ギルバートの試験答案
入学式と始業式が行われている間に、モリスに呼ばれた教師たちが手分けをして問題用紙や解答用紙を貼り出した。式が終わり、卒業資格認定試験の解答の閲覧を希望する生徒がぞろぞろとエントランスに戻ってくる。その人数は多く、例年ならそれぞれの教室に向かうところ、珍しい光景だった。
「まずこちらが第一問です」
生徒と同じくこの場に戻ってきたモリスが解説を始める。
『以下の資料をもとに、この領地が王宮に納めるべき次年度の税金額を算出せよ』
たった一行の問題文のあとに続く膨大な資料に、生徒たちは驚きの声を上げた。
「ちょっと待って、資料だけで何枚あるの……?」
「これを読むのか?」
「一問目でこれ? ……二時間しかないんだろう?」
それらの言葉には何も返さず、モリスは次に移った。
「そしてこちらが、参考までに掲示させていただいた、五年前のダリエ伯爵子息の解答です」
オズワルドの解答は、人口、作物収量、貿易取引額などをもとにして納税額を算出するという、教科書通りのものだった。
「あー、確かにこの公式、二年生で習ったな。こうやって使うのか……」
「いくら習うって言っても、計算が大変だろこれ。何桁あるんだよ」
「ダリエ伯爵子息ってもともと平民なのでしょう?」
「優秀って噂、本当なんだな」
「そして、」
モリスの声が、生徒たちの感想を遮る。
「こちらが、昨日のギルバート第一王子殿下の解答です」
指し示された紙に、その場にいる者たちの視線が集中する。
ギルバートの解答の冒頭には、こうあった。
『この領地は脱税を犯している可能性が極めて高い。従って、ここでは脱税予想額およびその考えられる使途といった、領主宅の捜査令状を出すための根拠を述べるに留める。資金の流用先によっては爵位の剥奪や領地の取り潰しの可能性があり、ここで納税額を算出することは適当とは言えない』
「……は?」
エントランスが、静まり返った。
生徒たちそれぞれの目が、記述された解答を辿っていく。
ギルバートの端正な文字が、資料の数値の矛盾を鋭く突いている。オズワルドの解答では触れられていなかった、天候や農地面積、輸入品目のデータなどにも指摘が及び、与えられた資料すべてを余すことなく活用していることがわかる。
それでいながらその論理に無理はなく、飛躍や破綻もない。計算や資料をもとに根拠を丁寧に積み上げながらも、その解答の文章は極めて簡潔で明瞭だ。
他の生徒達と一緒に、ディアナもそのギルバートの解答を読んでいた。
(これがきっと、ギルバート様の本領)
ディアナに、他の生徒のような驚きはなかった。
誰もが簡単には出来ないことを、誰にでもわかるように無駄のない表現で伝える。ディアナの知るギルバートの姿が投影されたような解答であることに、納得するどころか安心感さえあった。
誰もが絶句する中、その静寂を破る者がいた。
「納税額を問われながら『算出しない』など卑怯ではないか!」
「おい、ちゃんと読めよ! 話の筋は通っている、何もおかしなことは書かれてない!」
言い募ろうとしたカーク侯爵子息を、その友人の男子生徒が押し留めた。
「いいやおかしい! それにこんな内容、その場で書けるものか! 予め用意していたに決まっている!」
「もう止めとけってラルフ! 逆だろう! この計算過程、お前だったら全部事前に覚えられるのか?」
そう言い返されて、カーク侯爵令息が押し黙る。しかしそれでもまだギルバートを認めたくないのか、次はセドリックのほうを振り向いた。
「この解答がそれほど素晴らしいと言うのなら……っ! セドリック第二王子殿下、あなた様にもこの程度のご解答、お出来になりますよね!」
思いつくままに叫んでいるカーク侯爵令息の言葉をまともに受け取る者は、もはやいなかった。それでも、この場にいるもうひとりの王子の名が出たことで、皆がセドリックに注目する。
「……そう、だね」
生徒たちの視線を受けて、セドリックはゆったりと微笑みを浮かべた。ただ、ディアナにはその笑みがどこか引き攣ったものに見えた。
「それよりも、兄上が今までわざとCクラスに留まって、皆を欺いていたことのほうが問題だ。……これは本人に聞く必要があるな」
セドリックの言葉に、カーク侯爵子息は息を吹き返したように顔を輝かせた。
「そうです! では第一王子殿下はよからぬことを……! やはりセドリック殿下が次期国王に、」
「ラルフ」
セドリックに名を呼ばれ、カーク侯爵令息はぴたりと黙った。
「君は次期国王が誰になるのか心配するより、学院長に謝罪するほうが先じゃないか? 少なくとも、この解答を見た学院長たちが兄上を不合格にしなかったのは妥当だと、僕は思うよ」
「っ、……はい、申し訳ありません」
項垂れたカーク侯爵令息に、セドリックは続けた。
「僕は兄上に事の次第を聞きに、急いで王宮に戻る。この後のクラス別のオリエンテーションの内容をまとめて、明日僕に教えてくれるかい?」
「かしこまりました。必ず」
深く一礼するカーク侯爵令息。その様子を見て、セドリックは厳しい口調を緩め、小さく笑った。
「やだな。何も罰を言い渡したわけじゃない。ただのクラスメイトからのお願いだよ。……じゃあ、他の皆も、またね」
そう言ってセドリックは足早にその場を去っていった。その際にディアナと目が合ったように感じたが、ディアナはその場を動けないまま、ギルバートの解答用紙に視線を戻した。
アンジェラがすっと手を挙げた。
「あの、学院長。このふたつの解答は内容が大幅に異なりますが、おふたりとも合格なのですよね? 採点基準は何なのですか?」
「おお、良いところに気づかれましたな、ラウエル辺境伯令嬢」
モリスが目を細めて、微笑ましいものを見るようにアンジェラを褒めた。
「採点基準は、この国の成人貴族としての能力があるかどうか。特に領地経営能力があるかどうかです」
質問したアンジェラだけでなく、ここにいる生徒全員が耳を傾けた。
「実はですな。この試験問題の添付資料は、その領地の地図以外、かつて実際にあったとある領地の数値をそのまま使ってあるのです」
「実際にあった……というのは?」
アンジェラが重ねた問いに、モリスはひとつ頷いた。
「今はもう取り潰しになった家が治めていた領地です。約百三十年ほど前、外患誘致の疑いで裁かれ、その領地は分割され他家がそれぞれ併合しました」
ただそれは試験そのものとは関係ありません、とモリスは続けた。
「この試験問題を作るときにその数値を引用したのは、もう存在しない領地だからこそ、受験者の執務能力を公平に測ることが出来ると考えたからです」
生徒の誰かが、息を呑んだ。
「じゃあ、第一王子殿下の解答にある脱税の指摘は、先生方の意図したものではないのですか?」
「さようです。本来であれば、ダリエ伯爵子息のように『集められた大量の資料から必要な情報だけを抜き出して納税額を計算する』だけで充分なのです。これはもともと、早期に領地や爵位を継ぐことになった者の実力を測るための試験ですから」
オズワルドの解答を示してから、モリスはギルバートの解答を指した。
「試験問題を作成した私だけではありません」
モリスはそっと嘆息した。この解答を初めて読んだときに感じた衝撃の深さを、どう言えば生徒に伝わるのか思案しているようだった。
「おそらく当時の王家も、この地を治めていた者が脱税をしていたなどお気づきではなかったでしょう。……だからこそ、かの地の者が他国を手引きするまでに至ったのでしょうから」
ギルバートの解答は、脱税により得た資金が軍備増強や兵糧備蓄に充てられた可能性を、その根拠となる資料の数値を示したところで終わっている。
もしも当時の王家がこのことに気づいていたなら、この領地は外患誘致の疑いで取り潰される前にしかるべき罰を受けていたはずだと、モリスは言う。
百三十年前には見逃されていた罪の存在に、ギルバートは資料を見るだけで気づき、誰もが納得できる証拠を挙げた。
「第一王子殿下の解答は例外であり、別次元です。あの方は“領主を継ぐ者”としての視点をお持ちではない。それぞれの領地から上がってきた報告を公平に判断し、他に手に入る情報すべてを用いてその内容を精査していらっしゃる。つまり、」
「国を統治する者の視点――あの方は、それをお持ちということなのですね」
ディアナの呟くような声が、この場にいるすべての者に届いた。
「ディアナ?」
アンジェラに不思議そうに呼ばれて、ディアナはギルバートの解答用紙から目を離して振り向いた。
「どうしたの。あなた、第一王子殿下が本当は優れた方だっていつも話していたじゃない」
ディアナの視界が揺れ、ぼやける。瞬きすると一瞬晴れて、それでもすぐにまた霞む。そのこととアンジェラの言葉で、ディアナは自分が涙を流していることに気がついた。
「もちろん嬉しいわ。……嬉しいに、決まっているじゃない」
ギルバートが無能であるはずがない。ディアナはずっとそう信じてきた。だからこうして、ギルバートが王族として相応しい能力を有していると示されたのは、とても嬉しい。
でも、それは。
(この試験は昨日だと、学院長は仰ったわ。……つまり、)
ディアナとの婚約を解消した後なのだ。
ギルバートは、ディアナとの婚約を捨ててから、本来の自分を解放したのだ。
婚約を解消したことと、隠していた実力を発揮したことがどう繋がるのかはわからない。けれど、その事実はディアナをひどく打ちのめした。
(わたくしは、あの方の枷でしかなかったのだわ)
ディアナは今日、ギルバートに会いたいと思って学院に来た。その気持ちが萎んでいく。王宮に向かうと言うセドリックに許可を得てついて行けばギルバートに会えるだろうに、足が動かない。
ディアナの様子に戸惑いつつも他の生徒に請われ、モリスが第二問以降の解説を始めていく。
「二問目以降は、一問目のようにこちらの意図しない解答ではありません。ですが――」
他国から国賓を迎える際の晩餐メニューを決める問題。オズワルドの解答は最も交流の多い隣国ガスタからの客を迎える際の一般的な料理を挙げているだけなのに対し、ギルバートは十カ国近くのそれぞれに対する料理を季節別、状況別に挙げている。
一問目ほどの衝撃はないが、それでもギルバートのその知識量と視野の広さ、情報をわかりやすくまとめて記述する能力が示されていることは変わらない。
それを聞きながら、ディアナは自分の無力さを、ひとり静かに嘆くことしかできなかった。
失意のまま帰宅した、その放課後。ギルバートの試験解答開示の途中で王宮に帰ったはずのセドリックが、今日も公爵邸を訪れた。
「ねえディアナ嬢。君は、本当に兄上から何も聞いていないの?」
昨日のような余裕はなく、どことなく焦燥を滲ませながら。セドリックはディアナにそう問うた。
そしてディアナは、ギルバートが学院だけでなく、王宮からも姿を消しているということを知らされたのだった。




