学院の朝
新学年が始まる日は、学院に着いた者からクラス分けを確認する。クラスが上がった者、下がった者、はたまたぎりぎりで上がれなかった者、かろうじて留まれた者。学院のエントランスに貼り出されたクラス分け名簿を見ながら、生徒たちのざわめきが場を満たしていた。
「あら、ディアナ」
そんな生徒たちの後ろで名簿の前が空くのを待っていたディアナは、友人のアンジェラに声をかけられた。
「アンジェラ。久しぶりね」
学院での勉学に加えて、将来の王子妃としての教育。そして年齢的に夜会には出向けないものの、亡くなった母の代わりにご夫人方とのお茶会や交流などをこなすディアナには、同年代の友人が少ない。
アンジェラは入学時からディアナと同じ最高クラスに属する、ディアナにとって気の置けない友人だった。
「どうにか今年もSクラスに入れたわ。ディアナ、今年もよろしくね」
先にクラス分け名簿を見てきたのだろう。アンジェラは、そう言ってディアナに笑いかけた。ディアナも笑顔を返す。
「どうにか、なんて。アンジェラの成績なら当然のことよ。わたくし、いつあなたに負けてしまうかとひやひやしているんだから」
「毎年女子の学年首席の座を譲らないあなたにそう言われるなんて光栄だわ」
最高クラスに女子は少ない。爵位を継いだり官僚や文官として働いたりするのは男子が多く、婚姻後には家を守ることになる女子にそこまでの学力は求められないからだ。
ただアンジェラは辺境伯家のひとり娘であり、自分で家を継ぐ気でいる。さっぱりした性格のアンジェラは、侍女や護衛の同伴が出来ない学院において、ディアナの理解者でもあった。
「浮かない顔してるのね。……今年も、あなたの婚約者さまはCクラスなの?」
ディアナの婚約者がギルバートからセドリックに変わったことはまだ公になっていない。アンジェラが言うのはギルバートのことだ。Cクラスは、学力別に五つに分けられたクラスにおいて、下から二番目にあたる。
(本当は、あの方がそんな実力のはずはないのに)
視察を共にしたときのギルバートは、貴族でも平民でも、口調こそ変えないものの話す内容や言葉の選び方は相手の立場や理解に合わせていた。
また、ギルバートが公爵邸を訪れたときに、アレックスが勉強を教えてほしいとねだったことがあった。ギルバートはアレックスの現在の理解度と躓いた箇所を即座に把握し、適切に指導を行っていた。ディアナが気がついたときには、アレックスの学習進度はその分野だけ遙か先まで進んでいた。
その柔軟な対応力だけでも、ギルバートの知識量が本来は相当なものだとわかる。
だからこそディアナは、入学時、ギルバートがCクラスだと聞いたときには本当に驚いた。
ありえない、とすら思った。貴族は学院に通う前はそれぞれ家庭教師を雇って学ぶことが一般的だ。学院のクラスは学力別であり本人の資質や努力によるとはいえ、結局はそれまでの家庭教師の質の差、つまり家の財力や爵位が大きく影響する。
そのため、Cクラスは男爵家や子爵家としては平均より上の生徒、加えて勉強の苦手な伯爵家あたりの生徒で構成される事が多い。王族が所属することなどまずないクラスなのだ。
『……すまない。婚約者の私がこの有様では、ディアナに迷惑がかかるだろうか』
二年前。入学式が行われた講堂から各教室に移動するとき、廊下の片隅でギルバートはそうディアナに詫びた。いつもならまっすぐディアナを見つめる青い瞳は珍しく逸らされ、その声にはどこか苦いものがあった。
ギルバートがその能力や立場に合わないクラスにいることは、ディアナは納得できてはいなかった。それでも、ギルバートのその言い方だけで、理由があるのだということはすぐにわかった。その理由は、ディアナには言えないものなのだということも。
『いいえ。わたくしのことは心配なさらないでくださいませ』
だから、ディアナはそれ以上問うことはしなかった。
『信じておりますから』
ギルバートは弾かれたようにディアナを見て、小さく口を動かした。どうして、と言ったように見えた。
『ありがとう。……すまない』
その口元を引き結んでからもう一度詫びて、ギルバートは踵を返し、自身の教室に向かって行った。
昨年、二年生のときも、ギルバートはCクラスのままだった。
今年は――。
「……今から見に行くのよ」
昨年度、学年首席を取ったディアナは最も上位のSクラスが確定している。それでもここでクラス分け名簿を見る生徒に混ざっているのは、ギルバートのクラスを知るためだ。
そして、名簿を見るために生徒全員が必ず通るこの場所で、ギルバートを待つためでもある。
「そうなのね。ねえディアナ、ちょっと聞きたいんだけど……あ、空いたわ」
アンジェラが何か尋ねようとしたとき、名簿の前にいた生徒たちが自分のクラスを確認し終わって脇に避け、空間ができた。
「後でいいわ。先に見てきなさいよ」
「ありがとう、アンジェラ」
ディアナはクラス分け名簿の前に立った。ギルバートの名前を探す。まずこれまでと同じCクラスの名簿を見る。
ギルバートの名前は、なかった。
(……え?)
クラスが上がったのだろうか。ディアナは期待と不安が綯い交ぜになりながら、上のクラスを確認する。Bクラス、Aクラス、そしてSクラス。それでも、彼の名前は見つからない。
(どういうこと?)
まさかと思って最も学力の低いDクラスの名簿にも目を通す。留年させられた可能性も疑って二年生の名簿も見る。
そこまでしても、ギルバートの名前を見つけることはできなかった。
「ディアナ? どうしたの?」
呆然と立ち尽くすディアナに気づき、アンジェラがディアナの顔を覗き込んだ。
「どうして、ないの……?」
ウィリア王国の貴族の子女はこの王立学院に通い、卒業しなければ貴族としても成人としても認められない。没落した家の子女が泣く泣く退学することはあれど、王族であるギルバートが学院を去るなど考えられない。
他に可能性としてあるのは――、とディアナがそこまで考えたとき。
廊下の向こうが急に静かになった。視線を向けると、セドリックと学院長であるモリスが共に歩いてくるのが見えた。
王族であり最終学年の男子首席でもあるセドリックは、この後の入学式や始業式で生徒代表の挨拶がある。モリスと一緒なのは、それに関する打ち合わせでもあったのだろう。
「ディアナ嬢」
ディアナを見つけたセドリックの表情が綻んだ。それに応じて、ディアナは軽く会釈するに留める。
王立学院の校訓は、『知識の前に人は平等』。よって学院内であれば、自分より身分の高い者が相手でも礼や挨拶は免除される。
「バートン学院長、少々よろしいでしょうか」
ディアナは逸る気持ちを押し殺しながら、セドリックの一歩後ろにいたモリスに話しかけた。学院長であるモリスがこの場に来たのは偶然だろうが、ちょうど良かった。
「どうかしましたかな、エンフィールド公爵令嬢」
「あの、クラス分け名簿にギルバート第一王子殿下のお名前が見当たらないのですが……何かご存知でしょうか」
「兄上の名前がない?」
セドリックが、モリスよりも先に反応する。セドリックも知らないことだったらしい。驚いた顔でモリスを振り向いた。
「学院長、どういうことなんだ?」
「おや、おふたりはご存じなかったのですかな」
そして、モリスも意外そうに目を瞬いた。ただ、驚きの理由はふたりとは違った。
「第一王子殿下は卒業資格認定試験に合格されたのです。卒業生として扱われることになりますので、もう名簿にはお名前を載せておりません」
セドリックが息を飲んだ。
「卒業資格認定試験!? 兄上が?」
「ええ、つい昨日のことです」
セドリックという王族の登場に、周囲の生徒たちも注目していたのだろう。この会話が聞こえた者たちからも声が上がる。
「卒業資格認定試験?」
「あれって合格者がほとんど出ないって……本当に受ける人がいたんだ」
「え、でも、第一王子殿下って今までCクラスだったでしょう?」
「しかも、その……“無能”だって」
「それなのに合格だって?」
そんな囁きが、ざわざわと広がっていく。
「お話中失礼致します!」
ざわつく生徒の中から、ひとりの男子生徒が進み出た。
「Cクラスの人間が卒業資格を得るなど納得できません! 学院長は騙されておられるのでは?」
侯爵子息であるその生徒は、苛立ちもあらわにそう言い放った。
「カーク侯爵子息。その仰りようは殿下にも学院にも失礼にあたるわ」
衝撃からまだ抜けきれないまま、それでもディアナは言い返した。この生徒の父親であるカーク侯爵は、ゲオルグと同じく王妃の近くに仕える官僚だ。本人も日頃からセドリックを推し、その反面ギルバートを軽視する言動が多い。
ギルバートが低位クラスに属し、王子としての功績がないのは、悔しいが事実。そのため普段は反論を飲み込むしかなかったディアナだが、そんな疑惑を口にされたなら話は別だ。
「今の発言、撤回なさい」
しかしカーク侯爵令息は怯むことなく、矛先をモリスからディアナに変えた。
「ならば証明できるのですか、エンフィールド公爵令嬢? 我が侯爵家は王家に忠誠を誓ってはおりますが、王族たる器を持たない方にまで忠義を捧げる必要は感じておりません!」
カーク侯爵子息の荒い語気に、高位クラスに属する生徒を中心に賛同する声が上がる。その声の多さに、ディアナは思わずたじろいだ。
そして、実際に今までのギルバートはCクラスだったのだ。ディアナひとりで確たる証拠をここに用意することはできない。
「それにあの犬……ダリエ伯爵子息も認定を受けているという噂もあります。あいつが第一王子にどんな問題が出るかあらかじめ教えたのでは?」
「ふむ……」
収拾がつかなくなりそうだと判断したのか、モリスが提案した。
「私どもの採点や判断に不備があったとされるのは甚だ心外ですな。……では、第一王子殿下の試験解答を、試験問題とともにこの場に掲示しましょう。第二王子殿下、構いませんでしょうか?」
個人の答案、しかも卒業資格認定試験の答案を公開するというそれは、異例の提案と言えた。しかし、カーク侯爵子息の言いがかりはギルバート個人のみならず、王家や学院の権威をも揺るがしかねない。
人々の上に立ち、国を動かす王族に、プライバシーなどある意味存在しない。
しかも、ここには王族が――セドリックがいる。セドリックが認めれば、ギルバートの答案開示は決してモリスの越権行為ではなかった。
「……うん、構わないよ。僕も興味がある」
モリスの提案とセドリックの承諾に、場のざわめきが大きくなる。しかしこれ以上騒ぎ立てる者もおらず、生徒たちは次第に落ち着きを取り戻していった。
カーク侯爵子息も、ぎらつく目をしながらも、さすがに口をつぐんだ。




