幕間3 学院長モリス
今回は幕間です。
(毎度ながら、やはり妙だな……)
王立貴族学院の学院長、モリス・バートンは、学年末試験の答案を見ながら思案した。
学力順に五つにわけられたクラスの、下から二番目。そこに所属する第一王子ギルバート・ウィリアの答案用紙だった。
「何故この問題が解けるのに、こちらは空欄なのだ……」
最高位クラスの生徒でさえ半数程度しか解けない難問。第一王子はこれに正解している。彼と同じクラスに正解者は他にいないのだから、他者の解答を盗み見たはずはない。あらかじめ試験問題を不正に入手していたとするなら、もっと解答欄は埋まるはずだ。
それなのに、解答用紙の大半は空欄のまま。
ひとつずつ可能性を潰し、モリスはゆっくり頭を振る。
ここまで考えずとも、何が行われたかは明白だ。
第一王子は、自ら点数を落とし、成績を下げている。
ただ、その理由はわからない。
「継承争いから身を引くためか」
単純に考えればそうだろう。式典や学院で数度見かけたが、あまり欲のありそうな王子ではなかった。
(陛下も側妃殿下もご聡明であらせられたのだから、あの方にも才能はおありだろうが)
学院長とはいえ、モリスも伯爵位を持つ、国の家臣のひとりだ。王族の考えを勝手に推し量ることさえ不敬にあたる。
気にはなるが、これ以上手を出すことはできない。
「学院長」
モリスは教師の呼びかけに、顔を上げた。
「何かね」
「本日はご親族の集まりがあるから早めに上がる、と仰ってませんでした?」
そう言われ、今日は遠縁の娘の誕生日祝いに招待されていることを思い出した。準備や移動を考えると、そろそろ出ねば間に合わない。
「そうであったな」
教師に礼を述べ、解答用紙を片づける。
(そういえば)
離宮にほぼ引きこもっているという噂の第一王子だが、たったひとり、重用する側近がいる。
その側近は、これから向かうダリエ伯爵家の養子だ。
五年ほど前、卒業資格を得て、さっさと学院を去っていったが。
(彼は何を思って第一王子殿下に仕えておるのか)
養子だからか親族の集まりにもあまり顔を出さないが、今日はいるのだろうか。
そう思いながら、モリスはダリエ伯爵家に向かった。
パーティーは盛況だった。ある程度の交流がある貴族たちも招待されているのだろう。親族以外の姿も見える。
歓談を邪魔しない、さりげない音量の音楽が耳に心地良い。季節の食材をふんだんに使った料理を横目に、モリスは家主と今日の主役の少女に歩み寄った。
「あ、大叔父様!」
少女がモリスに気づいた。モリスは顔を綻ばせる。
「エミーリア。十歳のお誕生日、おめでとう」
「ありがとうございます!」
淡いピンクのドレスを着たエミーリア・ダリエ伯爵令嬢は、モリスにとって嫁いだ姉の孫娘に当たる。エミーリアのカーテシーにはまだ拙さが見えるが、溌溂とした様子は微笑ましい。
「アルベルトも息災のようで何よりだ」
「ええ、叔父上も」
招待客の挨拶を受けていたアルベルト・ダリエ伯爵も、穏やかな笑みを叔父であるモリスに向ける。
ダリエ伯爵家は実直な性質で知られ、大きな功績こそないが、代々多くの文官を輩出してきた家系だった。
「奥方は?」
「ライラはあちらでご婦人がたのお相手を。後ほど叔父上にもご挨拶させましょう」
モリスとアルベルトが互いの近況を話していると。
「遅くなりました」
眼鏡をかけた長身の男が近づいてきて、アルベルトに一礼した。エミーリアがモリスが来た時以上の喜色を滲ませた声を上げる。
「オズワルドお兄様!」
飛びつこうとして咄嗟に我慢したように、足早にエミーリアはオズワルドに近づいた。
エミーリアが、この血の繋がらない年の離れた兄を慕っている様子なのは、見ればわかった。
「来てくださったの? 嬉しい!」
アルベルトも養子であるオズワルドを邪険にすることなく、優しく声をかけた。
「久しぶりだな、オズワルド。ここは王宮からも近いのだから、もっと頻繁に帰ってくれば良いのに」
養父の言葉を、オズワルドは如才なくかわした。
「いいえ、私が役に立てる場所はここではありませんから」
「仕事のほうはどうだ? 忙しいのか」
オズワルドは、養父の問いに頷いた。
「ええ。ですが今晩は休みを頂きましたので。本当はまだやることがあったのですが、第一王子殿下が『妹君の誕生日パーティーに出席して来い、と私に命令させる気か? 遅刻する前に早く行け』と快く送り出してくださったのですよ」
ああそうだ、とオズワルドは持っていた花束をエミーリアに差し出した。
「お誕生日おめでとうございます、エミィ。今日は一段と素敵ですね」
頬を上気させて花束を受け取り、エミーリアはオズワルドを見上げた。
「ありがとうございます、オズワルドお兄様! でも、いつもお願いしているではありませんか。もっと砕けた口調で話してくださいって。兄妹なのに、寂しいです」
「勘弁してください」
オズワルドは困ったように眉を下げた。
「私のこの話し方は付け焼刃ですから。下手に崩すと、エミィがびっくりするくらい乱暴な話し方になります。代わりに愛称で呼ぶことで許してくれたでしょう?」
「……そうなのか?」
話を聞いていたモリスは、そっとアルベルトに尋ねた。オズワルドの話し方、立ち居振る舞い、いずれをとっても貴族として遜色ない。言われなければ、この男が平民の血筋だとは誰も気づかないだろう。
「確かに、養子に迎えた当初はそうでしたね。まあ平民の男の子ならあんなものだとは思いますが……エミーリアが生まれる前ですから、あの子は知らないでしょう」
アルベルトも囁くようにしてモリスに答えた。
「第一王子殿下の侍従として、九歳の頃から王宮に住み込みですからね。うちにいるよりも高度な教育を受けたのかもしれません。いつの間にか学院も卒業資格を取得していて驚きました。ああ、そういえば、その試験官は叔父上が?」
「そうだ。もう五年近く前になるが、よく覚えている。やけに鬼気迫る顔で受験しに来て、もぎとるように資格を得ていった」
「そうだったのですか?」
アルベルトは目を丸くした。
「うちに報告に来たときは、『せっかく入学金を用立てていただいたのに申し訳ありません』、と殊勝な台詞の割に誇らしげでしたが」
オズワルドは養父には独断で認定試験を受けたらしい。養子の身で肩身の狭い部分でもあったのか。義妹と朗らかに言葉を交わす様からは想像できないが。
エミーリアに祝いを述べるため、別の招待客が近づいてくる。オズワルドがエミーリアよりも先にその存在に気づいた。
「ああ、話しすぎましたね。ではエミィ、お客様のお相手を」
そう言って、オズワルドは次の招待客に場を譲った。名残惜しそうにしながらも、自分の立場はわかっているのだろう。エミーリアも不満は漏らさず、憧れの義兄を素直に見送った。
モリスはアルベルトに断って、オズワルドを追った。この男が第一王子の不審な成績について知っているのか、知っているならどう思っているのか、聞いてみたいと思った。
「オズ、」
「ダリエ伯爵令息!」
しかし、モリスの呼びかけは、別の令嬢によって遮られた。招待客の誰かが連れてきた娘か、やたらと派手なドレスを着ている。
「お会いしとうございました!」
「……コリンツ侯爵令嬢、でしたか?」
オズワルドは令嬢のほうを振り向き、記憶を探るように一拍空けてから問いかけた。名を聞いてモリスも思い出す。今年卒業し、成人したばかりの娘だ。
「まあ、わたくしを覚えていてくださったのですか?」
「最低限、一度でも面識のある貴族の顔と名前はすべて覚えているだけに過ぎません。……それで、私に何か?」
コリンツ侯爵令嬢は先ほどのエミーリアのように……いや、エミーリアのような純真さはなく、代わりに妙な熱っぽさを孕んだ目で、オズワルドを見つめた。
「わたくし、あなたをお助けしたいのです。第一王子殿下に良いようにこき使われていると伺いましたわ。わたくしの家は侯爵位ですし、父も王宮で役職を頂いております。あなたを解放して差し上げるくらいならわけもなく、」
「そういうことでしたら、不要です」
皆まで聞かず、オズワルドはすっぱりと切り捨てた。くるりと踵を返す。
それでもコリンツ侯爵令嬢は諦めない。
セドリック第二王子の妃の座を狙い、まだ婚約者を決めない令嬢たちがいるとはモリスも知っていたが、コリンツ侯爵令嬢はもう成人だ。さすがに焦ったのだろう。
オズワルドは見目も良く、物腰も柔らかい。あまり大っぴらに吹聴してはいないようだが、卒業資格認定を受けるほど優秀であることを知っている者もいるだろう。伯爵子息として表向きの身分も申し分ない。平民の出であることさえ目を瞑れば――。
(いや、むしろそれを理由に恩を売り、主導権を得るつもりか)
どちらにしろ、独身貴族の中でオズワルドがそれなりに優良物件であるのは間違いない。
オズワルドがどう対処するのか興味もあって、モリスはそのまま状況を見守った。
「わたくしは憂いているのです!」
コリンツ侯爵令嬢は芝居がかったように台詞を続けた。
「あなたのような有能な人を、あの無能王子が使い潰しているだなんて!」
コリンツ侯爵令嬢がそう口にした瞬間、周囲の気温が急激に下がった。モリスにはそう感じた。
立ち去ろうとしていたオズワルドがぴたりと足を止めて、コリンツ侯爵令嬢のほうを再度振り向いた。こつ、と足音を立てて令嬢に一歩近づき、口を開く。
「今、何と仰いました?」
「っ、え……?」
低く、冷たく。しかし一枚皮をめくれば烈火のごとき怒りが渦巻いていると、容易に察せられる声だった。
「ああ、やはり言い直していただかなくて結構です。……聞く価値もない」
「なっ……!」
眼鏡の奥。オズワルドの鋭い目つきに、コリンツ侯爵令嬢はたじろいだように一歩下がった。
慄いた様子の相手に、オズワルドはくすりと皮肉げに笑った。しかし、その怒りはひとかけらも収まっていない。むしろ抑えきれないかのように、じわじわと高ぶっていく。
「我が主は慈悲深い。きっとあなたの妄言も気に留めることはなさらない。私が代わりに腹を立てることすらお許しくださらない。……ですが、だからこそ私は、私に対する侮辱は決して許しません」
その丁寧な口調は崩れなかった。決して語気を荒げることはなく、ひとつずつ確実に逃げ道を塞いでいくような、底知れない怖ろしさがあった。
見ているだけのモリスでさえそうなのだから、オズワルドに相対しているコリンツ侯爵令嬢の恐怖はどれほどか。
「わ、わたくし、……わたくし、あなたを侮辱なんて、」
「あの方にお仕えする私を一方的に憐れみ、解放してやるなどという世迷い言。これは私にとって侮辱以外の何物でもございません」
震えながらもまだ言い募ろうとしたコリンツ侯爵令嬢に、オズワルドは刃物を突き立てるかのような鋭さで言い放った。
いつの間にか音楽は止んでいた。モリスだけでなく、他の招待客たちもオズワルドの迫力に呑まれ、固唾を呑んで彼を凝視している。
「オズワルド! 控えなさい!」
騒ぎに気づいたアルベルトが血相を変えて飛んできた。
確かに、相手は侯爵令嬢だ。伯爵子息でしかないオズワルドより、身分は高い。
「何故です、養父上?」
それなのに、養父の取り成しすらも、オズワルドは鼻で笑った。
「日々、誰も彼も貴族の誇りが、矜持が、などと宣うのです。己の誇りを踏み躙られてなお平然とすることが、もしくは身分差に媚びへつらうことが、貴族の矜持だとでも仰るのですか? 私はただ、貴族としての教えに従ったまで。非難される謂れはありません」
その言い分は正しかった。正しすぎて、理想論だと切り捨てられそうなほど。
けれど、オズワルドの堂々とした態度は、見ている者を圧倒させた。
一部始終を見ていたモリスも、それは同様だった。
オズワルドの言葉の意図など、誰がどう聞いても明らかだ。
第一王子に仕えていることこそが誇りだと。たとえ第一王子本人が許そうと、主への侮辱を見逃す気も許す気も一切無いと。
(彼のような者を、ここまで心酔させるとは……)
只者のはずがない。
第一王子とは、本当はいったいどんな人物なのか。
「オズワルド、今日はエミーリアのお祝いなんだ。皆様の不安を煽るようなことをするんじゃない」
しかし、アルベルトのその言葉には、さすがにオズワルドも怒気を押し込めざるをえなかった。さっと周囲を見回して、注目を浴びていたことをようやく自覚したのだろう。ほんの一瞬、舌打ちでもしそうな苦々しい顔をした。
そして、どう見ても形式上のものだとわかる、けれど誰も文句のつけようのない完璧な動きで頭を下げた。
「……かしこまりました。騒ぎを起こし申し訳ありません、養父上。エミィも」
少し離れた位置でふるふると首を横に振る義妹に向けて、オズワルドは上げた顔に取り繕うように優しい笑みを貼り付けた。
「頭を冷やして参ります。失礼いたします」
オズワルドはそう言って踵を返し――結局、そのまま会場に戻って来ることはなかった。
◆◆◆
それから約一ヶ月後。
第一王子ギルバートが、卒業資格認定試験を受けに来た。
その解答用紙が、今モリスの目の前にある。
「学院長、わたくし、あの方に何ということを……」
青褪めたままのミランダに、モリスは首を横に振った。
「第一王子殿下があの場で即座に不問にして下さったのだ。蒸し返さなければそれで良い。むろん、感謝は忘れずにな」
あの側近があの場にいたらどうなっていたかはわからないが。それはミランダに言わずに飲み込む。
(それでも、第一王子殿下がお止めになっただろうか)
何となく、そんな気がした。そしてオズワルドが引き下がる様も、何故か想像できた。
今回、モリスは初めてまともにギルバートと言葉を交わした。思っていた以上に思慮深く、理性的で――。
『すまない。理由を言うつもりはない』
静かにモリスの問いを拒否した、痛みを湛えた青い瞳を思い出す。
どこか、壊れそうな危うさを持った青年だった。
ギルバートの解答を、改めてじっくり読む。
知識量、判断力、計算力、洞察力、視野の広さに、それらをまとめる思考の速さ。何もかもが、桁違いと言ってよかった。
国王としては当然求められる力だが、第一王子はまだ十七歳。
これほどの力を培い、使いこなすまでにいったいどれほどの時間をかけ、努力を重ねたのか。
あのオズワルドが絶対の主君として仰ぐのも理解できる気がした。
一方で、これほどの能力を持ちながら、彼が“無能王子”に甘んじている事実には納得できなかった。
そして、今になって卒業認定資格を得ようとしたことも。
(いったい、何が起きているというのか……)
モリスは窓の向こうに聳える王宮を見やり、大きく息をついた。
次回はディアナ視点になります。




