激昂
「……あのようなことの後では難しいかもしれないが、少しでも横になって休んだほうがいい」
私はジェイたちにそう言ってから立ち上がり、ふたりから離れた。
「オズ、私も手伝おう」
気を失った野盗を縛り上げているオズに近づいて声をかけるが、オズは首を横に振った。
「それには及びません。あなた様も先にお休みください。そうでなくともここしばらくまともに寝ていらっしゃらないでしょう」
「お前だけ働かせておいて、ひとりだけ休めるわけないだろう」
「……仕方のないかたですね」
オズが呆れたようにため息をひとつ吐く。
「では、あちらに置いたあなた様のお荷物の中身が無事か、ご確認をお願いいたします」
「労働量が違いすぎないか?」
野盗を無力化して運ぶオズに比べたら、何もしないで良いと言われているのと変わらない。
しかし、オズは譲らなかった。
「私があなた様のお荷物を勝手に開けさせていただくわけには参りません。中身をすべて把握しているわけでもございませんし。ご自身で行っていただくしかないのですから、極めて適切です」
取り付く島もなくそう言われて、仕方なく私は自分たちが寝るために整えた場所に戻った。一度野盗に奪われたトランクは、既に元の位置に置かれている。
(私のはこっちだな)
トランクの片方を持ち上げる。使ったのは右手だったのに、左の肩がずきりと痛んだ。
(……そういえば蹴られたんだったか)
顔を確認された気がして焦ったが、連中は私の顔を知らなかったようだった。
椅子代わりの大きな石に座って、持ってきたトランクを開ける。乱暴に扱われたからか中身が偏ってはいたが、なくなっているものはない。
それはそうだ。奪われてから取り戻すまで、時間はそれほど経っていない。野盗が私たちのトランクを漁る暇などなかったはずだ。
(やはり、私を休ませるための口実か)
苦い思いでトランクを閉めようとして、母上の日記が目に留まった。
『母親なら当たり前ですよ。だって我が子は宝物ですもの』
ジェイの母親が言った言葉が、私の耳にこびりついている。
そんなはずはない。ジェイの母親はそう信じているのかもしれないが、少なくとも母上にはその言葉は当てはまらない。
私は日記帳を取り出して、その表紙を開いた。母上の洗練された、それでいて女性らしい筆跡は、この月明かりの下でも充分読み取れた。
『陛下と婚姻なんて、まるで悪夢を見ているよう。でも王命である以上は逆らえない。お父様は反対してくださっているけれど、領地と領民のことを考えたら……』
『ロランは待つと言ってくれた。ならばわたくしも彼に応えたい。絶対に三年耐えて、離縁する』
『毎晩毎晩、嫌になる。陛下は飽きないのかしら。薬の副作用なのか、ずっと体が気怠い。でも、帰れる日まで、わたくしは子を成すわけにはいかないの』
『帰りたい。三年ってこんなにも長いもの? ベネット家とは手紙のやりとりすら許されない。ロランは、まだわたくしを待ってくれているのかしら。これほど穢されたわたくしを、受け入れてくれるのかしら』
実際に読むのは何年ぶりになるだろうか。私の記憶と寸分違わない、母上の嘆きの記録。私はページをめくり続ける。
『これほど嬉しくない「おめでとうございます」は初めて聞いたわ。わたくしが薬を飲まなかったのは、月のものの日以外はあの日だけ。あの日、だけだったのに』
『もう帰れない。この子さえいなければ。子が出来ることさえなければ、あの人のもとに帰れたかもしれないのに。日々大きくなるお腹の中の存在が、あの男の血を継いでいると思うと悍ましい』
日記帳は最後のページまでこの調子で埋まっている。婚姻が決まった日から、私を産み落とす少し前の時期までの数年間。
(ほらな、やはり)
最初から最後まで、母上が私を宝物などと称する文言はない。むしろ忌避されていた。それが私にとっての“当たり前”だ。この日記を初めて読んだときからずっとそう思ってきた。
幼い頃の母上との思い出は、すべて偽りだったのだと。
(では何故、母上は私を庇ったのだ)
私が六歳のときの、あの日。
賊の刃が迫ってきて、怖ろしくて凍りついた私を母上は抱き締めた。私の命を奪うはずだったその凶器は、代わりに母上の背中を切り裂いた。
『ギルバート、あなたを――』
母上の最期の言葉が、思い出せない。
「殿下、何をなさっているのです!?」
作業を終えたらしく戻ってきたオズが、やけに慌てて私に問いかけた。
「……母上の日記を読み直している。荷造りのときは読めなかったからな」
「わざわざこのような暗い中でお読みにならなくともよろしいでしょう!」
まるで取り上げようとするかのように、オズが私の持つ日記帳の縁に手をかける。そういえば前回読めなかったのも、オズが止めたからだったか。
「先ほども敵を前に珍しく呆けていらしたでしょう。いい加減に少しはまともな睡眠をお摂りください!」
「オズ。……憎んでいる相手を守ろうとするのは、どんな時だ?」
義務感か何かだと思っていた。この日記を見つけて読んだときから、それが私の中で最も合理的な理由だった。
しかし、先ほどのジェイ母子を見て気づいた。子の頭を抱え、その光景さえ見せないようにする。それは命だけではない。心を守る行為だ。
母上が私にそんなことをする理由がない。しかし、実際に母上はそうした。
「……一体、何のお話です?」
オズが不可解そうに目を眇めた。
「わからないんだ。十二年ほど前のあの日、どうして母上が私を守ったのかが」
「おかしなことがございますか? 先ほどのあの母子と同じでしょう」
オズが、日記帳を掴む手に力を込めた。
「詳しくは存じませんが、側妃殿下は避妊薬を飲んでいらしたにも関わらず、あなた様をお産みになったのでしょう? 厳しいことを申しますが、あなた様を堕ろすことだって出来たはずです。それをなさらなかった、それだけでも、」
「違う!」
私は、オズの言葉を遮っていた。
「母上は何度も堕胎を試みた! 父につけられた侍女や護衛に不審がられないよう、無知や事故を装って!」
眩暈を起こしたふりをして階段で転び、体を温めるという口実で強い酒を口にし、揺れのひどい馬車に乗ろうとした。取れる手段は多くなかっただろうが、母上は思いつく限りのことをした。
全部日記に書いてある。日記なんて本来他人に読まれることを想定しないものに、嘘など書き連ねる必要はない。書かれている事柄は、すべて母上の本音のはずなのだ。
それに、母上が私を堕ろさなかったのは、失敗し続けたからというだけではない。
「それに私は先ほどお前にも話したはずだ。母上の目的は父と離縁するため、“子を宿せない”女性を装うことだったと!」
わかるか、と私はオズを睨みつけた。
「私が無事に産まれようが流れようが関係ない。私が母上の腹に宿った、その時点でもう母上の望みは絶たれたんだ!」
例え私が産まれなかったとしても。堕胎に成功したとしても、一度妊娠できたという事実は変えられず、次の子を孕むよう期待をかけられるだけだ。母上の願いが叶うことはない。そのことに気づいたから、そうしたところで故郷には帰れないから、母上は私を堕ろすことを諦めた。
産まれてくるべきではなかった。そんな言葉すら生温い。
「私は産まれる前であろうと、一瞬たりとも存在してはならなかったんだ!」
「殿、下……」
オズが、私を呼んだきり言葉を失ったように黙り込む。月明かりの下で、妙にその顔が青白く見えた。それでも私は止まれない。この日記に書かれたすべての証拠を、母上亡き後私だけが知っていることを、オズに叩きつける。
「母上が私を宿したのは王妃の……ジャネットの輿入れの日だ。父はジャネットとの初夜を途中で切り上げ、母上のもとに押し入った。さすがに今日は来ないだろう、そう思っていた母上は、事前に飲んでおくべき避妊薬をその日に限って飲んでいなかった」
そのせいで懐妊したと知ったとき、母上は、自身の判断を悔いただろう。
「それでもお前は、私が望まれていたとでも、」
「殿下、もうおやめください!」
ついにオズが、懇願するように叫んだ。
「浅はかなことを申し上げたのはお詫びいたします。ですから、」
「お前が『何の話だ』と聞いたからだろう! また聞きたくないとでも言うつもりか!?」
理不尽なことを言っている。その自覚はある。それにこんなところで感情的に怒鳴り続けていたら、いくら離れていてもジェイたちがまだ起きていたら内容が聞こえてしまうかもしれない。
「そうではございません! 私が憂慮しておりますのはあなた様が、」
オズが日記から手を離し、私の興奮を抑えようとでもいうのか私の両肩にその手を置いた。
「ぐっ!」
その途端、ずき、と左肩の痛みが強まった。思わず日記帳を取り落とし、オズの手を避けるように身を捻る。
「殿下!?」
私が漏らした呻きに、オズははっとして手を引いた。
「……殿下、先ほどあの連中に何をされました? あなた様が転がされた気配は感じましたが」
あのときオズから殺気が漏れていたが、やはり気づいていたのか。
「肩を小突かれた程度だ。大したことはない」
私は顔を背けたまま答えた。姿勢を変えるために蹴られただけだ。あの程度なら本当に大したことはない。
「痛みがあるのでしょう。診ますから肩をお見せください」
「剣を扱うのに支障はなかった。大袈裟にするな」
「ああいう局面では、人は生き残るために痛みの感覚を一時的に遮断するものです。そうでなくともすぐ我慢をなさるあなた様が今のような声を出される時点で……。失礼いたします」
オズが私の承諾を待たず、座ったままの私に合わせるように膝をついた。私の服のボタンを上から数個外す。襟を広げるようにして、私の左肩を露出させた。
私自身からはよく見えない。しかし、私の肩を見たオズはぴたりと動きを止めた。眼鏡の奥の目つきが、すうっと鋭くなる。
「……本当に、小突かれた程度なのですか?」
先ほどの野盗に向けたのと同じ、冷たい声がオズから溢れた。患部を確かめるように、オズがそっと私の肩に触れる。やはり刺すような痛みがあって、私は歯を食いしばった。
さっきまで特に何とも思わなかったのに、一度強さが跳ね上がった痛みは絶え間なく私を苛んでくる。動かそうとするとそれに連動して痛みがより強まった。
「動かさないでください」
オズの鋭い声が飛んだ。
「酷い痣です。わずかですが腫れも。……これは、骨にひびが入っている可能性もあります。攻撃をお受けになったのは一度だけでいらっしゃいましたよね?」
「……何?」
(そこまで酷いのか?)
乱雑に扱われたのは否定しない。だがそれでも、骨に異常があるかもしれないだと? 余程当たり所が悪かったのか。
オズは私の肩から手を離し、居住まいを正した。
「殿下。ここ数日のあなた様のお怪我の仕方ははっきり申し上げて異常です。何か、私に隠していらっしゃることはございませんか?」
そう問われ、私はまた顔を背けた。原因も分からない今、竜の血の力を失ったことを安易に伝えたくはない。
「そんなものは、」
「私はあなた様にお仕えする身です。お立場上口に出来ないことも多々おありでしょうが、それでもあなた様の状態を正確に知っておかねば、いざというときに御身をお守りすることが出来ません」
オズがまっすぐ私を見据えて言い募る。強情な奴だ。どうしてそこまで私のことを気にかける?
「そんなときは私のことなど捨て置け。父上が死んで何年も経ち、王宮も出た今、誰もお前を責めたりしない」
「私が嫌なのです!」
オズが叫んだ。ずっと堪えていたものが決壊したかのような叫びだった。
「あなた様がそうやってご自身を粗末になさるたびに! 傷つき悲しむ者がいるとはお思いにならないのですか!」
「いるわけないだろう、そんな者など!」
反射的に叫び返す。
あれほどの優しさをくれたディアナだって、セドリックを選ぶのだ。
存在することが間違いだった私が、“無能”と呼ばれ蔑まれてきた私がどうなろうと、いったい誰が悲しむと言うのか。
オズが、まるで私の叫びに刺し貫かれたように息を呑んで身を引いた。ふー、と長く深い息を吐く。
「かしこまりました。あなた様がそうまで仰るなら」
オズは吐き捨てるように言うと立ち上がり、自身のトランクを持ってくる。どさっと乱暴に置いて、私の前に座るとトランクを開けた。布で巻くように包まれた物を取り出して、その場に手早く広げる。ちゃりちゃりと小さく金属の音を立てながら露わになった、銀色の小さな器具類が月明かりを弾く。
そのうちのひとつ、医療用らしき小刀を慣れた手つきで取り出した。
どうせ文句を言いながらいつものように治療をしてくれるのだろう。そう思いながら見ていた私は、ここにきてようやく違和感を覚えた。
薬や包帯を出す様子はない。それに何故、刃物を逆手に持つ?
「オズ? お前何をして、」
私の声が聞こえなかったように、オズは告げた。
「あなた様がそのように御身を省みないのであれば。私はあなた様がお怪我をなさる度、己の体の、あなた様の傷と同じ箇所をこれで貫きます」
これまでとは裏腹な、平坦な声だった。私がその言葉を理解できないでいるうちに、オズは淡々としたまま続ける。
「まずは本日のぶんとして、私の肩を捧げましょう」
小刀の切っ先が滑らかに動き、オズ自身の左肩に向けられる。
「は……!?」
一拍遅れて、オズが今にもその肩を小刀で刺し貫こうとしていることに気づく。
背すじが凍りついた。私は小刀を持つオズの腕を咄嗟に掴む。ずき、とまた左肩が痛んだ。痛みに目を眇めながらもオズを問い詰める。
「お前……っ、自分が何をしているかわかっているのか!」
「ええ、この上もなく。主をお守りできなかった私自身を罰する。至極当然のことをするまでですが?」
「どこが当然だ、お前がそんなことをする必要はない!」
掴んだオズの腕を引く。びくともしない。わざわざこの小刀を取り出したのは、剣では刃渡りが長すぎてかえって自分の肩を傷つけるには届かないからか。その計算高さに、淡々と言うその口調に、オズの本気を感じてぞっとする。
「これは命令だ、今すぐこの刃物を下ろせ!」
「お断りいたします」
いつもは私の命令を拒むことなどしないオズが、被せるようにそう言った。
「あなた様が王宮を出ると仰ったとき、私は確認させていただきました。『今後は自由にしてよろしいですか』と。あなた様はそれをお認めになった。ですから今の私はあなた様のご命令に逆らう権利がございます」
「あれは……っ!」
王宮を出ようと決め、オズを解雇しようとしたときだ。私のもとにいても出世も何も見込めないのだから、私から離れ自由に生きろという意味で承諾した。
あの直後、オズは私個人に一生仕えると誓ってくれた。それがあまりにも想定外だったから、私の中でその“自由”の定義は有耶無耶になっていた。
まさか、こんなところで“自由”を行使してくるなんて、思ってもみなかった。
「いい加減にしろ、オズワルド! 私がお前に自由を認めたのは、断じてこんなことをさせるためではない!」
「そう仰いましても」
オズは、わざとらしく首を傾げた。ゆっくりと穏やかに、それでいて私の命令だけは拒否していく。
この男に私の言葉が通じないと感じるのは初めてだった。
「殿下こそ、私の覚悟を見誤っておいでです。あなた様がご自身を捨て置けと仰るなら、私もそれに従い、私の命を捨てるまでのこと。同じ位置に傷を作るくらい些細なことでしょう。……さあ、その御手をお離しください」
空いたオズの左手が自身の襟元を掴み、普段の丁寧さをかなぐり捨てた荒々しさでボタンを引き千切り肩を晒す。腕を私に掴まれたままの右手がぐっと引かれ、小刀の刃先がその素肌に肉薄する。むしろ今この瞬間に私が手を離したら、力の均衡が崩れて勢いよく突き刺さってしまうくらいに。
左肩の痛みで片手しか満足に使えない私は、これ以上オズを止める手に力が入らない。
「オズ、お前は……っ、どこまで自分を犠牲にすれば気が済む!?」
「あなた様にだけは言われたくございませんね。……ああ、『光栄です』と言い換えたほうがよろしいでしょうか? 長年お仕えさせていただいたおかげで、あなた様の考え方の癖が私にも移ったのでしょうから」
「ふざけるのも大概にしろ、私はこんな狂ったことはしていない!」
私がそう言い返すと、オズの喉がくっ、と鳴った。そのまま声を上げて笑い出す。笑いに震える肩が、小刀の先をかすめた。細く短い筋が走り、じわ、と血が滲む。
「やめろ、オズ……っ!」
「すぐにそうとわかる体の傷か、目には見えぬ心の傷かの違いなだけですよ」
オズは自身にできた傷を気にも留めなかった。その声は笑っているのに、楽しそうにも面白そうにも聞こえない。二十歳を過ぎた大の男が、まるで泣きそうな顔で笑っている。
「この程度で私ごときを狂っていると仰るなら、殿下、あなた様のほうがよっぽどだ。ご自覚なさっていないぶん、なおのことたちが悪い」
はは、と笑い声の合間にそう言われて、私は二の句が継げなくなる。
(何を、言っているんだ)
どう見ても今のオズはおかしい。それなのにオズは、私が今のオズと同じようなことをしていると言う。
それどころか、私のほうがよほど狂っていると。
オズの肩に滲んだ血が一滴ぶん集まって、つっと流れ落ちた。
「オズワルド! 頼むからもうやめろ!」
「あなた様が先ですよ」
私の悲鳴じみた懇願に、一瞬で笑いを納めて。それでもどこか悲しげな表情は変えず、短くオズはそう言った。オズの目は、私をまっすぐに見据えたままだ。
「私が、先?」
どういう意味か飲み込めずに問い返す。
「私を止めたいと仰るなら、あなた様がご自身の発言を撤回なさることです。二度と、ご自身を捨て置けなどとは仰らないでください。あなた様がご自身を蔑ろになさったその瞬間、私はあなた様と同じように、私自身を捨てます」
その言葉は紛れもなく脅しでありながら、かつて受けた王妃からの脅迫とは恐ろしさがまったく違った。
他の選択肢が用意されないなら、オズの要求を呑むしかない。
「……わかった。わかったから、この刃物を下ろせ」
「わかった、とは何をお示しでいらっしゃいます? 具体的にお願いいたします」
容赦のかけらもなく、オズは膝をついたままで私を見上げた。冷徹に見極めるように、それでいて不安そうにその目を細める。
その目つきには覚えがあった。本気で心配させたときの顔だ。今まで何度も見てきたことのあるそれは、臣下としての義務や習慣ではなかったのか。
「……何かあっても、私のことを捨て置けとは、もう言わないようにする」
まずは言われたことをそのまま約束する。オズはひとつ頷いて、ひとこと「それから?」と返してきた。
「っ……この身体の異変について、お前に話す」
「それから?」
「それから? では……行動する際は、怪我をしないよう気をつける」
「少し違いますが、まあよろしいでしょう。それから?」
「まだあるのか?」
思わず聞き返すと、小刀を握るオズの腕からせっかく力が弱まってきていたのに、またぐっと刃先が肩に触れた。私の喉からひゅっと空気が漏れる。
「もうやめろと言っているだろう! 私はお前にこんなことをしてほしくはない!」
「そこまでわかっておいでで、何故おわかりにならないのです?」
心底不思議そうに言われて、私は口を噤んだ。必死で考える。
これだけ言ってもオズは納得していない。オズが私に要求していることは何だ?
『あなた様がそうやってご自身を粗末になさるたびに! 傷つき悲しむ者がいるとはお思いにならないのですか!』
『いるわけないだろう、そんな者など!』
互いにそんな言葉を叩きつけた。オズがこんな凶行に走ったのは、その直後だ。
あの会話が原因なのか?
(だと、すると)
「……少なくともお前には、今までの私の振る舞いは自分を粗末にしているように見えるのか? しかも……そのせいで、お前は悲しむのか? 私が、お前がこんな真似をするのが嫌なように?」
私の何がオズにそのように思わせたのか、まだよくわからない。それでも、思いついた順のあやふやな言葉を並べてみた私に、オズは深々とため息をついた。
「まだ申し上げたいことも、お聞きしたいことも、お知り置きいただきたいことも山程ございますが。……本日のところはこれでよろしいでしょう」
まだ足りないといった様子で、それでもようやく、オズは完全に小刀を下ろした。引き裂いた衣服の襟元を適当に合わせ、一筋の血が伝う肩をそのまま服の下にしまう。
「オズ、傷口が、」
「あなた様のほうが重症です。先に治療すべきなのがどちらか、おわかりですね? お話もきっちり聞かせていただきますので」
ここでオズの治療を優先したら、またオズはその小刀を自分に向ける。それだけはわかった私は、頷かざるをえなかった。
そして私は、竜の血の力を失っている可能性が高いことを、オズに打ち明けた。




