王都出立 前編
卒業資格の認定証を手に学院長室を辞する。学院の門まで出ると、旅支度を整えたオズが私を待っていた。
「お疲れ様でございます。……首尾のほうはいかがでした?」
私が認定証を指に挟んでオズに見せると、オズは微笑して頷いた。
「では、参りましょうか」
オズは預けていた剣を私に手渡してくれた。そしてトランクをふたつとも持ち上げる。その片方に私は手を伸ばした。
「荷物も渡せ。ここからは流れの傭兵、という設定だろう。自分の物は自分で持つ」
王宮を出る以上、もう王族を名乗るつもりはない。ただ護身用も兼ねて帯剣はしておきたい。そこで、武器を所持した男のふたり連れとして怪しまれにくい身分として、傭兵のふりをすることに決めていた。
「失礼いたしました。つい」
傭兵としての変装も兼ねて、灰色の質素な外套を羽織る。ベネット子爵領に向かうため、乗合馬車の乗り場に向けて歩き出した。
「しかし、あなた様であれば、あれくらい一時間を切ると思っておりましたが……私の時とは問題が変わったのでしょうか」
歩きながら、オズは首を傾げた。その言い分に呆れる。
「お前、私を買いかぶりすぎだぞ。あれはさすがに時間がかかる。一問目から資料だけをもとに脱税を見抜けとはな」
「ああ、では試験ごとに問題が違うんでしょうね。もしくは王族相手に急遽難易度を上げたか……まあ合格なさったのですから、もうどちらでも構わないことですが」
まずは学院を取り囲む塀に沿って歩いていく。新学期前だからだろう。白い塀の向こうに人の気配はなく、静かだ。反対側、街へ向かう方からはざわめきが聞こえるが、この辺りはまだ人通りは多くない。
「そういうオズはどうだったんだ、あの試験は」
「私は七問目で時間切れでした。……終了の合図が聞こえた時は焦りましたね」
「は?」
私は半歩前を行くオズの横顔を見た。
「だが、合格したんだろう?」
「ええ。そもそもあの試験内容は、本来であれば卒業後に親の元で実践を積んでやり方を学ぶものばかりです。卒業前に爵位を得ることになった生徒がどれだけ冷静に領地経営ができるのか、それを測るためのものではないかと私は考えています」
さすがに当時はそこまで気づきませんでしたが、とオズは呟くように言って、続けた。
「ですから試験の合否は点数ではなく、学院長と採点官の教師たちの判断によって決まるのですよ」
そういえば、点数は言われなかった。学院長のモリスに『採点官の総意をもって合格』と言われたのは、そういう意味か。
そのオズの考えが正しいなら、納得できることは多い。ただ。私はオズを睨んだ。
「お前、自分が解ききれなかった試験を、私なら制限時間を半分も残すと思ったのか」
「当然でしょう」
私の文句にオズはあっさり頷いた。角を曲がる。学院と、その隣の敷地にある王宮が、次第に遠のいていく。
「あなた様の指示に右往左往していただけの当時の私と、長年あれだけの執務を回してこられた殿下。経験の量も質も大幅に異なります。比べ物になりません。現に、悩む問題はなかったのでは?」
わかりきっているように、オズは言う。
「どこまで詳細に書くかは多少悩んだが。確かに答えられず困るものはなかったな」
「ほら、そうでしょう」
何故か得意気なオズにこれ以上反論する気が失せる。代わりにこう言った。
「オズ、これからはもうその呼び方はよせ。あと敬語も不要だ」
街中に入り、少しずつ人通りも増えてきた。
傭兵のふりをするのに、どう見ても年上のオズの方が私を過剰に気遣い、へりくだっていたら周囲には奇異に映る。
極めて合理的な判断をしたつもりだったが、オズは嫌そうに顔をしかめた。
「さすがに敬語はご容赦ください。必要とあらば演技くらいはいたしますが、日常的には無理です」
「……強情だな」
この男が、まさか敬語をやめろというだけの簡単な命令を聞かないとは思わなかった。
「では、私がお前に話すときの口調を変え、」
「絶対におやめください」
私の代案に被せるように、強く鋭い語調で釘を刺された。見れば、先ほどのしかめっ面から却って表情が消えている。どれだけ嫌なのか。
「……なら、言葉遣いは互いにこのままにしよう」
「ぜひ、そうなさってください」
私が折れると、オズはほっとしたように息を吐いた。
オズは少し思案して、私に言った。
「ですが、あなた様のお名前は市井でも知られている可能性が高いですから……他の者の目があるところでのみ、バート様とお呼びしても?」
折衷案としては悪くない。反対する理由もなく、私は頷いた。
「構わない」
学院や王宮は王都の中心近くにあるが、馬車乗り場は王都の端のほうにある。途中にあった広場で昼食を摂った。
ベンチに座って離宮から持ち出した堅パンを噛みちぎりながら、人々が行き交う光景をただ眺める。
「……こんなにゆっくり王都を見るのは久しぶりだな」
昼時だからか、いくつか露店が出ている。活気のある呼び込みの声に、広場を駆け回る子供の楽しそうな声。数年前に街道を整備した甲斐があって見通しも良く、ここから見える範囲では治安も良い。
軒先に鉢植えの花が置かれている家や店も多く、民たちがそれなりにゆとりのある暮らしをしていることが見て取れる。
視察を兼ねて見回ることや、遠方での仕事のために馬で通り過ぎることはあっても、こうしてのんびり食事しながら街中を眺める時間はなかった。ディアナとの交流さえも、王妃に従うようになってからはほとんどが王宮かエンフィールド邸のどちらかでのお茶会、稀に共に視察先に出向くくらいだったのだから。
「これからいくらでもご覧頂けますよ」
オズが同じように堅パンを食みながら言う。
「ですが、ベネット子爵領が先でよろしいのですよね?」
「ああ、もちろんだ」
昨日思い立ったばかりとはいえ、母上の想いを届けることをこれ以上遅らせたくはない。十年以上経って今更かもしれないが、だからこそ。
ほぼ同時に食べ終え、ふたり揃って立ち上がる。歩き出そうとして、「そうだ」とオズが止まって私を振り向いた。
「申し訳ございません。あなた様の試験合格はあまりにも当然のことでしたので、きちんとお伝えしておりませんでした」
言いながら、オズは片手を自分の胸に当てる。
「ご卒業ならびにご成人、おめでとうございます」
息が、一瞬詰まった。
オズが私をまっすぐに祝うその言葉は。
(あの時と、同じ)
時を遡る前の未来で、オズとの最後の記憶とまったく同じものだったから。
「……仮、だぞ」
もうあの時とは違う。もうあんな未来は起こらない。そう思いたくて、オズの言葉を遠回しに否定する。ただの謙遜だと思ったのか、オズはやれやれと嘆息した。
「上手く使えば正式に卒業するより効果のある資格ですから、もっとお喜びになってよろしいですよ」
あの未来で私が捕らわれた後。オズは、いったいどうなったのだろう。ふっとそんな疑問が頭を過ぎった。
この男は要領が良いから、うまく逃げ出せたかもしれない。けれど、その情景は想像できない。
私が“無能王子”と呼ばれたのを聞くだけで気配を尖らせ、「いちいち反応するな」と命令が必要になる男だ。私が王妃暗殺を計画したなどという出鱈目をもとに投獄されたと知ったら、どれだけ怒ることか。
それ以前に、いつも私の傍に控えていたオズは、私の無実を証明できる可能性がある人物だ。あれほど念入りに偽りの証拠を重ねていたセドリックが、オズだけ見逃すとは思えない。
あの地下牢に他の囚人がいたようには感じなかった。だからどうしても、最悪の想像が脳裏に浮かぶ。
「……すまない」
歩き始めたオズの背中に。私だけ立ち止まったまま、からからに乾いた口の中だけで、決して漏れぬよう小さく詫びる。
今のオズには与り知らぬことだ。きっと詫びても困らせる。それでも、謝罪を口にせずにはいられなかった。
(せめて、私のように苦しむことがなかったなら……いいや、どちらにしろ巻き込んでしまったことに変わりはないか)
オズは有能すぎるくらい有能だが、身分としては元平民の伯爵子息。そのうえで私の臣下として王妃暗殺の片棒を担いでいたとされたなら、良くも悪くも早いうちに――。
(早い、うちに……?)
何かが引っかかった。あの半年間を思い起こす度に覚えていた違和感だった。それがようやく、私の中で形を作っていく。
考えたくもないが、きっとオズはあの未来で早々に殺された。
(ならば……私は?)
私はどうして生かされた? それも、ただ生かすのではなく、毒物を飲ませ続けながら、約半年という長期間。
気づいてしまったものに、足が動かせない。数歩先を行っていたオズが、私が足を止めたままであることに気づいて振り向いた。
「殿……、バート様? どうなさいました?」
「……何でもない」
オズにそう返し、自分の足を無理やり動かして歩き出す。オズの隣に並びながら、それでもずるずると思考が続いていく。
あの未来での半年間。幼い頃からの耐性と、竜の血の力による体の丈夫さのせいでなかなか死ねなかったと思っていた。しかし、何も殺すなら毒にこだわる必要はない。とっとと私を殺したほうが王位を得るには手っ取り早く、後腐れもなかっただろうに。
むしろ、毒を与えながら、あの環境下で私をあれだけ生かし続けることのほうが難しかったのではないだろうか。
またあの香りを思い出す。纏わりつくような甘ったるさ。
『せいぜい、僕と彼女の糧になってよ』
死にゆく私にセドリックが最後にかけた、愉悦の滲んだ言葉。その言葉と共に与えられた花の香りの薬物で、私は死んだ。
(あの言葉は……どういう意味だ?)
セドリックが欲したのは、本当に国王の座だったのか?
「バート様、顔色が」
オズの手が肩に触れ、私は我に返った。
「やめろ」
私を支えようとするオズを押し留める。
「大丈夫だ。何ともない」
やはり、あの薬物の正体が知りたい。何もないならそれでいい。それでも、あれだけ生かし続けた私を殺したあの花の香りが忘れられない。
(しかし、どうやって調べれば)
オズでさえ知らなかった。ならば書店や図書館で手に入る程度の書物には載っていない可能性が高い。他に、毒や薬に詳しく、信頼のおける者。
このオズよりも、深い知識を持つ可能性がある者――そう考えて、ひとりの人物を思い出す。
「オズ」
「はい」
「オリバーは息災か?」
オズの実の祖父。今はその座を退いているが、かつては王宮専属医だった人物だ。
オリバーは私の父の命令により、幼い頃の私が耐性をつけるために摂取する毒物の量を管理していた。また、その毒により幾度も死にかけた私の命を、その度に救ってくれた恩人でもある。
私の急な質問に、オズが戸惑った。
「特に変わりがあったとは聞いておりませんが……」
周囲に聞こえないようにだろう、声を低めた。
「殿下、やはりお身体に何か?」
「いや、気になることがあるだけだ。オリバーならわかるかもしれないと思ってな」
そう言っただけで、オズはその内容を察したらしい。
「昨日、私にお尋ねになった件でございますか?」
「覚えていたのか」
出立の準備に紛れて、ただの雑談だと流されたと思っていた。
「あなた様が、私がお答えできない質問をなさること自体が稀ですから」
悔しげな口調だった。昨日はそんな様子など見せなかったくせに。
「今から会えるか?」
「今からですか?」
オズは悩むように視線を巡らせた。
「行ってみなければわかりません。往診や、薬草の採取や買い付けに出向くことも多いはずですので」
それに、と珍しくオズは言い淀んだ。
「……よろしいのですか? オリバーは、あなた様の父君をお救いできなかった咎で解雇になった者ですが」
父は八年ほど前に身体の不調を訴え、それから徐々に弱っていった。最後の一年はほぼ寝たきりだったはずだ。王宮専属医であるオリバーは父の治療の総責任者でもあった。
父が回復することなく五年前に世を去り、その責任を問われる形でオリバーは王宮を追われた。それ以来会ってはいない。
「あの時も言ったはずだ。オリバーでさえ治せなかったのだから、あれが父の天命だったと」
むしろ、オリバーを辞めさせたことは王宮医局にとって損失にしかならなかっただろう。国王を救えなかったことが大罪になってしまうことを、あれほど申し訳なく思ったことはない。
「それは存じておりますが……」
それに正直、私は父の死について思うことはない。父の狂気は身に沁みて知っている。薄情な息子と思われるだろうが、巻き込まれる者が増えないように、父が死んだことはむしろ良かったのかもしれないとさえ思うのだ。
そこまで考えて、ふと気づいた。
「……オリバーのほうが、私に会うのは嫌がるか?」
もしも、オリバーが父を救えなかったことについて私に罪悪感がある、もしくは王宮を追われたことを恨んでいるというのなら。
「それはございません」
しかし、オズは即座に言い切った。
「オリバーはあなた様のことをよく案じておりました。お目にかかれたら、あの者の寿命は十年ほどは延びるのではないでしょうか」
それは少々言い過ぎな気もするが、オズがそう言うなら問題はないのだろう。
「では、すまないが案内してもらえるか」
「かしこまりました」
オズは頷いて、進路を変えた。




