馬車での出会い
主人公視点に戻ります。
「――人々を襲う竜たちは、すべて、ある一頭の竜から生まれるのだとわかりました。英雄は、その竜を“始祖”と呼び――」
囁くように、建国伝説の一節を語る声が聞こえた。同時にがたん、と荷台が大きく揺れて、私は目を開ける。
今日の午前に寄った村でこの乗り合い馬車に乗り込んできた母子が、私たちの向かいに座っている。物語を紡ぐ声は、その母親が幼い息子に語り聞かせているものだった。
建国伝説は、この国の始まりを伝えるお伽噺として、身分を問わず語られている。人々を脅かしていた竜を英雄が打ち倒すという物語は、子供にも受けが良い。
(……そういえば、母上は建国伝説は語って下さらなかったな)
他の物語ならよく聞いたが、国内で最も有名な物語といっていい建国伝説だけは母の声で聞いた記憶がない。私は文字が読めるようになってから、王宮にあった子供向けの本を読んでこの逸話を知った。
(無理もない、か)
母上の日記が入ったトランクを抱える手に、知らず力が入る。
王家を憎んでいたであろう母上が、わざわざその王家の始まりの物語を語る理由などない。王家の血を継ぐ私を、母上はその手で育ててくれた。その憎しみを日記に綴れど、幼い私には見せなかった。それだけで充分すぎるくらいなのだから。
固い荷台に座ったままうたた寝してしまったからか、少し体が痛い。身じろぐと、私の動きにオズが気づいた。
「お目覚めですか?」
「ああ。現在地は?」
私は問いながら被ったままの外套のフードを少し持ち上げ、体を捻って幌と荷台の隙間から外を覗く。ところどころに草が生えるだけの、これと言って特徴のない荒れ地が広がっていた。景色はややオレンジ色を帯び始め、夕方になっていることがわかる。
(マイヤー伯爵領とコリンツ侯爵領の境あたりか?)
川を境に領地が分かれていて、その周囲は荒れ地だったはずだ。寝る前はマイヤー伯爵領の中心を抜けたところだったから、あまり進んではいないらしい。
「あなた様がお休みになってそれほど経っておりません。川を渡っておりませんので、まだマイヤー領内です」
小声なのは他の乗客への配慮なのだろう。オズがそう囁き、私の予想が合っていたことを教えてくれる。
「少しはお休みになれましたか?」
「……いや、あまり」
誤魔化してもどうせばれる。そう思い、姿勢を戻しつつ正直に答えた。
この乗り合い馬車に乗ったのは一昨日の昼過ぎ。今日は私が未来で殺されて、過去に戻ってきてから四日目だ。
その間、夜はろくに眠れていない。ようやく眠れたと思えば悪夢を見て目が覚める。これは時を遡ったこととは関係なく、昔からそうだった。
悪夢の内容はさまざまだが、たいていは嫌な記憶の追体験だ。父に課されて何度も毒を飲んだ日々のことだったり、母が私を庇って死んだ日のことだったり、王妃に従うことを選んだ日のことだったり。時を遡ってからはそれらの悪夢に卒業パーティーのことや地下牢での記憶も加わった。
つい先日、私の告げた婚約解消を、ディアナが受け入れたときのことも。
(睡眠が必要だと知ってはいるが)
それでも、眠るのが嫌になる。夢だとわかっていながら、その結末を変えることができないのだから。
「本日は昨日に引き続いて野営ですが、その際に湯を沸かしてお茶をお淹れしましょう」
「……そこまでしなくていい」
頼む、と今までの癖で言いそうになって飲み込む。オズが離宮から持ち出してきたハーブティー。何年か前からあのお茶を習慣的に飲むようになってから、気分が落ち着いて眠りが深くなるのか悪夢を見ることは減った。
正直、欲しいと思う。離宮を出る前は何故わざわざ茶葉なんて持って行くのかと疑問だったが、オズの判断は正しかった。あれがないとここまで眠れないとは想定外だった。
ただ、お茶は嗜好品だ。
「王都を出る前に聞いたことは覚えているだろう。……あまり目立つことはしたくない」
平民でも裕福な商人などであれば、乗り合い馬車ではなく自分たちで馬車を手配する。乗り合い馬車を利用する層の人々は、わざわざ野営中に香り高いお茶を嗜むようなことはしないはずだ。
私たちや、正面の母子以外にも何人か乗客はいる。王都の馬車乗り場で受付をしていたあの男に言われたような、流れ者風の客も。何も起きていない中で民を疑いたくはないが、警戒するに越したことはない。
「……かしこまりました」
私が置き引き被害のことを言っていると分かったのか、オズは素直に引き下がった。
「――英雄は三日三晩、始祖竜と戦い続けました。始祖竜は硬い鱗で身を守り、英雄との戦いで剥がれた鱗からは新しく眷属の竜が生まれます」
正面にいる母親が、物語を語り続けている。子供は目をきらきらさせながらそれに聞き入っていた。
「英雄の決して諦めない戦いぶりは、多くの人の心を打ちました。竜に怯えるだけだった人々は、英雄の姿に勇気をもらい、英雄の助けとなるべく自ら眷属竜たちと戦い始めました。そのおかげで、英雄は始祖竜との戦いに集中できたのです」
子供は見たところ五、六歳くらいか。孤児院で子供たちと関わった経験から、そう当たりをつける。母親は膨らみのある自身の腹を時折優しく撫でている。馬車に乗り込んできたときから気づいていたが、どうやら身籠っているようだった。
「英雄は、その剣で始祖竜の喉元にある逆鱗を刺し貫きました。その熱い血が英雄の体に降りかかりましたが、始祖竜の息が絶えるまで英雄は剣を手放しはしませんでした。そうして、ようやく長い戦いが終わったのです。英雄はその地に国を興し、王様になりました。始祖竜の血を浴びた英雄は強い体になり、平和の訪れたその国を長く治めたそうです」
はああ、と子供が詰めていた息を長く吐く。余程物語に没入していたのだろう。いかにも英雄や騎士に憧れるその年頃らしい様子が、見ていて微笑ましかった。
「ねえ母ちゃん、英雄が竜を倒した剣って、こんなのかな?」
子供が、ふいに私の傍らに立てかけられた剣を指さした。正面に座っているから、ちょうど視界に入るのだろう。
「こらジェイ、他人様の荷物を指さすんじゃないの」
「ええー」
ジェイと呼ばれた子供が、焦ったような母親の叱責に頬を膨らませた。
「だってかっこいいじゃんかあ……」
私の剣は長年使った愛用品で握り部分を多少調節しているが、王宮の兵士が使っている物と同型だ。そのため見た目は装飾もなく珍しいものでもない。それでも子供の目には格好よく映るらしい。
「持ってみるか?」
何気なく私が話しかけると、ジェイは顔を輝かせた。
「いいの!?」
「バート様」
隣のオズが、小さな声で私を咎めた。それをそっと押し留める。
「これくらい構わないだろう。周囲の警戒はお前に任せる」
囁き返して、私は剣を手に取った。ジェイに念を押す。
「ただし、持つだけだ。絶対に鞘から剣を抜くな。それはまだ君には早すぎる」
「うん!」
迷いのない頷きに、思わずふっと笑ってしまう。
「あの、良いんですか?」
「今の約束を守れるなら構わない」
遠慮がちに窺ってくる母親にそう答え、私は鞘ごと剣の握りの部分をジェイに向けて差し出した。
「重いぞ。しっかり掴むといい」
この子の背丈なら、立ち上がったところで頭が幌の天井に届くことはない。ジェイは馬車の揺れに気をつけながら立ち上がって、私の剣を受け取った。
「ん、おも……っ」
私には馴染んだ重さだが、やはりこの年頃の子供には重いのだろう。ジェイは自分の背丈の半分を越える剣を抱えて、少しよろめいた。しかし倒れることも剣を落とすこともなく、両手で握りの部分を掴んで剣を持ち上げる。
「わあ……!」
剣の重みで腕を震わせながらも、ジェイは嬉しそうに鞘に覆われたままの切っ先を見上げた。
「おっ、坊主。なかなかいい構えっぷりじゃねえか」
他の乗客が、ジェイを見て褒めた。へへっ、と得意げにジェイが視線をその乗客に向けたとき、馬車が大きく揺れた。
「えっ、わっ、」
私は手を伸ばして、声を上げてふらつくジェイと剣身を支えた。
「大丈夫か?」
「う、うん。にいちゃん、ありがと」
「すみません、ありがとうございます」
ジェイの母親も咄嗟に動こうとしたようだが、私のほうが早かったらしい。
「ジェイ、そろそろ剣をお兄さんに返して。川を渡っているから、もうすぐ今日の野営地に着くわ」
今の大きな揺れは橋を渡り始めたからのようだ。橋の上だからか、確かにこれまでとは揺れ方が違う。
「はあい」
まだ少し物足りなさそうだったが、転びかけたからかジェイは母親の言葉に素直に頷いた。
「……不躾なことを聞くが」
ジェイから剣を受け取りながら、私はふたりが馬車に乗ってきたときから気になっていたことをジェイの母親に尋ねた。
「馬車の揺れは……その、大丈夫なのか?」
「えっ? ……ああ」
こういうときの言葉の選び方がわからず、つい曖昧になってしまった私の唐突な問いに、ジェイの母親は驚いたように目を瞬かせた。少しして、腹の子への影響を聞かれたことに気づいてくれたらしく、表情を緩ませた。
「これくらいなら何とか。もっと早いうちに里帰りしておきたかったんだけど、先週までつわりがひどくて」
その手が、また優しく腹を撫でる。ジェイも一緒に母親の腹に手を当て、今動いたよ、と声を上げた。
言葉も表情も仕草も、すべてが自然で。ジェイも、今その腹にいる子も、この母親が望んで授かった命なのだろうと、そう思えた。
(私と、違って)
母上は私を堕ろそうとして、わざと道が整備されていない地区の視察の予定を入れ、揺れがひどくなるはずの馬車に乗ろうとしたこともあるらしい。だが、ジェイの母親にはそういった思惑はないのだろう。
『この子さえいなければ』
日記に書かれた母上の言葉が、また母上の声を伴って私の耳の奥で聞こえる。
「そうか。……それなら良い。余計なことを聞いてすまなかった」
私はそれだけ言って、剣を置いて元の位置に座りなおした。
薄暗い馬車の中で、この母子の姿は妙に眩しく見えた。




