夜襲
焚き火のあったところにもう炎はなく、灰の中に赤い火種が残るだけになっている。
それを囲むように、乗客たちと御者が思い思いの位置で寝そべっている。満月に近い明るい月のおかげで、その様子はよく見えた。
(何か起きるなら、そろそろか)
ホットワインに入っていた睡眠薬のせいで、彼らの眠りは深い。皆、いびきや寝返りすらせずに寝入っている。ただ、視界の端でジェイが布団代わりに母親に掛けてもらっていた布を蹴ったのが見えた。
(あんな寝相で、風邪を引かないだろうか)
あまり寒い季節ではないが、屋外だ。布をかけ直しに行ってやりたいが、これから何が起きるか分からない以上、大きく動くわけにもいかない。
毒や薬物のせいで散々寝込んではきたが、竜の血の力による丈夫な体を持っていた私は、いわゆる“風邪”というものは引いたことがない。
理由も分からず時を遡ってから、これまでなら問題なかった程度でも怪我をしている。薬物耐性は後天的に身につけさせられたものだから失っていないはずだが、もし今後私が風邪でも引くようなことがあれば、確実にオズには竜の血の力を失ったことがばれるだろう。
今はオズも私と背中合わせに横になり、寝たふりをしながら周囲に気を配っているはずだった。
『私が起きておくから、お前は休んでいろ。何かあれば起こす』
オズにはそう言ったが、『休むのはあなた様のほうです』とひどく反対されてしまった。どうせ私が眠ったところで悪夢しか見ないのだから、起きておく理由があるほうが良かったのに。
どちらも譲らず、結局こうしてふたりで起きている。
互いに動かず無言のまま、どれくらい経ったか。
遠くから、がたごとという音が近づいてくることに気がついた。
(……何だ?)
私たちが乗っていた乗り合い馬車より音が軽い。しかし、馬かロバの蹄の音もする。小型の荷馬車か?
(こんな夜更けに移動を?)
余程の急用か、それとも。
音は、少し離れた位置で止まる。荷馬車から降りたらしき複数人の足音。
「五人です。うち三人が武器を所持。隠し持っている可能性も」
私とは反対方向――その荷馬車が来た方角が見えているはずのオズが無声音で囁いた。
「しばらく様子を見る。私が言うまで動くな」
「かしこまりました」
オズの承諾を背中で受けて、私は体に掛けた外套の下で剣の感触を確かめた。足音と会話が近づいてきて、起きていると気づかれないよう目を閉じ、耳をそばだてる。
「おうおう、毎度ながらどいつもよく寝てんなあ」
「おい、声を抑えろ。油断すんじゃねえぞ」
そう窘めた者も、乱暴な足音を隠してはいない。
(毎度ながら、と言ったな)
乗客を強制的に深く眠らせる。そんなことが頻繁に起きていたというのか?
足音のひとつが私たちの傍で止まる。
(っ!?)
がっ、と突然乱暴に肩を蹴られ、仰向けになるよう転がされた。激痛が走ったが表情を変えないよう耐える。運良く、外套がはだけることはなかった。剣を抱えていることは連中には気づかれていない。ただ、オズが私への狼藉を察したか、その気配が尖った。
「こいつはどうだ? 若いし、丈夫そうだ」
「馬鹿、そいつは駄目だ」
オズの殺気にすら気づかず、闖入者たちは私たちを見下ろして何かを吟味している。
「こいつ単独なら悪くねえけどよ。どう見てもそっちの男の連れだろ。ひとりの奴を狙えっていつも言ってんだろうが。荷物だけもらっとけ」
「ちぇっ」
ひとつ舌打ちして、私に何かしら目星をつけた人物はそれきり私を見なかった。私の肩を踏んだままだった足をどかし、近くに置いていた私たちのトランクをふたつとも持って荷馬車に戻っていく。
奴らが離れていく気配に、私は薄く目を開けて様子を窺う。
(これは……)
王都を出る際、馬車乗り場の責任者をしていた男から聞いた置き引き事件とは、まさかこれか。
夜の間に事件が起きる。現場は領地の境界あたり。聞いた話の一部と一致する。
しかし、そうと確定させるにはまだ合わない部分もある。
(犯人は流れ者の乗客らしいと言っていたが)
いくら乗客たちが眠らされるとはいえ、このような野盗組織の存在が今まで気づかれないことがあるのだろうか。
「お、こいつにしようぜ」
次に連中が目をつけたのは、出稼ぎ労働者の男だった。確かに彼は乗り合い馬車にはひとりで乗っている。
「良い商売だったのによ、これで最後だなんて残念だよなあ」
「まったくだよな。しかも一緒に盗った荷物は俺らが好きにしていいなんて、そんな雇い主、今後いないぜ」
これで最後。その言葉に、連中がこのようなことを何度もしていることがわかる。併せて、発覚しないままこの悪事が最後になるからこそ、これほど口が軽いことも。
(雇い主がいて、しかも荷を盗むのは目的ではなく、これまで発覚していないのに今回で手を引く?)
どういうことだ?
目を覚ます気配のない出稼ぎ労働者の男を、野盗たちはふたりがかりで抱えて連れて行こうとしている。
(っ、ここまでだな)
まだ情報は欲しいが、民が拉致される様を黙って見過ごすわけにはいかない。
私がオズを呼ぼうとしたとき。私から見て焚き火の跡の向こう側で、むくりと小さな体が起き上がった。
「母ちゃん、俺おしっこしたい……」
ジェイが、目を擦りながら母親を揺する。
「な……っ!」
「餓鬼が起きたぞ!」
野盗たちにも想定外だったのか、それぞれ動きを止める。
(まずい!)
私は跳ね起きた。
一緒に連れ去るか、口封じに殺すか。油断しきっているとはいえ、足音すら隠さず、ぽろぽろ情報を漏らすこの連中の迂闊さと短絡さを思えば、衝動的に後者を選ぶ可能性が高い。
しかも、野盗のひとりはジェイのすぐ近くにいる。
これは、野盗が来るなどとは想定できなかったとはいえ、ジェイが睡眠薬を飲んでいないことを知っていて対処しなかった私の落ち度だ。
「制圧する! オズ、連中の移動手段を押さえろ。ただし民の命が最優先だ!」
「はっ!」
剣の鞘を払いながら発した私の命令を待ちかねていたかのように、オズが飛び出していくのが見なくてもわかった。
ジェイに続いて私たちが動き出したことで、野盗たちに動揺が走る。
「え、誰!?」
いつの間にか野営地に知らない男たちが何人もいることに気づいたのか、ジェイが声を上げて体を強張らせた。
「ジェイっ!」
目が覚めたらしい母親が呆然とするジェイを抱き寄せる。
「くそがっ!」
母親まで起き出したことで、野盗が腰に差していた短刀を振りかざした。私はジェイたちと野盗の間に滑り込む。
がきん、と金属同士がぶつかる重い音が響いた。飛び込んだ勢いのまま、剣で相手を押し返す。野盗はたたらを踏んで、短刀を構え直した。
「てめえ、起きてやがったか……!」
私を選ぼうとした奴を止めた男だ。おそらく、この野盗たちのまとめ役。
「お前たちの目的は何だ? 何故ひとり客だけを選んで連れて行く?」
「誰が答えるかよ!」
怒号と共に振るわれる短刀を、その軌道を見切ってすべて打ち払う。膂力はこの男のほうがやや上か。しかし直線的な攻撃は単調で、受け流しさえすれば脅威ではない。
「いつからこんなことを行っている? お前たちの雇い主は誰だ?」
「てめぇこそ何者だよ……っ!」
攻撃がすべて防がれるからか、野盗が焦りを滲ませた。
五人中三人はオズが対処するはずだ。私たちの荷を持って行った者と労働者を拉致したふたりは、オズに向かわせた馬車のほうにいる。
残ったひとりが、こちらに合流しようとする。
(長引かせないほうが良いか)
剣を交えながらのほうが興奮と焦りで何かしら漏らすかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。ならば捕らえてから尋問する他ない。
「少し下がれるか?」
ここまで相手の技量を見る限り大したことはない。しかしふたりを同時に相手するには、あまり近くにいるとジェイたちを巻き込む恐れがある。そう判断して、問いかけながら背後を一瞬振り向いた。
一瞬の、つもりだった。
「大丈夫……大丈夫よ、ジェイ……」
ジェイの母親が、こちらに背中を向けてジェイをしっかり抱え込んでいる。
小さく優しい語りかけは、ジェイを安心させるためだろう。
背中を向けているのは、何かあったらその身で息子を守るためだろう。
ジェイの後頭部を掴むように抱え、自身の胸に押し付けているのは、ジェイが顔を出せないように、そして凄惨になるかもしれない光景を見せないようにするためだろう。
こうして見れば、その姿勢の意図が手に取るようにわかった。
『ギルバート』
母上の声が聞こえた気がした。いつも、私の存在を嘆く言葉しか、あの日記を母上自身が読みあげたらこう言うのだろうと私が想像した声しか聞こえないのに。
目の前のジェイの母親の姿が、記憶の中の母上の最期と重なった。
私自身は今のジェイのように抱かれていたから、その時の母上の姿は見えなかったはずなのに。
『ギルバート。あなたを――』
最期に、母上は何を言った? どうして、母上は私を守った?
私のせいで、母上のすべての希望は潰えたのに?
「殿下!!」
オズの叫びが、私の意識を現実に引き戻した。視線を正面に向けると、眼前に野盗の刃が迫っている。
その刃を打ち返せたのは、ただの条件反射だった。私が手加減を忘れて剣を振るったせいで、野盗が振り回していた短刀が弾き飛ばされて宙を舞う。
(しまった……!)
周囲には眠った乗客たちが転がっている。だからこそ敵の武装解除には慎重になるべきで、情報を聞き出す傍らで相手の出方を窺うに留めていたというのに。
ひやりとしたが、幸いにも短刀は誰もいないところに落下した。からん、と乾いた音を立てる。
「っ、く、くそっ!」
短刀を失った野盗が狼狽えた。もう一人こちらに来ようとしていた者も、その様子を見て足を止める。
「ずらかるぞ!」
ようやく不利を悟ったか、遅まきながら野盗はそう号令をかけた。
「させるとお思いですか?」
戻ってきたオズが、野盗の前に立ちはだかった。
オズは無事に労働者を救出したのだろう。私が野盗の短刀を弾き飛ばしたとき、肩に担ぐようにして連れて戻っていたのが視界の片隅で見えていた。オズは剣を抜き、すっと流れるように近づいて野盗のふたりを挟むように私の正面に立つ。
「あなた方の馬は逃がしましたし、あちらにいた三人も捕縛しました。徒歩でどこまで逃げられるか、お試しになりますか?」
その冷ややかさに、野盗たちがたじろいだ。オズの丁寧な口調は敵への煽りだけでなく、私への報告も兼ねている。
オズの視線が、野盗たちを追い越して私に向けられた。
「遅くなり申し訳ありません」
その冷静さに、私の頭も冷える。私も改めて剣を構え、野盗たちを睥睨しながらオズに言葉を返した。
「いや……充分だ。お前に怪我は?」
「かすり傷ひとつございませんよ。あちらで寝ている者も無事です」
オズが自身の斜め後方を示す。出稼ぎ労働者が横たえられているのが見えた。
「良くやった。では、あとはこのふたりだけか」
先ほど聞こえた会話によると前科は多そうだ。目の前で犯罪行為が行われた以上見逃すつもりもない。
「ちくしょおおお!」
オズと私を見比べ、野盗は私に殴りかかってくる。オズのほうが年上で体躯もあるから、私のほうが御しやすいと思ったのか。私はその拳を避け、その側面に回り込む。剣の柄頭で首すじを殴りつければ、野盗はぐっと呻いてあっさり意識を手放し、その場に倒れ伏した。
ほぼ同時にもうひとつどさりと音がして、オズが最後のひとりを倒したことを知る。
「この連中の馬車にロープがありました。まだ余っておりますので取って参ります」
「ああ、頼む。その後はこの者たちを向こうに運んでおこう。ここだと朝になって皆が起きだせば、不安にさせてしまうだろうからな」
「かしこまりました」
オズは胸に手を当て、普段通りに軽く頭を下げた。先ほど野盗に向けた冷たさはもうない。
「お前、怒っているときに言葉が殊更に丁寧になるのは何なんだ」
「特に意識しておりませんが? ……まあ王都では言葉も武器でしたので、そのせいかと。揚げ足を取られるわけには参りませんから」
王宮で貴族相手にやり合うなら、確かに剣よりも言葉によるものが多かっただろうが。
倒した野盗の処理をオズに任せ、私はジェイ母子を振り向く。戦いが終わったことを察したか、母親はもうジェイを抱え込んではおらず、抱きしめながらもふたり揃ってこちらに顔を向けていた。
座り込んだままのその体が震えているのは恐怖からだろう。私はふたりの前に片膝をついて、視線を合わせた。
「すまない。怖い思いをさせた」
「いえ、あの……その男たちは?」
「詳しくはこれから調べるが、おそらく野盗の一味だ。あなたたちに顔を見られたから、口を封じようとしたのだろう」
ジェイが母親の腕の中で、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
「……俺が、母ちゃん起こしちゃったから?」
「違う」
私は短く否定する。こんな子供が、責任を感じる必要はない。そもそもジェイは何も悪くない。
「悪いのは私だ」
睡眠薬を飲んでいないジェイが起き出す可能性を、私は把握しておくべきだった。このふたりが危険に晒された責任は私にある。
「にいちゃんが?」
「バート様!」
ロープを持って戻ってきたオズの怒鳴り声が割り込んだ。
「あなた様は背負い込みすぎです! このような事態になるなど誰が想定できたと仰るのですか!?」
「だが、」
「だが、ではございません!」
オズの剣幕に、ここで問答をしても埒が明かないとわかって口を噤む。
「にいちゃんは、俺と母ちゃんを助けてくれたんじゃないの?」
「その通りです」
「オズ!」
ジェイの疑問に間髪入れず肯定を返すオズを、今度は私が怒鳴りつける。
「勝手なことを言うな!」
「勝手なこと、とは? 私は事実しか申しておりません。私はあなた様の命に従い、連中の馬車の制圧を行っておりました。その間おふたりをお守りしたのは紛れもなくバート様、あなた様です」
「やっぱりそうだよね?」
オズの言葉にジェイが納得したように言って、鼻をすすりながら母親を見上げた。
「ええ、そうよ。……本当に、ありがとうございました」
母親の震えが次第に収まり、私に礼を述べる。ジェイも私に向けてぺこりと頭を下げた。
「にいちゃん、ありがとう」
「やめてくれ。君がお礼を言うのは、母君に対してだ」
「ははぎみ?」
知らない言葉を聞いたと言うように、ジェイが首を傾げた。
「……君の、母ちゃんのことだ」
平民は、“母君”などとは言わないんだったか。普段ならそれくらいすぐ思い至って言い換えることが出来るのに、口を滑らせた。さすがに疲れているのかもしれない。
「君の母ちゃんは、君のことをその身を盾にして守っていた。誰にでも出来ることではない。君の母ちゃんがそんな素晴らしい人であることを、誇りに……自慢に思うと良い」
母上は、きっと義務感で私を守っただけだ。望んだ立場でなかったとはいえ、国王の妃としての責任があったからだ。
もしくは……考えたくはないが、故郷に帰れない日々に絶望して、死に場所を探していたのかもしれない。
(そうでないと、説明がつかない)
だがジェイの母親はそうではない。権力も腕力もない平民の女性があれほどの覚悟を持てることを、ただ尊敬する。
「まあ」
私の言葉に、ジェイの母親が野盗騒動が起きてから初めて顔を綻ばせた。
「そんな立派なものじゃないわ。母親なら当たり前のことですよ」
「当たり前?」
何を言われたのか、理解できなかった。思わず反復する。
「……母親、なら?」
「ええ。だって我が子は宝物ですもの」
そう言って、母親はジェイの頭を優しく撫でる。その子供への慈しみが溢れる表情から、私は目を離せなかった。
今後は週1ペースで更新できるよう頑張ります。




