馬車乗り場にて
王都の端にある乗合馬車の乗り場は、人でごった返していた。馬車も何台も止まり、馬たちの嘶きが喧騒に混ざる。
「バート様、外套のフードを。お顔が記憶にある者がいるやもしれません」
オズに言われ、私はフードを被った。視界が少し狭くなる。
「そこまで警戒が必要か?」
セドリックのように目立つ容姿ではない私を覚えている者がそういるとは思えないが。
「先ほどのカミラも『どこかで』などと申したでしょう。もとのお立場を隠したいなら、お顔はあまりお見せにならないほうが無難です」
ここは王都であるがゆえに、国内各地から人や物が集まってくる。
「服装による印象の違いは大きいので、一瞬すれ違う程度なら大丈夫でしょう。ですが、馬車に乗ると狭い空間で長時間他人と顔を合わせる状態が続きますから」
「そうか」
平民の長距離の移動手段として乗合馬車があることは知っていたが、実際に利用したことはない。オズの指示に沿うのが安全だろう。
オズは馬車ではなく、そばの建物に向かった。私もついていく。
「いらっしゃい。行き先は?」
無骨な男がそう言って、入ってきた私たちをじろりと無遠慮に眺め回した。
「ベネットまでなんだけど。ふたり入れる?」
「ああ、まだ空いてるよ。あと一時間もしないうちに出発だ。運が良かったな」
「お、そりゃありがたい。料金は?」
オズは平民向けの口調で話しながら、男が提示した代金を支払った。おそらく切符だろう、代わりに小さな紙切れを受け取る。
「ベネット方面の目印は赤い札だ。間違うなよ」
「赤ね、了解」
馬車の受付だったらしい建物を出る。さっきは気づかなかったが、外に並ぶ馬車の目立つ部分にそれぞれ異なる色の布が貼られていた。
「色で行き先を分けているのか」
「ええ。平民のすべてが文字を読めるとは限りませんので」
「……そうか」
王都内であれば、どんな子供でも読み書きが習得できるよう、少しずつ整備してきた。その甲斐あって、親のいる子供は基本的に学校に通うし、孤児院にすら寄付という形で簡単な教材が配布される。定期的に視察に行く孤児院でも、読み書きができるようになった孤児が商家の養子になった例もあった。
(いや……この時期なら、あの子はまだ養子先が決まっていない頃か)
ディアナと共に孤児院に行ったのだ。公務が理由でもディアナに会えることが嬉しくて、口を滑らせて子供の前でディアナを愛称で呼んでしまった。オズ以上に揶揄ってくる子供たちの中に、その子もいたから間違いない。
教育によって孤児の養子先や奉公先が決まれば、子供たちの未来も開けるし国にとっても悪いことはない。しかし、王妃や一部の貴族は、平民である上に親のいない孤児たちをよく思ってはいなかった。王妃からは孤児支援の予算を削れとさんざん言われ、質を落とさず予算を削るのには苦労した。
(私がいなくとも国は回ると思っていたが……)
子供たちひとりひとりの顔を思い出す。支援を極端に削られるようなことにはならないだろうか。
もう王族として出向くわけにはいかないが、ベネット子爵領から戻ったら孤児院の様子を見に行ったほうがいいかもしれない。
「特に農村部においては、大人の識字率向上は難しいということはあなた様もご承知でしたでしょう。だからこそ、あなた様はまず王都の子供たちの教育環境を整えて来られたのでは?」
オズが私を慰めようというのか、そう囁いた。
「それは、そうなのだが」
「それに彼らは文字を読めずともこのように工夫して暮らしておりますので、あまり気に病む必要はございませんよ。日常の買い物程度であれば数字が読めれば事足りますし、必要な者は自ら学びます」
潜めた声でオズとそんな会話を交わしながら周りを見回し、赤い札のついた馬車を探す。この場にある馬車は二十台近い。馬車に繋がれている馬はいずれも王宮で育てられているものより背が低いが、その分がっしりした体格をしているように見えた。どちらかというと農村部で見かける農業用の馬に近い。
(用途が異なると、馬にもここまで差が出るのか)
一番手前の馬車に繋がれた鹿毛の馬が、干し草を食べながらぶるりと首を振った。その横を通り過ぎる。
何台か先に、赤い札のついた幌馬車を見つけた。
「オズ、あれだ。芦毛の馬がいる」
指を指して示すと、オズもその方向に目を向けた。
「私にも見えました。参りましょう」
ベネット子爵領行きの馬車に近づくと、担当の御者と思われる若い男がいた。他の乗客と思われる者たちが既に何人か馬車に乗っているのがわかるが、幌の陰になってあまりよく見えない。
その時。
ごとごとごとん、と背後でけたたましい音が響き渡った。反射的に振り向くと同時に、干し草を食んでいた鹿毛の馬が高く嘶き、幌馬車の荷台を引っ張ったまま駆け出すのが見えた。その近くには木箱が散らばっている。
「何やってんだお前っ!」
「すんません、手が滑って……っ!」
御者たちが叫ぶ声。周囲の人々の悲鳴。遠ざかっていく、御者のいない馬車。
一刻の猶予もないと、直感した。
「オズ、持っていろ! ここは任せる!」
「なっ、殿……バート様!」
私は手に持っていたトランクをオズに押しつけた。私に一番近い、芦毛の馬に駆け寄る。その背に飛び乗りつつ、剣を一閃して馬と荷台を繋ぐ太い革紐を断ち切った。
「お客さん!? 何を、」
「後で返す!」
この馬車の担当らしき御者に叫ぶように返して、私は長い手綱を手繰るようにして持ち、馬の腹を蹴った。
馬車を引くための馬だ。御者は荷台の前方に乗って馬を操るため、この馬には鞍も鐙もない。人を背に乗せることすら慣れていないだろう。言うことを聞いてくれるかは賭けだったが、芦毛の馬は私の指示通りに走り出してくれた。
(王妃に感謝する日が来るとはな)
王宮には私専用の馬など当然いない。遠方に出向かねばならないときは、兵士用の予備として飼われている空いた馬を使うしかなかった。そのために馬の性格や個性にかかわらず乗りこなす必要があったが、その経験が役立つとは。
馬の速度を上げ、馬車を追う。相手は暴走しているとはいえ、さすがに荷台を引いている以上、私ひとりしか乗せていないこちらの馬のほうが速い。だんだん近づいていく。
時を遡る前、王都で起きた乗合馬車の事故の報告書を読んだことを思い出した。報告書のみで現場は見なかったからあまり印象には残っていない。私にとっては一年半近く前の記憶になるため、いつ起きたものかも詳細には覚えていなかったが、おそらくこれはその事故だ。
木箱の崩落により驚いた馬の暴走。角を曲がりきれず、その馬が引く荷台が転倒したと報告書にはあったはずだ。転倒に巻き込まれ、荷台の乗客と通行人に被害が出た。
死者一名、重傷者三名。
紙に簡潔に書かれていた数字。盗賊の出没や感染症の流行に比べれば、国政においては微々たる数字だ。しかしその数字は、こうして現実で見ると極めて重い。
「死なせない……!」
曲がりきれなかったという角はおそらくこの先だ。そこに辿り着いてしまうまでに、絶対に止める。
道を行く人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。逃げ遅れがいないことを祈りながら、その傍を駆け抜ける。風を受けて被っていたフードが外れたが、気にする余裕はない。
暴走する馬車に、手を伸ばせば届きそうなほどにまで追いつく。幌に開けられた馬車後方の出入り口から、飛び降りることもできず必死にしがみつく乗客たちの姿が見えた。
数年前の街道整備のおかげで、事故が起きるはずの角まではもう少し直線の道が続く。
ここしかない。
「馬車を止める! 乗っている者は全員衝撃に備えろ!」
何度も伝える暇はない。しかもがらがらと回る車輪の大きな音が邪魔をする。それでも、少しでも聞こえる可能性を上げるために声を張り上げた。
さっきと違って、馬と馬車を繋ぐ革紐は切れない。暴走する馬を街中で完全に解き放つわけにはいかないからだ。まずは速度を少しでも落とさなければ。
芦毛の馬を操り、馬車の左に並ぶ。剣を抜こうとして思わず舌打ちした。
(鉄製か……!)
車体のほとんどが木製であるのに、地面に接する車輪の外周だけは頑丈さを優先してか鉄らしき金属が使われている。剣で壊すには時間がかかる。
ならば、一か八か。
私は手綱から手を離し、足だけで馬にしがみつきながら羽織っていた外套を手早く脱いだ。手綱を握り直して馬を馬車の車体ぎりぎりに寄せ、外套をその車輪と荷台の隙間に差し込む。
外套の分厚い布地が、車軸に上手く巻き込まれた。外套を持つ手に急激に抵抗がかかり、それを認識する前に反射で手放す。併走させていた私の馬を前に出して車輪から少し距離を取る。数秒もしないうち、回らない車輪と進み続ける車体、両方からかかる力に耐えられなくなって、ばきっと音を立てて車軸と車輪の接合部が砕けた。
荷台が斜めに傾く。車輪が失われた左後方の車台が地面につき、がりがりがりと石畳を削りながら、馬車の速度を落としていく。
(ここだ!)
私は手綱を絞って芦毛の馬に減速の指示を出してから、馬車の御者台に飛び移った。鹿毛の馬に繋がる手綱を掴み、引き絞る。
「止まれ!」
馬はなおも走り続けようとし、激しく身を捩る。抵抗力が強く、素手で手綱を握る私の皮膚が擦れて熱い痛みを感じた。
「くっ……!」
摩擦で火傷のひとつでも出来たかもしれない。それでも負けじと手綱を一層強く引く。
「止まれと言っているだろう!」
私が怒鳴りつけると、馬は後ろ脚で立ち上がった。不満を訴えるように大きく嘶いて……ようやく観念したように前脚を下ろして大人しくなった。
馬車が止まり、辺りが急に静かになったように感じる。私は大きく息を吐いた。御者台を降り、鹿毛の馬の手綱を手近な街灯に結びつけ、歩いてくる芦毛の馬の口をとる。そして幌のかかった荷台に足を向けた。
「全員無事か?」
速度を落とすためとはいえ、かなり荒っぽいことをした。幌の中は相当揺れただろう。
私の問いに、馬車の中から応じる声がぽつぽつと上がった。
「ああ……多少ぶつけたが、かすり傷だよ」
「俺もだ。誰だか知らんが、助かった」
「ありがとうございました」
まだ揺れの感覚が残っているのだろう。乗客たちがふらつきながら、しかししっかりした足取りで馬車を降りてくる。
乗客全員に大きな怪我がないとわかり――周囲がどっと、歓声に沸いた。
「いやあ、すごかったな!」
「にいちゃん、若いのにやるなあ!」
民たちに取り囲まれ、背中や肩のあたりをばしばし叩かれながら褒めそやされる。
「他に被害はないか?」
私がそう聞くも、「この馬車がぶっ壊れた程度だって」と教えてはもらえるが、興奮していてあまり会話にならない。
(参ったな)
そろそろオズと合流したい。そのうえ外套を使ってしまったので、顔を隠せないのだ。兵など、王宮に近い者が来る前にここを去らないとまずい。
「すまない、先を急いでいるんだ」
そう言うと惜しむ声がかけられたが、近隣の住民たちで荷台の破片を拾うなどの事後処理が始まろうとしている。そちらを手伝うよう頼むことで、人々の囲みをどうにか抜けた。
砕けた車輪の近くに、襤褸布のようになった外套が落ちていた。拾い上げると、背中部分が大きく裂け、車軸に塗る潤滑油か黒い汚れがべとりとついている。
ただ、幸いにも袖とフードは無事だ。汚れも外側。私は裂け目と汚れを気にせずそれを羽織る。今さらだろうがフードも被っておいた。
返す、と言った手前、芦毛の馬だけは先に連れて戻るほうが良いだろう。この馬にはかなり無理をさせてしまったから、早く水でも飲ませてやりたい。
「良くやってくれた」
首を軽く叩いて労うと、馬はぶるっと荒く鼻息を吐いた。まるで返事のようなそれが面白い。馬を引いて歩き出す。
(しかし……改めて、ここは私の過去なんだな)
報告書のみの知識とはいえ、既に知っていた出来事が起きたことで改めてそう思った。ならば昨日目覚めてから何もせずにいれば、私の記憶通りの未来に辿り着くことになっていたのだろう。
「良かった……」
今の馬車の被害を抑えられたことだけでなく。やはり昨日、ディアナとの婚約を解消したのは正しかった。その確信が強まって、私は安堵の息をついた。
「バート様、ご無事ですか!」
馬車乗り場まで戻ると、オズがぼろぼろになった私の外套を見て目を見開いた。
「ああ、馬車は止まった。軽傷者はいるだろうが、最悪の事態は回避したと思う」
オズはまだ何か言い足りない顔をしているが、あえてそれを無視して尋ねる。
「こちらの状況は?」
「……新入りの御者が木箱を積み過ぎたせいで崩れたようです。悪意があったなど、そういった意図的なものでは無さそうかと。暴れた馬もあの一頭のみで、こちらに被害はございません」
「そうか、ありがとう」
具体的に指示を出す暇はなかったが、オズがこの場を落ち着かせ、慌てる人々を宥めただろうことは想像に難くない。
興奮した住民が何人か馬車乗り場に駆け込んできて、事の顛末はこの場の人々にも伝えられた。馬車を止めた現場と似た喝采がこちらでも沸き起こる。
「……大袈裟だな」
私が思わず顔をしかめると、オズが深々と溜息を吐いた。
「普通は暴走を始めた馬車を単身で止めようとはしませんし、止められません」
「王宮の近衛騎士や辺境伯軍の将軍ならあれくらい出来るだろう。むしろ出来なければ困る」
今は他国との戦争こそ起きていないが、国内の領地間の小競り合い、国境近辺の緊張状態ならそれなりにある。要人を害するには移動中を襲撃することなど常套手段だ。それを防ぐためには暴れる馬を宥めるくらい出来なければ話にならない。何も私が特別なわけではないだろうに。
「言い訳はお止めください。近衛や軍人ならむしろ分担して事に当たることくらいご存じでしょう。それに、ここは王都とはいえ平民の暮らす地区です。そのようなことが出来ると思う人間自体おりません」
「言い訳のつもりはないが……」
「あなた様があのような場面を目にしてじっとしていられない性質だとは存じておりますが、それでも、それならせめて私をお使いください」
お前を危険に晒してどうするんだ、そう言いかけたところで、私たちに声がかけられる。
「お客さん、今回は本当に助かったぜ。何か礼をさせてくれないか」
のっそりと現れたのは、先ほど建物の中で馬車の切符を売っていた男だった。おそらくこの乗り場の責任者なのだろう。考えてみれば乗客の人数管理や金勘定が必要なのだ。平民の識字率や学習環境を思えば上位の人間が自ら受付をしていてもおかしくない。
「いや、礼などいらない」
私は男にそう断って、芦毛の馬の手綱を男に手渡した。
「勝手に馬を借りたし、止めるためとはいえ馬車を壊したのは私だ。むしろこちらが弁償せねばなるまい」
「いや、そんなわけにはいかねえよ……」
困り果てたように、男は頭を搔いた。
「では、あの馬車以外は定刻通りに出立させてほしい。……この馬は休ませてやったほうが良いだろうが」
「じゃああんたが言う弁償もチャラだ。何も払わなくて良い。運賃もタダだ」
男は「待ってろ、金を返す」と言って足早に建物に向かった。その際に、私が返した馬を他の者に任せていく。
男はすぐに戻ってきて、私に小さな袋を差し出した。
「……多くないか?」
じゃらりとした音と袋のふくらみから察せられる金額は、明らかにオズが支払ったものより多い。
しかし、男は譲らなかった。首を横に振って、私に袋を押しつける。
「この仕事をしていて恐ろしいのは、客からの信用を失うことだ。事故が起きれば、それも死人が出た日にゃ、何年もかけて築いた信用なんてあっという間にゼロになる。……あんたが救ってくれたのは、馬車に乗っていた客だけじゃない」
男はちらりと背後を見た。木箱を崩したという新人御者が、他の御者たちに厳しく叱られて半べそになっている。
「あいつも今はまだ混乱してるが、落ち着けばあんたに救われたと言うだろうぜ」
男は、無骨な顔を歪ませた。それが笑顔なのだと一拍遅れて理解した。
そこまで言われると固辞できず、私は男から袋を受け取った。
ずしりと、金額以上の重みを感じた。
男が、ふいに声を低めた。
「金なんて、お貴族様にゃいらねえかもしれねえが……けど、あんたみたいな奴もいると知れて良かったよ」
「な、」
貴族、とあっさり言われて動揺が出た。受け取った袋の中身が、ちゃり、と鳴る。
がはは、と男はついに豪快に笑い声をあげた。それでも潜めた声は変えないままで続ける。
「あんだけ颯爽と馬を乗りこなして、そんなお綺麗な所作と言葉遣いで、隠してたつもりだってんなら傑作だ。……黙っとくよ。馬が暴れた件でもうすぐお役人が来る。あんたが誰かも知らんが、早く出発したいなら今のうちだ」
そう言って、男は身を翻した。しかしすぐに足を止める。
「おっとそうだ」
男は振り向いた。
「あんたらなら誰も狙わんかもしれんが、稀に置き引きの被害が出る。客の中に紛れてて、夜の間に他の客の荷物ごと消えちまうんだ。荷物の管理はしっかりな」
そんな話は聞いたことがない。オズと顔を見合わせる。オズも知らなかったのか、小さく首を横に振った。
「そう頻繁でもないし、盗られた客には悪いが荷物の管理は客の自己責任の範囲だ。しかも領地の境界付近で起こるからな」
「訴え出る場所がない、と?」
オズがそう聞くと、男は気まずげに目をそらした。
「まあな。どこのお役人も門前払いだったからよ。……大抵、あんたらみたいな流れ者の恰好をしている奴が置き引きをしていくんだ」
切符を買う際に建物に入ったとき、この男に睨まれたように思ったのはそれが理由か。
「だからそれには、疑っちまった詫びも入ってる」
私に渡した金の入った袋を指さして言うと、男は今度こそ立ち去った。御者たちに次々と指示を出していく。
「なかなか食えない人物でしたね」
オズが私にそう言って、預けていたままのトランクを私に差し出してくれる。受け取ろうとして手を伸ばしたら、オズはトランクをすっと引いた。
「おいオズ」
その行動を咎めながらオズを見上げると、オズの鋭い視線は私が差し出した手に注がれていた。
「……やはり。手当てが先ですね。こちらはこのまま私がお持ちします。両手ともですか?」
明らかに怒っている声音に、私はぎくりと手を引いた。馬車を止める際にできた掌の火傷が見えたらしい。確かにじくじくとした痛みがあるが、命に支障はないので放っていた。
「……これくらい何ともない」
「そのように仰るということは両手ですね。本当ならすぐ冷やすべきなのですが……取り急ぎ、馬車に乗ったら化膿止めを塗ります」
オズは有無を言わせずそう言って、トランクをふたつとも持ったままベネット子爵領行きの馬車に足を向けた。
(これまでなら、あれくらいでそう簡単に火傷などしなかったが)
自分の掌を見下ろす。手綱がこすれた部分の皮膚が剥け、赤くなっていた。水ぶくれが出来そうな箇所もある。
昨日の痣もそうだが、確実に今までより傷が出来やすくなっている。竜の血の力はやはり私の中から失われているらしい。
オズにも打ち明けるつもりはなかったが、ばれるのも時間の問題か。
(それでも)
馬車を止めたことに、後悔はない。
馬車乗り場が次第に活気を取り戻していく。その賑やかさを背に、私とオズは馬車に乗り込んだ。




