆跡と一致している」
セドリックが紙きれをひらりと振る。
会場に、今日一番のどよめきが起きた。
「正式な婚姻前だし、彼女たちもそれで生計を立てている。つまり兄上がこういうところに通い詰めていてもまあ別に犯罪ではない。だから罰することも出来ないけど、誠実さには欠ける行為だよね。王家の者として褒められた行為でもない。――そうでしょう? 兄上」
私はセドリックの手から手紙をひったくった。
『――きみは野に咲く一輪の薔薇のようだった、メアリ。一晩共に過ごせたことは私にとって一生ぶんの幸福だったと言っても過言ではない――』
何だ、これは。
読み進めるだけで、自分の顔が青ざめていくのがわかった。
内容にはまったく心当たりがない。
しかし、鳥肌が立つようなこの恋文に綴られている文字は、確かに自分の書く字と瓜二つだった。末尾の署名まで。
思わず破り捨てそうになったそれを、セドリックがさっと奪い取る。
私は奥歯をきつく噛んだ。
何がどうなっているかわからないが、筆跡が私のものと同じである以上、この恋文は言い逃れできない証拠になってしまう。
それでも、声を上げた。このまま黙り込んでいたら、認めたことになってしまう。ただその一心で。
「私は……っ、このメアリという女性は知らない!」
「そんなこと言われてもこの手紙、兄上の筆跡ばっちりの署名入りだけど?」
「ならその女性に確認すればいい。誓って言うが、私はその女性と会ったことはない!」
私の主張に、セドリックは深く溜息をついた。
「素直に認めてディアナに謝罪のひとつでもしてくれたら、大事にしたくないっていう彼女の意見を尊重して、あとは別室で話してもよかったんだけど」
わざとらしく呟いて、セドリックは扉の近くにいる兵に向けて手を挙げる。
「入ってもらって。ここではっきりさせたほうが良さそうだ」




