卒業資格認定試験
卒業資格認定の試験会場は、学院長室だった。
「新学期前の慌ただしい時期にすまない」
私が詫びると、学院長であるモリス・バートンはその禿頭をゆっくり横に振った。
「いいえ。この試験を受ける者はたいてい急に訪れますので。それよりも、第一王子殿下が受験なさるということに驚きました」
モリスは不思議そうにそう言った。その隣には試験官と採点官を兼ねて学院の教師が三人並んでいる。
「時間の無駄にならなければよろしいのですが」
吐き捨てるように教師のひとりが言う。その目に宿るのは、私にはとうに馴染んだ侮蔑の色だ。
「ミランダ、口を慎みなさい! 王子殿下の御前で……!」
モリスが慌てて教師を窘める。私はそんなモリスを止めた。
「構わない。ここでは私は一生徒だ。“知識の前に人は平等”、それが校訓だろう?」
教師よりも身分が高い生徒などいくらでもいる。身分の高い生徒が驕らないためにもその校訓があり、適切な叱責であれば教師の言い分に不敬は問われない。
「……そうおっしゃって頂けるのでしたら」
モリスは頭を下げる。むしろ、モリスがこのように私を表向きでも尊重してくれることが意外だった。
指示に従い、用意された席に着く。本来は学院長室の応接机だろう。受験者ひとりに対してかなり広い。
「では、試験を始めます。二時間で十問。まず一問目をお渡ししますので解答を紙に記入し、完了次第ご提出ください。その都度次の問題をお渡しします。また、一度提出された解答はすぐ採点に回しますので、再解答はできません。よろしいですか?」
「ああ。よろしく頼む」
頷くと、紙の束が渡される。ぱらぱらとめくってみると、架空の領地における数十年分の人口、税収、作物の収量などの膨大な資料だ。表紙には『以下の資料をもとに、この領地が次年度に王宮に納めるべき税金額を算出せよ』とある。解答用紙が大きな白紙で用意されているのは、計算過程や考えの根拠も記入しろということなのだろう。
時を遡る前に、一度本来の卒業試験は受けたことがある。学院で習う知識さえあれば解けたその試験とは、確かに問題の性質がかなり異なる。合格者が出ないという噂も、あながち間違いではなさそうだった。
(だが……資料さえ読めれば、難しくはないな)
計算のためにペンを走らせる。人口は増加を続けているが、直近の七、八年分から収量に大きな変化がなくなっている。しかし天候や農地面積の資料を見ると、収量はまだ増え続けていてもおかしくはない。
これは税率の問題と見せかけて、資料の矛盾を指摘する問題だ。作物の収量を下方修正して国への納税額を下げている――要は脱税を行っている領地に対する判断を問われている。
(試験問題だからか、実際よりも数値があからさま過ぎる)
資料から証拠となる数値を抜き出し、本来の収量の見込みと納税額を算出する。続いて、求めた数値と資料の数値をもとに予想される脱税額を算出。最後に資金の流用先として想定される箇所を示して解答を終える。
「二問目を」
一問目を提出し、次の問いを要求する。
「もうよろしいのですか?」
教師はどこか戸惑ったように次の問題用紙を差し出した。
次の資料には料理名が並んでいる。近隣諸国から国賓が訪れた場合における晩餐のメニューをこの中から選び解答せよ、とあった。
(近隣諸国、としか書かれていないな)
ウィリア王国と交流があり、国賓が訪れる可能性がある国を列挙するところから始めなければならない。そのうえで各国の食習慣、国賓個人の好みを加味する必要がある。さらに、季節によって用意できる食材や適切な料理が変わってくる。
どこまで考慮して解答すべきか。
(しかもガスタ王国とエルネア連合国が同席する場合が厄介だ。ガスタは自国の食材が使われることを好むが、エルネアは相手国……こちらの特産品でもてなさなければ歓迎の意を受け取ってもらえない)
しかもワーグナー王国の国賓を迎える場合に必須の食材を使用する料理がリストに入っていない。宗教上の理由であるため先方も用意をしてくるはずだが、こちらで用意できるなら手配するべきだ。
悩む時間も惜しく、想定できるすべての場合に分けて、理由とともに解答用紙に書き込む。
「三問目を」
この部屋に時計はない。教師たちは各々の懐中時計を確認している。
つまり受験者には残り時間がわからない。しかも一度提出したら後戻りはできず、一問ずつ渡されるためにいずれかの問題で悩んでも他の問題を先に解くことはできない。そして一問あたりに使える時間は平均して十分程度。一度行き詰まれば、受験者はかなり精神的に追い詰められてしまうだろう。
(うまく出来ているな)
おそらくこの試験は、いずれの問いにも“正解”と呼べる解答はない。聞かれたことに対し、その通り答えることさえ求められていない。この国の成人として、領地や国を治める者として、与えられた情報のみに踊らされることなく即戦力になれるのかを測っている。
いずれも受験者の裏をかくような問題ばかりだ。
「四問目を」
「五問目を」
「六問目を」
解答を提出しつつ、次の問いを要求することを繰り返す。五問目の解答用紙を受け取る教師の手が震えたように見えた。視線を上げると、先ほど私を侮蔑の目で見たミランダ・バーチェスが青褪めた顔をしているのが目に入る。
その向こうではモリスと他の試験官が、これまでの私の解答と思われる紙を凝視していた。いずれも引き攣ったような、呼吸を忘れたかのような顔をしている。
「……バーチェス先生、私の解答に何か不備が?」
ミランダは私の問いに、はっとして首を横に振った。
「何でもございません。……第一王子殿下、試験中の私語はお控えくださいませ」
「ああ、すまない。……その六問目をもらえないか」
ミランダの手にある試験問題を受け取り、私は解答を再開した。
さすがに残り時間がわからないのはきつい。ペンの速度を上げる。
後半も、架空の地図をもとにして戦術を組み立てる問題、他国との交渉の仕方に関する問題、と様々な分野に渡る問題が続いた。
「これで十問目を提出する。採点を願いたい」
私が最後の解答用紙を教師に渡すと、控えていた教師が懐中時計を確認してかすれた声で所要時間を告げた。
「……一時間二十四分です」
「嘘だろう……? あれを、あのレベルで全部解いて、三十分以上残った?」
教師たちがざわついた。それをモリスが押し留め、立ち上がって私に一礼した。
「お疲れ様でございました。採点に少々お時間をいただきとうございます」
狼狽える教師たちと違い、モリスの態度は試験前と変わらなかった。ただ、と躊躇いがちに疑問を口に乗せた。
「ずっと気になっておりました。何故これまで成績を、とお伺いするのは許されますでしょうか」
今しか訊けない、と覚悟を決めたようにも見えた。
モリスの疑問に、私は小さく苦笑した。
「あなたの言い方では、あれが私の実力だ、と言っても無駄だろうな」
「今回の解答を拝見すれば、誰しも同じ疑問を持つでしょう」
「そうか。……だが、すまない。理由を言うつもりはない」
まっすぐ問うてくるモリスに、答えられないことを申し訳なく思う。
けれどこれは、もとはといえば私の我儘なのだ。
今でも、五年前に王妃の策略によって倒れたディアナの姿を思い出すことがある。後でオズから、熱中症でも酷ければ死に至る可能性があったと教えられ、より一層恐怖が募った。
私の婚約者だったからディアナは狙われた。セドリックが王位につくには私が邪魔だから。
本当は、婚約の解消はその時にしておくべきだった。そうすれば、後ろ盾を失う私は王位争いから降りることになり、王妃がディアナを狙う理由も無くなったはずなのだ。
『彼女はお前にはもったいない娘だものね』
王妃はあの時そう言った。
そんなことなど、言われずとも知っていた。
でも、手放したくなかったのだ。彼女だけは。彼女とともに過ごす時間の、あの温かさだけは。
その我儘だけで、私はディアナとの婚約解消を拒んだ。……彼女が王妃に再び傷つけられるリスクを残してしまうと、分かったうえで。
(私は愚かだ)
何の力もないくせにそんな我儘を押し通そうとしたから、ディアナを傷つけさせないためには王妃の言いなりになるしか道がなかったのだ。
セドリックが次期国王に正式に決まるまでだと。王妃の目的はセドリックの即位だからと。
セドリックが国王に決まれば、慣例として私は公爵位を得て王宮を出ることになる。それまで耐えればいいだけだと。
根拠もないのにそう信じて、王妃に言われるままに執務をこなし、セドリックの引き立て役に身をやつした。
何も知らないはずのディアナは、世間からの評価を落とし続ける私に向ける笑顔を曇らせることはなかった。ディアナがこんな私を拒まずにいてくれたから、折れそうな心を何度も奮い立たせることができた。
(そう、私は)
勝手にディアナを人質も同然のものに差し出しておきながら。私は、勝手にディアナの優しさに縋り甘えて生きてきた。
どこか矛盾していることもわかっていた。彼女の隣に立ち続けるために、私はどんどん彼女に相応しくなくなっていく。
それでも。彼女を縛りつける私の、せめてもの責任だったから。
ディアナを傷つける口実も建前も。二度と、何ひとつ王妃に与えてなるものか。
ただその一心で、ずっと。
その思いを封じるように、私は一度短く目を閉じて、モリスに視線を戻した。学院長は、私がこれまでの試験を本気で受けてこなかったことを責めてはいない。
だからこそ、何も言えないことは心苦しかった。
「……悪意あってのことではないと、信じてもらうしかないが」
「さようでございますか」
モリスは私の答えに何を思ったか、そう静かに返すだけだった。
私も問いを返す。
「学院長。先ほど、ずっと、と言ったか?」
モリスは首肯した。
「はい。第一王子殿下の試験解答には、正答率の低い難問での正答がよく混ざっておりましたので」
「そうか。……解く問題は選んでいたつもりだったが、甘かったな」
これまでに受けた学院の定期試験。本当は全部解けるから、かえってそれぞれの難易度はよく分からなかった。だから私は序盤の問題だけを中心に解いていた。前半に簡易な問題が配置される構造が多いからだ。
「私の試験問題は、難問をあちこちに分散して配置します。おそらく、第一王子殿下の答案の不可思議さには、私しか気づいておりませんでしょうな」
モリスは学院長である傍ら、法律学の担当教員でもある。そういえば、分かりやすい授業の半面、試験問題の意地が悪いと有名だったか。たまたま学院に出向く時間が取れた日、ろくに交流を持てていないクラスメイトがそうぼやいているのを聞いたことがある。
「黙っていてくれたこと、感謝する」
そこにミランダが近づいてきた。モリスに耳打ちし、何かを手渡す。
「ギルバート・ウィリア第一王子殿下」
モリスが私の名を呼んだ。その背後に、採点官として同席していた三人の教員が揃って並ぶ。彼らが私に向ける視線に、初めの頃の侮蔑はもうない。
立ち上がった私に、モリスが告げる。
「先ほどの卒業資格認定試験。採点官の総意をもって、合格といたします」
反対の声は、誰からも上がらなかった。
モリスから差し出された認定証は、片手に収まる大きさだった。
それでも、私は両手でそれを受け取った。
「今後はウィリア王国の成人として、より一層励んでくだされ」
「……善処しよう」
王族としての立場を捨てようとしている私には、その激励はどこか鋭く胸を抉った。




