募る想い
本邸に入れば、ポーラがこちらに歩いてくるところだった。ディアナの読み通り、応接室の用意ができた頃合いらしい。
「殿下、こちらへ」
セドリックを誘導する。
家長であるゲオルグの許可が出ているというのなら、来客、しかも王族を追い出すことはできない。そしてそのゲオルグが不在の今、セドリックをもてなすのは長子であるディアナの役目だ。公爵家の後継とはいえ、まだ幼いアレックスには荷が重い。
「わたくしは一度失礼して着替えて参ります。殿下はごゆっくりお寛ぎくださいませ」
温室で園芸作業をしていたディアナが着ているのは、汚れてもいい質素なドレスだ。公爵家を代表して来客をもてなすのにふさわしい服装とは言えない。
それに、一度セドリックと離れたかった。
「うん、ではありがたくお茶をご馳走になってるよ」
頷いたセドリックをポーラと家令に任せ、ディアナはマリアと急いで自室に戻る。その際にすれ違ったメイドに、アレックスにしばらく部屋から出ないようにと伝言を頼む。
しっかりと教育を受けているアレックスが粗相をするとは思えないが、アレックスもディアナとギルバートの婚約解消にはショックを受けていた。
(まさか第二王子殿下の前で、昨日みたいにギルバート様を『義兄さま』とは言わないでしょうけど……)
幼いゆえに素直な子だ。賢く場の空気も読めるが、表情を繕うことはまだ得意ではない。昨日の今日でアレックスをセドリックの前には出さないほうがいいだろう。
「お嬢様」
ディアナの部屋のクローゼットを開けて、マリアが困惑したようにディアナを振り返った。
「どのドレスにしましょう……」
いつもディアナのドレスを嬉々として選ぶマリアだが、今日ばかりは違った。
クローゼットに並ぶのは、青を基調にしたドレスが半分以上を占めるのだ。青ではない生地のドレスでも、リボンや刺繍などのアクセントに深い青が使われている。
ギルバートの瞳を思わせる深く澄んだ青は、ディアナ自身最も好きな色だった。それに深い青はディアナの銀に輝く髪をよく引き立てたから、ディアナの着付けを担当するマリアも喜んだ。
しかし、セドリックの前で。しかも婚約解消されたその翌日に、ギルバートを連想させる色のドレスを着るのは好ましくない。
「……淡い水色のドレスがあったはずよ。お父様が先月、学年首席を取ったご褒美にと買ってきてくださったでしょう。あれにしてくれるかしら」
『確かお前は青が好みだったな』
ゲオルグはそう言いながらディアナにその水色のドレスを贈ってくれた。父らしい選択のドレスだと思った。娘の嗜好に寄り添っているようで、何も見えていない。青系統の色なら何でもいいのだろうと、そんな意図が透けて見えるようだった。
贈られた礼を兼ねてゲオルグが在宅の日に一度袖を通したが、それっきりだ。しかもゲオルグは、自分が贈ったドレスを着た娘を見ても何も言わなかった。
(きっと、わたくしが何色を着ていようと……本当は興味もないのでしょうね)
自分が父にとって、権力のための駒だということは理解している。以前のギルバートとの婚約も、今回の婚約解消もセドリックとの再婚約も、ディアナがゲオルグから意見を求められたことはないのだ。
貴族に生まれた以上、ある程度は仕方のないことだとわかっているけれど。それでも空しく思う時があった。
「わかりました。……こちらも、上品で美しいドレスですものね」
お嬢様のお好みではありませんけど、とマリアが呟いたのはわざとだろう。本当は叱るべきなのに、マリアがわかってくれていることにディアナの胸が温かくなる。ディアナは無言を返すことでその発言を見逃した。
手早くディアナを着替えさせながら、マリアはぽつりと言った。
「でも……本当にいいんですか、お嬢様。第二王子殿下とのご婚約なんて」
「……わたくしに拒否権なんてないの。マリアも知っているでしょう?」
心配をかけたくなくて、ディアナは口の端に笑みを乗せる。
「それに、ありがたいお話なのも確かなの。普通は、この年齢で婚約を解消されたら、次の嫁ぎ先がすぐ決まることなんてないのよ? セドリック第二王子殿下もお優しい方なのは知っているし」
「それは……確かにさっきのはすごく情熱的でしたけど。物語のワンシーンみたいで、見てるわたしのほうがドキドキしちゃいました」
ドレスの袖に腕を通す。デイドレスだからそこまで派手ではない。水色の生地に極めて細いレース糸で施された刺繍が、まるで透き通った水面が揺れているような、さりげない紋様を描いている。
「でも、わたし……お嬢様がお幸せになれないご結婚なら、嫌です」
「マリア」
さっきは見逃せた。でも、これ以上は駄目だ。そう思って、ディアナはマリアを止めた。
国王不在の今、王妃の定めた婚約はほぼ王命だ。不満を口にしてはならない。
しかし、マリアはディアナの背中のリボンを結びながらも言い募った。
「お嬢様。第一王子殿下のお気持ちを、もう一度お確かめになっては?」
びく、とディアナの肩が跳ねた。
「だって、どう考えても絶対におかしいじゃないですか。お嬢様との婚約を解消なさったこともそうですけど、第二王子殿下にお譲りになったなんて、あの方に何の得があるんです? もしかして誰かに解消するよう無理強いでもされたのでは、」
「やめなさい、マリア!」
ディアナは振り向いて、マリアを鋭く制した。
「それ以上は駄目よ、マリア。あの方は第一王子殿下なのよ」
どれだけ過酷な生い立ちだろうと、冷遇されていようと、ギルバートは第一王子だ。その彼が何者かからの圧力に屈した可能性があるなど、王族を軽んじていると受け取られてもおかしくない発言だ。
そんなつもりはなかったと言い張るのなら、今度は――。
「誰が、そんなことができると言うの。……わたくしは、あなたまで失いたくないわ」
ギルバートと同じ王族。王妃や第二王子に疑いの目を向けることと同義だ。
この国に生きる民として。王家の臣下の筆頭である公爵家に仕える者として、マリアの発言は荒唐無稽と判断されるうえに重罪になりかねない。
「あ……」
自分が言おうとしたことが何を意味するのか気づいたのか、マリアは沈痛な顔で俯いた。
「……申し訳ありません、お嬢様」
「第二王子殿下をお待たせしているわ。急ぎましょう」
ドレスの着付けは終わった。続いてマリアに髪をまとめてもらうために、ディアナはマリアに背を向ける。
(絶対におかしい? もう一度、ギルバート様のお気持ちを……?)
口では窘めることができたものの、その間、先ほどのマリアの言葉がディアナの頭の中をぐるぐると駆け巡る。
確かに、昨日に限らず、ギルバートはこれまでにディアナ自身をどう思っているか話したことはない。ディアナも、政略結婚だから、と知る必要を感じていなかった。
明日は学院の始業式だ。ギルバートは学院を欠席しがちだが、式典と試験の日は登校することが多いから、会えるかもしれない。
他の生徒の目もあるから、呼び止めて話がしたいと言うくらいなら、例えギルバートに嫌われているのだとしても即座に跳ね除けられることはないだろう。
「……もし、明日お会いできたら。そうしたらお伺いしてみるわ」
誰に、とは言わない。マリアを叱責したその直後に、そんなことは言えない。
それでも囁くように告げたディアナに、マリアははい、とどこか嬉しそうに頷いた。
「大変お待たせいたしました」
ディアナが応接室に入ると、セドリックは傾けていたカップを綺麗な所作でソーサーに戻した。その後ろにはセドリックが連れてきたのだろう護衛が三人控えている。裏庭では姿を見なかったが、王族が外出するなら本来これくらいの警備体制は当然だ。交代要員も含めると、セドリックに付き従う者は護衛、侍従、執事など数十人規模になるだろう。
ギルバートの付き人がオズワルドひとりしかいないということのほうが、その立場を考えるとおかしいのだ。
「いいや、大丈夫だよ。……隣に座ってもらっても?」
向かいのソファに腰かけようとしたディアナに、セドリックはそう言って微笑んだ。ぽんぽん、と自分の隣の座面を軽く叩く。
「え」
思わず硬直したディアナを、恥じらいと捉えたのかセドリックは照れたように頬を掻いた。
「あ……ごめん。義弟としてとか、同級生としてとかじゃなくて、僕を見てほしかったんだ。ディアナ嬢があまりにも綺麗で、つい浮かれたよ」
「……お戯れを」
ディアナがかろうじて微笑みを返せたのは、長年の王子妃教育のおかげだった。セドリックもそれ以上無理強いしなかったため、ディアナはそのままセドリックの向かいに座った。
「ここの紅茶、美味しいね。茶葉も良いんだろうけど、さっきの、ポーラといったかな。あの侍女長の腕が良いのかな」
「お褒めにあずかり光栄です。殿下からお墨付きをいただけたなんて、ポーラも喜びますわ」
そこからは取り留めのない会話が続いた。明日からの学院のこと、王都での最近の流行、国内の情勢について。
時折専門的な内容が混じる話題になっても、ディアナは難なくついていく。習慣なのだろう、供されたクッキーの一枚を毒見として護衛のひとりに渡しながら、セドリックは楽しそうに笑った。足を組んで、リラックスした様子を見せる。
「っはは、本当にディアナ嬢と話すのは楽しいね。学院で君の頭の良さは知っていたつもりだったけど……女性と話していて、こんなに気を遣わないでいいのは初めてだよ」
「ありがとうございます。王妃殿下のおかげでございますわ。わたくしの王子妃教育のための教師陣は妃殿下のご采配によるものですから」
如才なくセドリックに答えながら、ディアナはふと疑問に思った。
(ギルバート様の婚約者だったのに……王妃殿下はわたくしには分け隔てなく接してくださったわ)
王妃ジャネットの立場を考えると、実子セドリックと王位を争う位置にいるギルバートは邪魔な存在だっただろう。
それなのに、ギルバートの後ろ盾でもあるディアナがジャネットにいびられたことはない。確かに五年ほど前に一度倒れたことはあるが、ただの熱中症だったしジャネットからも正式に謝罪があった。単に形式通りのカリキュラムが課されただけかもしれないが、きちんと教育も受けられた。
そしてギルバートとの婚約解消直後に、もうセドリックとの婚約は内定した。
『もしかして誰かに解消するよう無理強いでもされたのでは、』
ついさっき、マリアが口走りかけたことが、急に現実味を帯びる。
(まさか……。いいえ、でも)
『あなたに非は一切ない。公爵と義母には、私からそう伝える』
ギルバートはそう言った。王妃の意思が関与している言い方ではなかった。今こうして公爵邸を訪れているセドリックも、ギルバートの婚約解消を疑問視しているようだった。
(いったい、何が真実なの……?)
「謙虚だなあ。一番は君自身の努力だと思うけどね。でもディアナ嬢がそう言っていたと聞いたら、母上も喜ぶだろうな」
護衛の、問題ありません、という短い言葉を受けてセドリックがクッキーに手を伸ばす。さくり、と齧りながら「これも美味しいね」と目を細めた。
「セドリック第二王子殿下」
ふと。昨晩、父ゲオルグとの会話で気がついたことを確かめたくなって、ディアナはその問いを口にした。
「今思い出したのですが、先日イザーク侯爵領で妙な病が蔓延していると耳にしました。……大丈夫でしたか?」
昨日のお茶会で、ギルバートにしたものと同じ問い。
『何人かは重篤な症状が出たが、今は快方に向かっている。もう心配は要らないだろう』
ギルバートはそう答えた。はっきりとは言わなかったが、現地で患者を直接見てきて、それを思い出しているのだろうと思われる言い方だった。
この奇病の原因を突き止めたというセドリックは、どう答えるのか。
「ああ、あれは井戸の水が原因だったからね。病気ではなかったわけだし、同じ水脈から繋がっている井戸を使わないようにしたら問題ないよ」
「そうなのですね」
ディアナは胸に手を当て、ほっと息をついて見せた。
「原因が判明して良かったですわ。病という噂でしたのに、違ったのですね」
「うん、患者の発生地区と地図を照らし合わせたら、領地内を通る地下水脈のひとつと一致したんだ」
セドリックの淀みなく答える様子からは、どちらとも判別できなかった。実際に指揮を執ったようにも聞こえるが、この内容であれば上がってきた報告を読んだだけでも把握できる。
ディアナは、もう一歩踏み込んだ。
「領民の皆様のご様子は? 原因がわかるまではさぞ不安な日々を過ごしていたのでしょう」
クッキーを味わっていたセドリックの動きが、初めて一瞬止まった。
「……そうだね。不安そうにしていたかな」
セドリックは手に残ったクッキーを口に入れ、紅茶のカップに手を伸ばす。
「領民のことまで気にかけるなんて、ディアナ嬢は優しいね。ますます惚れそうだ」
さすがにぼろは出さない。けれど、ディアナは話を逸らされたように感じた。
(やっぱり、殿下は現地を訪ねてはおられないのだわ)
やや曖昧な返答と、話題を逸らされたことに、その確信が強まる。
証拠はない。それに現地に行かずとも、王子であれば関係部署に指示を出して人員を派遣し、自分は王宮でもたらされた情報を見て判断すればいい。そう考えれば、セドリックの発言には大きく不自然な点はない。
でも、ディアナには疑念が捨てきれなかった。
『不安そうにしていたかな』
セドリックの言葉。人員を派遣しただけなら、民のことを直接は見ていないと言えばいい。彼の立場なら許される。直接見たなら、ギルバートのようにもっと具体的な話になるのではないだろうか。
(現地を訪れたのはギルバート様だけ。それなら……その原因を突き止めたのも、きっと)
「ご歓談中失礼いたします。殿下、そろそろお時間が」
護衛のひとりが、一歩前に進み出て一礼した。セドリックは驚いた顔で護衛を振り向く。
「え、もう? 楽しい時間はあっという間だね」
ディアナに向き直り、セドリックはカップを置いた。立ち上がる。
「ディアナ嬢、今日はありがとう。君と過ごす時間が取れて良かった」
「もったいないお言葉でございます」
ディアナも遅れず立ち上がり、セドリックに礼を返す。
「お見送りいたしますわ」
「気を遣わなくていいよ。でも少しでも君といられる時間が延びるなら嬉しいね」
応接室を出て、玄関に向かう。家令に玄関の扉を開けさせると、庭の向こう、門の外に立派な馬車が停まっているのが見えた。扉に描かれた竜の頭の図案は、この馬車が王族専用であることを示している。
「ここまででいいよ。見送り、ありがとう」
セドリックはディアナを振り向いた。その目線の高さに既視感を覚える。セドリックがギルバートと背の高さがあまり変わらないことに、ディアナは気づいた。
(ここにいらっしゃるのが、ギルバート様なら)
声も、目線の高さも。いっそそれらもまったく似ていなかったら、ギルバートとセドリックがまったくの赤の他人なら、ディアナの胸がここまで苦しくなることはなかったのだろうか。
セドリックが、ディアナの顔の横に垂らされた髪を一房指ですくい、軽く口づける。
「今度、ふたりで出かけようよ。それまでにドレスを贈るから、当日はそれを着て欲しいな」
王族を見送るために、玄関ホールにはエンフィールド邸の使用人たちが並んでいる。若いメイドたちが、セドリックがディアナを恋人のように扱う様に色めき立った。騒ぎ立てることこそしないものの、息を呑む音や溜め息がディアナの背後でさざ波のように広がっていく。
「……楽しみにしておりますわ」
淑女の笑みを貼り付けて、ディアナはそう返事をするのが精一杯だった。
「それじゃあ、また明日。学院で会おうね」
そう言ったセドリックを乗せた馬車が見えなくなって、ようやくディアナは息をついた。
しかし。
「良かったですね、お嬢様!」
「第二王子殿下が、お嬢様をあんなに大切にしてくださるなんて……」
「旦那様もご安心なさいます!」
ディアナを取り囲むようにして、使用人たちが口々に祝ってくれる。
日頃からその仕事を労い、優しく声をかけてくれるディアナを、邸の使用人たちは慕っている。だからこそ、『お嬢様の新しい婚約者』が紳士的であることを、心から喜んでくれている。
「……そう、ね」
それがわかるから、ディアナは自分の気持ちを押し殺し、使用人たちに笑顔を向けた。
彼らの後ろで、マリアが気遣わしげな視線をくれることだけが、救いだった。




