王都出立 後編
幸いなことに、オリバーの家はここから遠くないらしい。かつてのオリバーは自宅から通って王宮に勤めていたのだから、当然と言えばそうなのだが。
少し引き返すようにして広場を離れる。オズの案内に従って、大通りから細い通りに入って進んでいく。
オリバーの家には十分ほどで着いた。周囲のものよりはやや広めに見える家屋。表に扉が二カ所あるのは、片方は患者用であるという。オリバーは昔から王宮に出仕しない日は自宅を訪れる人々の相談を受け、現在でも診療所を開いているらしい。
「患者を受け入れたり調薬をしたりしますので、周りの家より多少大きく見えますが生活空間は狭いのですよ。裏庭も薬草だらけですし」
懐かしそうに言って、しかしオズは表情を曇らせた。
「どうした?」
「……留守かもしれませんね」
生まれ育った家だからか、外から一瞥するだけでわかるらしい。言われてみれば、人の気配はなくひっそりとしている。
「少々お待ちください」
オズはそう言って家に近づき、診療所側の扉のノブを回す。開かなかったらしく、裏手に回っていく。一分もかからず、首を横に振りながら戻ってきた。
「申し訳ありません。やはり留守にして、」
「あんたたち、オリバー先生に用かい?」
オズを遮るように声がかけられる。見れば、隣の家の者か、年嵩の女性が私たちを見ていた。怪しんでいるのか、その手には箒が逆さまに握られている。
「勝手に裏口のほうまでこそこそと、何してんだい」
私が何か言う間もなく、オズが自然な動きで前に出た。眼鏡を外してみせる。
そして、あれほど言葉遣いを変えることを拒否していたくせに、ざっくばらんな口調でその女性に話しかけた。
「久しぶり、カミラおばちゃん。俺だよ。オズワルド」
「はあ?」
カミラ、と呼ばれた女性は、まじまじとオズの顔を眺めた。しばらくして驚きの声を上げる。
「オズ坊やかい!? しばらく見ない間にまあ立派になって! 誰だか分かんなかったよ!」
「おばちゃんも元気そうじゃん。あれから膝は痛めてねえの?」
「いつの話をしてんだい。あたしゃ元気よ。オリバー先生がちゃんと診てくださるからね」
すっかり警戒を無くした様子のカミラは、構えていた箒を下ろし、顔を輝かせてオズに近づいてきた。頬、肩、腕と撫でるようにオズに触れる。その手つきは決して不躾なものではなく、親愛からくる行動に見えた。
「ちょっと、俺もう餓鬼じゃねえんだけど。くすぐったいって」
オズが破顔する。私にはあまり見せない顔だった。
「それにしてもあんた、どっかのお偉いさんの養子になってもらわれてったって聞いたけど?」
「まあな。で、じいちゃんは? 薬草の採取道具が丸ごとなかったんだけど、どこ行ったか聞いてない?」
私はオズが交わす会話を、不思議な思いで眺めていた。
(随分可愛がられていたんだな)
口調を崩すオズは自然体で、カミラもオズとの再会が嬉しそうだった。軽快なやり取りに、普段オズが私に軽口を叩くのは、ここでの経験があるからなのだろうと思えた。
「オリバー先生なら今朝出てったよ。パキラ山に行くってさ」
「今朝?」
カミラがもたらした情報に、オズが顔をしかめた。
「しかもパキラ山かよ……年を考えろよな」
「先生も元気よねえ。おかげであたしらは助かってるけどさ」
しみじみと言って、カミラは私の存在を思い出したようにこちらに視線を向けた。
「で、そちらの御仁は? ちょいと若いけど、オズ坊やに負けない良い男じゃないか。顔の怪我がもったいない……ん? どこかで見かけたかねえ?」
「おばちゃん」
オズがカミラを遮った。ちらりと私を振り返る。その目つきに、このまま黙って立っていればいいらしいと分かった。
「この方は俺の恩人……の息子さんで、バート様。だからあんまり失礼なことすんなよ?」
「待、」
(待て、何だそれは)
突如知らない設定が付け加えられて、私は思わず口を突きそうになった言葉を飲み込んだ。
(お前、演技でなら私にも口調を崩せると言っただろう)
さすがにカミラの前でそう言うわけにはいかない。この場では言えず沈黙を貫く。とはいえ、どうあれオズは私への敬意だけは隠すつもりがないらしい。
「そうなのかい? 何やら積もる話がありそうだねえ。茶くらいしか出せないけど、上がってくかい?」
初対面の者も含めて事前準備もなく家に招く。それも社交辞令ではなさそうだった。貴族にはまずない文化に戸惑う。平民同士は距離が近いと知ってはいたが、ここまでとは。
どうするのか、と思っていたら、オズはあっさりとそれを断った。
「いや、やめとくよ。今日もたまたま近くに来たから寄っただけだし。また機会があったらな」
「おや残念」
カミラもあっさり引き下がった。トランクを持つ私たちが旅の途中だとわかったのかもしれない。
「じゃ、カミラおばちゃん。長生きすんだぞ」
オズがそう言いながら身を翻し、私の袖をこっそり引いた。それに応じて私もカミラに背を向ける。
「減らず口は相変わらずだねえ。あんたも達者でやんな。バート様だっけ? あんたもね」
名指しでかけられた言葉に、何も返さないのもさすがに不自然だろう。そう思って、私も去り際に咄嗟に振り向いて礼だけ述べた。
「っ、ああ。ありがとう」
「大変失礼いたしました」
適当な路地に入り、人気のなくなったところでオズが私に頭を下げた。眼鏡もいつの間にか元の位置に戻している。
「いや、構わない。お前があれが最善だと判断したんだろう?」
「ええまあ。平民は……少なくともうちの近隣の者たちは、見知らぬ者が生活圏に立ち入ることへの拒否感は強いのですが、身内と思う者にはほとんど警戒しませんので」
そうなのだろう。あれほど胡乱な目でこちらを見ていたカミラが、オズの名乗りによってその正体を確信した途端に警戒を解いた。連れの私へ向ける目にさえ親しげな色が宿った。
だから、オズがカミラに対し柔軟に対応したことに不満はない。
「だが、恩人の息子って何なんだ」
そんなこっ恥ずかしい設定を決めた覚えはない。しかしオズはわざとらしく肩をすくめた。
「いけませんでしたでしょうか? 私があなた様を尊重する、対外的には極めて自然な理由だと思ったのですが」
「お前な……」
そう堂々と言われると、かえってやめさせにくい。実際、私が気恥ずかしいこと以外に反対する材料もない。カミラが私の正体に勘づく前に話を逸らしてくれたこともわかっている。
「……次からは先に言え」
「かしこまりました」
立ち止まったままだと誰かが通りがかった時に不審がられるので、とりあえず歩き始める。
大通りの方角へ戻りながら、私は話を続けた。
「それで、パキラ山と言っていたか?」
パキラ山は王都近郊では最も標高が高く、険しい山だ。
「ええ。高山植物の一種なのですが、この時期の、それも雨上がりにしか採れない薬草があるのです」
しかもいくつかの群生地があり、採り尽くさないよう収穫場所を年によって変えているという。オリバーに同行しなくなって久しいオズでは、今年の収穫場所はわからないと。
「我々がパキラ山に向かったとしても、入れ違う可能性が極めて高いですね」
「どれくらいで戻る?」
私の問いに、オズはしばし考え込んだ。
「天候にもよりますので、はっきりとは。ただ、長いと一週間近くかかります。採ってきた薬草を加工せねばなりませんので、戻ってくればしばらくは遠出しないと思いますが」
「そうか」
カミラとの会話で、オズは『年を考えろ』とぼやいた。あれは演技ではなく、きっと本心から出た言葉なのだろう。
「……本当に良いのか、パキラ山に向かわなくて」
「オリバーはあの山に慣れておりますし、山の恐ろしさも熟知しております。余程のことがない限り無理をしません。こちらからの心配はするだけ無駄です」
言い切る姿に、オリバーへの信頼が見える。
それだけに、私の前でオリバーを『じいちゃん』と呼ばず『オリバー』と呼び捨てるのは、貴族としては正しくても、ひどく寂しいものに感じた。
(ディー……)
ディアナを想う。家族に対するものはまた違うのかもしれない。それでも、呼びたい名で呼べないことのつらさを、私は知った。
オズは、どうなのか。
(本当に……何故お前は、私などについてきてくれるんだ)
恩人の息子、などと変な設定をつけてまで。そういえばカミラにそう説明するとき、オズはわずかに言い淀んだ。
(むしろ、仇の息子、とでも言うほうが近いだろうに)
父はオズを私の侍従にするためだけに、オズとオリバーを引き離したのだから。
共に暮らせなくなっても、家族として接することが許されなくなっても、オズは祖父であるオリバーをこれほど慕っているというのに。
「それに、あの山は慣れぬ者には危険です。私も幼い頃オリバーに連れられて行ったきりですので、正直慣れているとは申せません。薬草の群生地はいずれも奥まったところですから」
そこまで説明して、オズは私を振り向いた。私に仕えるようになって、いつの間にか完璧になっていた貴族としての表情で。
「ですので、お急ぎであれば申し訳ありませんが、お待ち頂くのが最も確実かと」
「そうか。お前がそう言うなら、それが最善だろう」
何食わぬ顔を作って、私はオズに返す。
オズは私に嘘はつかない。長い付き合いで知っている。その忠義も信頼している。
仕え始めてからオズが変わっていったのは――平民としての自分を見せなくなったのは、私のためなのだろうということも、わかっている。
それだからこそ。
『私の主は一生涯、ギルバート・ウィリア様ただおひとりでございます』
昨日のオズの誓いが、さらに私の中で重みを増す。
(私に、そこまでの価値はないだろう……!)
叫びたい。問い詰めたい。
その誓いに、返せるものがない。それどころか、私はオズから奪ってばかりだ。
母上も、ディアナも、オズも。
私は、大切な者たちから大事なものを奪ってばかりいる。
『この子さえいなければ』
母上の日記の一節が蘇る。昨日見つけるまでずっと忘れていたのに。いつからか、聞こえなくなっていたのに。
大通りに近づき、周囲に喧騒が戻ってくる。先ほどの広場が見えたところで、しばらく黙っていたオズが私を呼んだ。
「バート様」
オズが、真剣な顔で私を見下ろす。
「何をお考えかは何となくお察しいたしますが。私に後悔はひとつとしてございません。それだけはどうかお知り置きください。きっかけはどうあれ、今は、私が自分で選んだ道でございます」
そして表情を一転させ、穏やかに笑った。
「何なら、もう一度お誓い申し上げましょうか?」
私は息を呑む。
(気づかれていたのか)
昨日の誓いを受け、ここまで同行させながら今さら後悔し始めていることに。
オズは軽く言うが、軽い気持ちから出る言葉のはずはない。
オズに、そんなことを言わせた自分が情けなくなった。
「……いや、いい」
そこまでさせたら、昨日の――いや、これまでのオズを軽んじることになる。
それだけは私でもわかったし、そんなことはしたくなかった。
(……切り替えろ)
自分に言い聞かせる。
何故オズがここまで私を支えてくれるのかわからない。支えてもらう価値があるとも思えない。
しかし、オズの気持ちは本物なのだ。
(せめて、相応しくあるよう努力せねば)
仕えるに足る主だと、思ってもらえるように。
「すまなかった」
トランクを握り直す。
やるべきことを、ひとつずつ成していく。
私ができることはそれくらいしかないのだから。
息を吸う。
「お前が良いなら、先に予定通りベネット子爵領に向かう。私たちが戻る頃にはオリバーも戻るだろう」
「はい。では、そのように」
セドリックが用いたあの薬物は気になるが、焦ったところでどうにもならない。それに、母上の日記を早く故郷に届けたいのも本当だ。
私たちは、今度こそ馬車乗り場に向かった。




